居間に飛び込み、壁の掛け時計を見上げる。あと12分で今年が終わる。もっと早くおばあの家に来るつもりだったけど、つい寝入ってしまっていた。
おばあもイスに座ったまま目を閉じ、頭を上下させ、うとうとしていた。
「おばあ、来たで」
と声をかけると、ゆっくりと開いた目が僕の顔に向いた。そして驚いたように両目が全開になり、素早く振り向きながら壁の時計を見上げた。
おばあは愛用の回転イスから、バネでも仕掛けてあるみたいに勢いよく立ち上がり、わき目もふらず台所に直行した。テーブルには、空になったどんぶりが残されている。寝過ごした僕より先に、おばあは年越しそばを食べたのだ。
流し台には「年越」と書かれた袋入りのそばが、すでに用意されていた。おばあはフタつきの鍋がのったコンロに火をつける。鍋の中の湯はまだ冷めておらず、フタをとると湯気が上がった。隣のダシが入った鍋にも火をつける。
コンロの前から滑るような動きで、流し台に移動したおばあは、そばの袋を鷲づかみにし、両手の指をめり込ませて左右にぐいと引っ張る。油圧式の重機のように、ゆったりと着実に力を込める。
音を立てて袋が破れると、おばあは一瞬も動きを止めることなく、
「邪魔や!」
と僕を押しのけ、袋の中のそばを、文字通り鍋に投げ入れた。
菜箸で鍋の中のそばをぐるぐるとかき混ぜてほぐし、
ダシが沸騰しはじめた鍋に、春菊をどっさり入れる。
そばは1分ほど温めるだけで、お湯からどんぶりにあげた。袋入りのそばはゆで麺なので、お湯につけているとすぐに柔らかくなってしまう。
年越しそばは、やわらかく切れやすいほうが「厄災を断ち切る」という意味で縁起がいいらしい。去年は箸でつかめないほどの、離乳食並みのやわらかさだった。だけど僕は、麺類といえば固めでコシの強いほうが好きだ。昔からのいい伝えよりも、僕の好みを優先しておばあはそばを素早く茹でてくれたのか。
食べ物をおいしく食べることに勝る、縁起のいいことはないのかもしれない、などと考えていると
「そんなとこに突っ立っとったら邪魔や!」
とおばあは僕を押しのけ、茹で上がったそばの入ったどんぶりをつかんだ。
鶏肉と春菊入りのダシをお玉ですくったおばあは、そばに勢いよくぶっかける。そして紅白のカマボコをのせたらできあがりだ。
おばあは両手でどんぶりを抱え、
「そこ、邪魔や!」
と僕を肘で押しのけ、素早いすり足で居間に向かう。腰から上がまったく上下に動かない、武術の達人のような足の運びだ。
テーブルの僕の席に、どんぶりを置いたおばあは、壁の時計を見上げた。今年が終わるまであと6分。
「そんなとこに突っ立っとらんと、早う食え!」
おばあは声を張り上げた。たとえ僕が食べるものでも、料理が冷めることをおばあは嫌う。だから急がせているのだろうか。
おばあの剣幕に押され、僕は席に着くなり箸を取りそばをすすった。すると、
「もっと、がばっとつかんで、さっさと食べんかい!」
と檄が飛ぶ。
そんなこといわれても、できたてのそばは熱い。ぬるい番茶の湯呑を片手に、僕は「がばっとつかんだ」そばをすする。早く平らげてほしいなら、なんでカマボコが5枚もあるんだ。それにそばの底から、鶏肉がどんどん湧き出してくる。ダシには鶏肉のうま味が濃厚に溶け込んでいて、ゆっくりと味わいたいおいしさだ。どんぶりを両手で傾けてダシをすすると、
「そばだけでも、早う食え!」
とおばあが叫ぶ。
僕はそばを一本残らずすすり切った。そして鶏肉を口に運んでいると、部屋の中に冷たい空気が流れ込んできた。風の来るほうに目をやると、おばあが開け放たれた窓の前に立っていた。遠くの方から鐘の音が聞こえてくる。おばあは振り向き、
「あけましておめでとう」
といい、僕も同じ言葉を返した。
「お前も、去年のうちにそばを食べたから、今年も病気せんと暮らせるな」
とおばあはいった。僕の健康を気づかってくれるなら、風邪をひく前に、寒い空気が入ってくる窓をさっさと閉めてほしかった。だけど、僕は黙ったまま、去年の干支である鶏の肉を食べながら鐘の音を聞いていた。