石川県人じゃないけど、おばあが作れば僕のソウルフード!まつや『ピリ辛とり野菜みそ』鍋

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夕方になって仕事が一区切りついたので、近くの公園に向かい、うっすらと紅葉したクヌギやソメイヨシノを眺めながらぶらぶらと歩いた。というのも、一昨日おばあが作ってくれた『鮭ふりかけまみれおにぎり』の色合いに秋の気配を感じて、実際に木々の様子を確かめたくなったからだ。

本当にもう紅葉がはじまっている。そう思うと、自分のお腹にも秋が訪れていることに気がついた。僕にとっての秋は、紅葉より食欲の秋だ。お腹を空かせた僕のために、今ごろおばあは晩ごはんを作ってくれている!

いても立ってもいられなくなり、そのまま早歩きでおばあの様子を見に行った。

すると、おばあは――

 
 
 
 
 
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台所で調理の真っ最中! 今夜はどうやら鍋のようで、切り分けた食材を次々と大鍋に放り込んでいる。

その味付けは、シンクの端に置いてある――
パッケージに入った、まつや『とり野菜みそ』
『とり野菜みそ』のピリ辛バージョン! 僕が数日前、おばあの代わりにスーパーに行ったとき買ってきた鍋の素だ。

ついにこれを……使ってくれるときが来た!

石川県で鍋といえば『とり野菜みそ』が定番中の定番で、僕の知り合いの石川県人は「他の鍋の素なんて邪道」とまで言い切っていた。

『とり野菜みそ』は、大阪人にとっての『旭ポンズ』、広島県人にとっての『オタフクソース』、沖縄県人にとっての『A1ソース』といった、その土地の家庭の食卓に欠かせない味らしい。

そういうことならと、さかのぼること数年前、石川県の知り合いに『とり野菜みそ』を送ってもらい、おばあと一緒に味わった。

それ以来、僕もおばあもすっかりファンになり、毎年欠かさず送ってもらっていた。あれからなかなか大阪で見つけることができなかったけど、数日前、なんと近所のスーパーで発見し、迷わず手に取った。

そして数日かけ、大鍋に残っていた煮物を食べきった今日、ついに『とり野菜みそ』の封を開けるときがきた! おばあはそのみそを、食材を入れた大きな鍋に絞り出し、ヘラでまんべんなくかき混ぜる。「ほ〜ら、おいしくなれよ」と念じているような、ゆったりとした手さばきだ。ピリ辛みその食欲をそそる香りが、台所いっぱいに立ち込めてきた!

このまま香りだけで、ごはんをよそって二杯はいける! でもまだ夕飯まで時間があるので、ぐっとこらえて、僕も「おいしくなれよ」と念じながら自分の家に帰った。

そして時間になり、再びおばあの家にやってくると玄関にまであの香りが! 居間に急ぐと、テーブルにはもちろん鍋が乗っている!

そしておばあはというと――
食卓に着いて居眠りしている祖母・おばあ
イスに座ったままぐっすり眠りこけている。どうやらこの香りに食欲を我慢なかったらしく、いつもより早く夕飯を食べてしまったらしい。それで満腹になり、今度は眠気に負けてしまったのに違いない。
食欲と眠気……おばあはまさに秋を体現している。

僕はおばあを起こさないよう、自分で静かに鍋を開けた。
まつや『とり野菜みそ』のピリ辛味で作った鍋
具材はこんにゃく、ひら天、ごぼ天、鶏肉……って『とり野菜』は野菜がとれるって意味なのに、野菜がまったく入ってへんやんか、おばあ!

冷蔵庫には白菜やニンジンがあったはずだけど……。

とはいえ、刻み昆布やミニトマトが乗った――
刻み昆布とミニトマトが乗った山盛りのキャベツサラダ
山盛りのキャベツサラダも用意してあるので、野菜はたっぷり『とれ』る。

それに魚は珍しく――
キビナゴの煮付け
細長い『キビナゴの炊いたん』!? 身はプリプリでしっかりとしたうま味があって、頭も骨も柔らかくクセになる味わいだ。

メニュー
・とり野菜みそ鍋
鶏肉、厚揚げ、ごぼ天、ひら天、こんにゃく
・キビナゴの炊いたん
・サラダ
キャベツ、ミニトマト、刻み昆布
・赤飯

そして『とり野菜みそ』鍋を――
小皿によそった『とり野菜みそ』鍋の具
小皿に取り分け食べてみると、野菜は入っていなくても、これはこれでたまらない! 石川県人のこころの味というのもつくづく納得できるおいしさだ。濃厚なピリ辛みそ味で、白いごはんが猛烈に欲しくなる。

だけど、どうして今日に限って――
茶碗によそった赤飯
赤飯なんや、おばあ!

台所に行くと炊飯器の中にごはんはなく、透明なパックに赤飯が残っていた。おばあは今まで赤飯を買ってきたことないし、どうやら人からもらったらしい。

小豆がちょっと甘い気がするけど、『とり野菜みそ』鍋のおいしさはそれくらいではびくともしない! 味噌の包容力が甘めの赤飯ともよく合って……もう、とまらない! 野菜がどうとか、白いごはんが欲しいとか、そんな『常識』は忘れて、おばあの用意した僕にとってのこころの味を堪能した。