あけましておめでとうございます
応援してくれるみなさまのおかげで、
このブログ“おばあめし”も2024年を迎えることができました。
施設で暮らすようになったおばあは、
病気を抱えているので、元気……とは言い難いですが、
快適な空間でおだやかに過ごしています。
最近は、僕が作って僕が食べる“まごめし”が中心になりました。
それでもおばあのアドバイスや料理の記録を参考に
“炊いたんマスター”目指して頑張ります!
今年も見守っていただけるとうれしいです。
それでは2023年の大晦日に作った料理の記録を、
ぜひ、見ていってくださいね。
おばあめしを受け継ぐ年越し蕎麦
今年もついに最後の日、12月31日!? ……って、え? 本当に? とスマホに表示された日付を、アラームで目覚めた瞬間に思わず二度見した。
どう考えても、一年の長さが子どものころの五分の一くらいに縮んでいるとしか思えない。毎年、歳をとるたびに時間の流れが加速している。年々、大晦日の実感がどんどん薄れ、今年は昼を過ぎても普段と何も変わらない気がする。
もうすぐ新しい年がはじまるのに、まったくやる気がわいてこない。
その理由は……おばあがいないからだ。
おばあはパーキンソン病が進行し、近くの施設で暮らすようになった。今日も会いに行きたかったけど、施設内でコロナの感染者が出て、しばらく面会もできなくなってしまった。
おばあがいれば、大晦日には年越し蕎麦を作ってくれた。それが朝から楽しみで、一年を締めくくる日が来たことを実感できたし、熱々の蕎麦をすするたびに「次の年はもっと確実に淡々と、やるべきことをやっていこう」と、やる気がまたじわじわと燃えはじめるのだった。
そうだ。作ってもらえないなら、自分で作ればいい!
どんな食材でも鍋でひとたび“炊け”ば、絶品料理に仕上げるおばあのように、僕は“炊いたんマスター”を目指している。鍋を使う年越し蕎麦もある意味、炊いたんだ。
そう思うと、もうゴロゴロしていられない。すでに10回は見た孤独のグルメの再放送が映るテレビの電源を切り、前後にカゴのついたママチャリに飛び乗り、大晦日でもやっている商店街のスーパーに向かう。
歳末セールで賑わう店内で、カゴに入れる食材は……蕎麦ということ以外、決めていなかった! おばあの作ってくれたものを参考にしようと、過去の投稿をスマホで見返すと、
↑これや、
これは春菊や鶏肉が入っているし、
こちらは鶏肉に玉子とネギとカマボコだ。
おばあの蕎麦は鶏肉が必須なのかと思ったら、
こんな、鶏肉ではなくシイタケがのっているものも。
そういえばスープも、鍋で出汁をとっていたときもあれば、袋入りのやつを買ってきたこともあった。だけどどの年の蕎麦も、全身に染み渡るようなおいしさで、次の年を迎える心の準備が整った。
ようするに“おばあの流儀”を踏襲するなら、年越し蕎麦はそのときの直感で、好きなように作ればいいということ。
というわけで、そろえたのはーー
こんな食材。野菜は色の濃い金時にんじんやレンコン、それに白くて細長い京野菜の“祝だいこん”という縁起のよさそうなものも見つけて手に取った。
おせちの食材みたいだけど、おせちなんて自分ひとりのために作るつもりはないし、そもそも下準備もせずに作れる気がしない。大晦日からおせちを食べている地域も多いと聞いたことがあるし、縁起のいい食材を使って、今年はこの蕎麦でおせちをかねてしまえばいい。
おせちは来年、前日から準備しておばあが作ってくれたものにチャレンジしよう。
そして蕎麦には野菜だけでなく――
好物のカマボコと玉子も外せない。
スープの味付けは、常備している石川県の魚醤“いしるだし”。めんつゆ並みに何でもおいしくしてしまうのに、上品で本格的な“和”の味がするすぐれものだ。
さらに隠し味に味噌を用意した。
まずは具材を、
ひとくちサイズに切り、
根菜類はラップをかけて電子レンジでチン! さらに、
知り合いからもらった昆布入りの餅を、
焦げ付かないアルミシートに包んで焼く。
スープは、いしるだしだけでなく、
カツオ節でも出汁を取っておく。
そして玉子は以前、温泉玉子を作った方法で、
水の張った器に割り入れて、電子レンジであたためる。こうすれば半熟の温泉玉子が簡単にできるのだ。
その間に、茹でておいた蕎麦に、
かつお出汁をそそいで、いしるだしと少々の味噌で味付けする。
そこに具材を――
こうして盛り付ければ、一気に豪華に! 大晦日の実感がやっとわいてきた!
ちょうどそのとき、ボンッ! と、電子レンジの中で何かが爆発したような不穏な音が!? まさかと思って扉を開くと、
やっぱり……。長く加熱しすぎたようで、期待していた温泉玉子は“半熟とろとろ”からほど遠い状態に。
それでも――
具材の中央にトッピングすれば、少々黄身が破裂しているけど、はじめから“かたゆで”だったと思えば問題ない! 新年の明るくめでたい感じもあるから、年越しおせち蕎麦と名付けよう。
この彩りとボリューム感、そして出汁の香りがたまらない。
まずは――
スープを味わうと、かつお節と“いしる”の旨味が押し寄せてくる。そこにほんのりと、隠し味の味噌の風味が感じられ、塩味もちょうどいい。
レンチンした祝だいこんや金時にんじんは甘く、出汁の旨味と合わさってお互いの味を引き立て合う。すかさず蕎麦をすすると、もう止まらない。
スープにひたった柔らかな餅や、かたゆでの玉子、カリカリと音を立てるレンコン、弾力のあるかまぼこ。多彩な食感の具材が、蕎麦とスープを介してひとつになる。
自分で作った年越しおせち蕎麦は、大成功……と言いたいところだけど、ちょっと物足りない。とはいえ、スープの味も蕎麦の茹で加減も、具材の種類も量も申し分ない。
足りないものは、何かわかっている。それは味付けでも具材でもない。そう、おばあだ。今思えば、おばあが作ってくれたものなら、どんな蕎麦でもよかった。いや、作ってくれなくても構わない。
去年は僕がおばあにーー
年越し蕎麦ならぬ“年越したうどん”を作った。それをおばあと一緒に食べられるだけで、物足りなさなんて少しも感じなかった。
一年の最後を締めくくるメニューだからこそ、いつも以上に、僕にとっておばあの存在がいかに大きかったか身にしみて思う。
だけどそれを嘆いても仕方ない。ひとりで作ってひとりで食べる以上、この物足りなさを消し去ることはできない。僕にできるのは、いつかおばあに味わってもらうことを目標に、料理の腕前を鍛えてレパートリーを増やし続けることだ。
おばあが不在なのは寂しいけど、また気持ちを新たにして、新しい年を過ごすことができそうだ。それもこれも、家にいなくても僕を導いてくれたおばあのおかげだ。
施設のコロナの自粛期間が終われば、すぐに新年のあいさつしに行くで、おばあ!