89歳のおばあは、愛媛の山奥にいた子どものころから家族のために料理を作ってきた。去年のはじめごろまでは僕のために10年間、おいしくてちょっと変わった手料理、“おばあめし”を毎日作ってくれた。
ところが、だんだん筋肉が動かせなくなる難病、パーキンソン病にかかり、台所に立てなくなってしまった。
だったら今度は、僕がおばあに作る番だ! とやる気をみなぎらせ、エプロンのひもをギュッと締めたものの、できた料理を食べたおばあは……まずい! とは言葉に出さなくても、眉間のしわがそう告げていた。
それでもコツを聞きながら料理を続けていると、笑顔で高得点が飛び出すようになり、手応えを感じはじめていた。
そのあいだも、おばあの病気はじわじわと進行し、家ではいくら介護しても十分な栄養をとることが困難に……。痩せた気がして心配になり、病院で診察してもらうと軽い脱水症状になっていた。
医師のすすめで、おばあは介護と看護の体制が整った近所の福祉施設に入所することになった。
おばあは今、僕が作ったものを食べることはできないけど、料理のことはよく覚えていてアドバイスをすることはできる。
今のうちに料理の味を受け継がなければ……。それができるのは僕しかいない。特におばあが子どものころから作っていた煮物料理、「炊いたん」をうまく作れるようになりたい。そして、炊いたんマスターに僕はなる! と決意したのだった。
ただ、炊いたんは煮物料理の総称だから、具材も味付けもひとつ覚えればいいというわけじゃない。
おなじみの里芋から、まさかのタコさんウィンナーまで、おばあはさまざまな具材をおいしく炊いてきた。その高みに達するには、とにかく作って経験あるのみ!
前回作った炊いたんは里芋。その前はなんきん(かぼちゃ)だった。甘めの野菜が続いたから、次は僕の好きな魚にしよう! と商店街の魚屋に行くと「いいの入ってるよ!」と店主にすすめられたのが、
富山で揚がったサバ! しかも目玉が澄んだ鮮度抜群で、2尾で500円以下の超特価。
サバの良し悪しが表れる背中も――
丸くふっくらしていて、模様の色が濃い。おいしいサバの証拠だ!
それにサバといえば、味噌煮。まさに炊いたんにぴったりの魚!
あとはおばあの味を思い出し、調理すればいい……けど、ひとつ問題が。それは、おばあが夕飯に出す魚の炊いたんといえば、
↑みたいに惣菜屋で買ってきたものが多かった。魚の種類も「知らん!」ことがほとんどだ。
おばあは愛媛の山奥育ちだからか、子どものころに魚を食べることが滅多になく、今もどうやら魚が苦手らしかった。おじいも同じ地域の出身で、好物は断然、魚より肉。だからそもそも、魚の炊いたんを作ることがあまりなかった。
2年ほど前には、サバを使って、
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こんな↑炊いたんを作ってくれたけど、病気の影響が出始めていたからか、思っていたものと何か違う……。
ただ、過去のブログを見返すと、
こんな見事な「知らん魚の炊いたん」が! これ、これだよ! と思わず叫ばずにはいられない。
さらには、
見るだけでごはんが欲しくなる、黄金色の輝きを放つサバの醤油煮も!
おばあほどの達人になれば好きも苦手も関係ない。どんな食材でもおいしく炊くことができるのだ。そんな炊いたんマスターに僕もなりたい。
だけど過去のブログを探しても、僕が食べたい味噌煮がない。以前、作ってくれたと思うけど、記録に残していなかった。
それはひとまず置いといて、サバの下処理にとりかかる。まずは頭を、
エラと一緒に切り落とし、三枚に……って、参考にしたYouTubeの動画では、いかにも簡単そうにスパスパとおろしていたけど、見るのとやるのとでは大違いだ。
おばあの手さばきを思い出そうにも、魚をおろしているところなんて見たことがない。生の魚は触るのも嫌だったらしく、下処理した魚しか買ってこなかった。
だけど自分でおろせたら、特売の魚を丸ごと買うことができてお得だし、何より板前みたいでかっこいい!
できないことをできるようにするには、何事も練習あるのみ! おばあが好物の根菜類や肉類を炊くのが抜群にうまかったように、僕も自分の好物をさらにおいしく調理できる炊いたんマスターになってやる!
そんな気合を込めて包丁を握ると――余計に力が入ったせいか、動かすたびに刃先がひっかかり、身と骨のあいだに何度も差し込むはめに。そしてようやく、
せっかくの新鮮なサバをボロボロにしながら、なんとか三枚におろした。それを半分にして一切れぶんに。
そして、ここからが僕の独自の工程だ。はじめて作る料理にオリジナリティを発揮するのはどうかと思ったけど、おばあもそうして絶品かつ唯一無二の料理を作ってきた。僕が目指すのはその境地だ!
というわけで、三枚におろしたサバの身には、臭み取りと下味をかねて、
ベトナムのレモン塩を、上の方からまんべんなく
パラパラとふりかけてよく擦り込む。
このレモン塩、ベトナム旅行に行った知り合いからもらったものだ。野菜でも肉でも魚でも何にかけても合うすぐれもので、ラベルには『MUOI TIEU CHANH』の文字。読み方はムウォイ ティエウ チャン? 検索すると、アマゾンでも買えることがわかったのでリピート決定!
さらにサバの身をキッチンペーパーにくるんで、
フリーザーバッグに入れておく。
あとは夕飯を作りはじめるまでの数時間、この状態で置いておく。すると臭みとともに水分がほどよく抜けて味が凝縮する。
この方法、臭みが出やすいブリのアラを下処理したときに、目についたレモン塩を試しにかけてみたら、ほんのりとレモン風味の下味も加わって一段とおいしくなった。これは痛みやすいサバにも有効なはず。
サバを放置しているあいだ、福祉施設にいるおばあのところに向かった。
寝ていることも多いけど、この日は目を開けていた。顔色もいいので写真を撮りたかったけど、おばあに断られた。楽に過ごせるように寝巻きを着ているので、おしゃれ好きのおばあのプライドが許さないらしい。
サバの味噌煮を作る方法を聞くと、醤油、酒、みりん、砂糖という基本の調味料を使うことを、ゆっくりと思い出しなら教えてくれた。
「味噌がないけど、どうするの?」
と聞くと、
「そこに、入れたらええ」
とのこと。
話しているうちにまぶたが閉じそうなくらい眠気が強いようで、ちゃんと伝わっていない気もする。だけど、どれも和食の基本の調味料だから、間違っていないと思う。
そもそも間違っているかどうかより、大事なのはおばあに聞けたということ。
ありがとう、おばあ! これで自信を持って作れるよ!
そう告げて家に戻る――その前に、
おばあとよく行った、
緑地公園に寄る。
広葉樹の葉はすっかり色づき、おばあと一緒に秋の光景を見たときのことを思い出す。
この花壇の前で、何度も写真を撮った。中央にはクリスマスのときに飾り付ける木が。ここで今はひとり、施設のおばあを撮ろうと持っていたカメラを向けていると何だか寂しくなる。
そうだ、明日、おばあに秋の公園の写真を見せてあげよう。そう思うと、またやる気が湧いてきた。
家に帰って、さあ、調理開始!
まずは調味料を用意して、サバを袋から取り出し染み出した水を拭いてから、
鍋に入れて、味噌以外の調味料を投入。味噌汁も味噌は最後だとおばあに教えてもらったことがあるので、今回もあとから入れることにする。
分量はおばあにならって……テキトーだ! 味噌煮らしく濃いめにしておいた。そこに、
耐熱のクッキングシートで落し蓋をして、しばらく炊く。よさそうなところで火を止めて――おばあだったら、ここで故郷の愛媛から送ってもらった自家製味噌を使うところだけど、残念ながら今はない。だから、できるだけおいしそうなーー
スーパーでちょっと値が張る、無添加で減塩のこうじ味噌(ひかり味噌の『円熟』)を、
たっぷりと、
煮汁に溶かし生姜を加える。味見をすると、甘辛い和風の味わいに、熟成したこうじ味噌の香りと旨味が加わって……もう、この煮汁だけでごはん3杯はいけそう!
ただ、思ったよりしゃばしゃばなので落し蓋を取って、またしばらく煮詰め――
サバの味噌煮の完成だ!
そして余ったこの煮汁を捨ててしまうのは惜しいので、軽く湯がいてサラダにするつもりだった、
菜花(なばな)を炊く。鍋に山盛り入れたのに、数分炊くと、
こんなに小さくなった。そして完成したのが――
今日の献立。
メニュー
・サバの炊いたん(味噌煮)
菜花の炊いたん添え
・レンチンおかず
豆腐、白菜、しめじ、玉ねぎ、もずく、キムチ
・ごはん(分づき米)
いつの間にか並んでいるレンチンおかずは、
冷蔵庫にあったポン酢が合いそうな食材を、電子レンジで温めたもの。味付けはポン酢とトッピングのキムチのみ。濃いめの料理に合うし、何より簡単にできるから、もう一品欲しいときにちょうどいい。
そして気になるサバの味噌煮の味は――
もう……最高! サバをちょっと口にいれたその瞬間、ごはんをかき込みたくなる。
だけどこれは危険だ。本能のままに食べ進むと、ごはんが足りなくなるのは確実。あっさり味のレンチンおかずをはさみつつ、ひとくちずつ味わって食べる。
ベトナムのレモン塩の風味は正直……感じられない。だけど身がプリッとしまっているのは、塩の効果に違いない。
僕独自の工夫は、狙い通りの大成功! とはいかなかったけど、今自分が食べたいものを、おばあの教えを活用して作ることができた! この調子で、次も絶品の炊いたんを作ろう! そして、できることなら、おばあに食べてもらって「100点!」と言わせたい。それができるくらい元気になってや、おばあ!