おばあは夕飯のあと、スポンジボールを握りながらテレビを見ていた。ふいに前のめりになって顔を突き出し、しばらく画面に集中し、
「やっぱり、サバがええみたいやな」
とつぶやいた。そして緩めていた両手にまた力を込めた。
テレビではサバ缶を使った料理を紹介していた。最近、サバ缶が流行っているらしい。缶詰めにしたサバは調理済みなので、簡単に別の料理にアレンジできる。サバは筋肉のもとになる動物性タンパク質が豊富で、脂には血圧を下げる働きもあり、おまけに太りにくいそうだ。
おばあは週に3回、女性限定のジムに通い、家では握力強化のトレーニングもはじめた。それに血圧は毎食後に降圧剤が欠かせないほど高い。今のおばあの体には、たしかにサバが必要だ。
先日もおばあは、サバ缶と白菜の煮物をつくった。またテレビ番組ですすめられたことで、これからサバ缶のアレンジ料理が頻繁に食卓に上るかもしれない。調理も楽だからおばあも助かるだろう。
サバ缶は僕も好きで、独り暮らし時代にしょっちゅう食べていた。テレビで紹介していたような料理にアレンジしてくれるなら毎日でも大歓迎だ。
その翌日――
僕はいつもの晩ごはんの時間を待ちきれず、5分ほど早くおばあの家にやってきた。食卓に並んでいるのはサバ缶入りの味噌汁かトマト煮込みか、それともまさかカレーだろうか!? 玄関を駆け上がり、居間の戸を開ける。カレーのスパイシーな香りはせず、かわりに漂ってきたのは、醤油と砂糖を煮詰めたような甘辛い香りだった。
「なんや、早いな」
といいながら、おばあが台所から現れた。テーブルに向かうと、手に持っていた皿を僕の席に置いた。
メニュー
・サバの炊いたん(醤油煮)
・煮物
たまご、ちくわ、タケノコ、大根、手綱こんにゃく
・じゃこのせ大根おろし
・たくあん
・酢の物
きゅうり、ワカメ、タコ
・サラダ
生:ミニトマト、春キャベツ 茹で:ブロッコリー
・ごはん
皿の上では醤油色の煮汁をまとったサバのなめらかな皮が、黄金色に輝いている。切り身の断面にも色がつき、ごはんに合いそうな見事な煮付に仕上がって……って、缶詰とちゃうやんけ! 僕は思わず声を上げそうになった。
スチール缶を開ければ、すでに醤油煮や味噌煮ができているサバ缶よりも、切り身から煮るほうが当然、手間も時間もかかる。長年いろんな食材を煮込んできたおばあがつくる煮魚は味もいい。これはこれでうれしいけど、何で缶詰じゃないのだろうか。昨晩おばあが集中して見ていたテレビ番組は、缶詰めの手軽さを一番にアピールしていたのに。
煮物にたまごが入っているのも妙だ。大根、こんにゃく、ちくわ、そしてたまごとくれば、まるでおでんである。おばあはこの冬、何度もつくったおでんに、たまごを入れたのは最後の一回だけ。僕が頼んでも、なかなか入れてくれなかった。それが今日、何気ない感じで並んだ煮物の皿に、たまごが混じっているなんて。
たまごといえば、高タンパクな食材だ。あのロッキーだって、トレーニングのあとに生卵を何個もグラスに割り入れてがぶ飲みしていた。おばあは筋肉強化のために、よくつくるおでん風の煮物に、たまごを追加したのに違いない。
タンパク質だけじゃない。
すりおろすのに力も時間もかかる大根おろしもあり、じゃこまで乗っているし、
たくあんや、
タコときゅうりとワカメの酢の物もあるし、
相変わらずサラダも並んでいる。
おばあは明らかに栄養のバランスを意識している。昨晩「サバがええ」と口に出したのは、栄養面についてだけだったらしい。手間暇がかかろうが、自分がそのとき食べたいものをつくるおばあの姿勢は、僕にとってもありがたい。
醤油ベースの甘辛い香りをかぎながら、金色に輝く表面を見ていると、空腹でたまらなくなっていた。さっき缶詰めじゃないことを声に出してツッコまなくてよかった。そう思いながら僕は手に取った箸の先で、ふっくらとしたサバの身の柔らかさを感じた。