お節料理は一皿だけ! 雑煮の汁は年越しそばのダシ? おばあのお手軽元旦メニュー

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新年の朝の光を浴びながら、おばあの家に歩いて向かう。もう太陽の位置はかなり高いけど、まだなんとか朝といえる時間帯だ。路地に人影はなく、やわらかく降り注ぐ陽光の温かさも、頬や耳を突き刺さす空気の冷たさも心地いい。

元日はおばあと一緒に朝ごはんを食べる。お年玉をもらっていたころから続いている習慣だ。30代にもなると、年に一度のお年玉よりも毎日、食事をつくってくれることが何よりもありがたく感じる。

「朝に来い、いうたのに、いつまで寝てたんや!」
居間の戸を開けると、おばあがいきなり声を張り上げる。新年早々、寝坊で怒られるのは毎年の恒例行事。ひとしきり愚痴を吐くと、おばあはイスに座ったまま僕に向き直り、
「あけましておめでとう」
と頭を下げる。これも毎年変わらない、元日のルーティンだ。

僕が新年のあいさつを返すと、おばあはイスから立ち上がる。灯油ストーブの上で焼いている丸い餅をひとつ、素手でつかんで台所に向かった。

丸餅入りの雑煮をお椀につぐおばあ

鍋の中の透き通ったダシの中に丸餅を投入。軽く煮立たせ、具材とともにお椀によそう。

おばあがつくった雑煮(丸餅と鶏肉と春菊入り。ダシは年越しそばと同じ)

メニュー
・雑煮
丸餅、春菊、鶏肉、カマボコ
・ひと皿おせち
紅白なます、酢ごぼう、酢レンコン、数の子、黒豆煮(フジッコ?)

雑煮のダシには、鶏肉の脂がたっぷり浮かんでいる。それが新年の陽の光に照らされ、朝焼けの海のようにきらきらと輝いている。ピンクのおめでたい柄の袋から割りばしを抜き取り、餅をつかんで口に運ぶ。ストーブの熱で水分が飛んだ表面には、鶏の脂とダシが染みている。

おばあの家で食べる丸餅は弾力があって、あまり伸びずに噛み切れる。噛めば噛むほど甘みが出てきて、ダシのうま味と一体になる。濃厚な鶏のうま味が効いたダシは、すすらずにいられない。

このダシは大晦日に食べた年越しそばと同じものだろう。春菊やカマボコも、年越しそばの具材とまったく同じだ。あれから鶏肉を追加したらしく、さらにうま味が増している。

「年越しそばのダシが、もっとおいしくなってるな」
僕は味を褒めたのに、おばあの顔は険しくなった。
「年越しそばとちゃう! これは雑煮や!」
「でも、ダシは同じ――」
「同じとちゃう! 雑煮や! そんな細かいこと気にせんでええ」
とおばあは強い口調でいい張る。

違う料理なのはわかるけど、ダシも具材も同じものとしか思えない。どうしておばあは事実を認めたくないんだ。とはいえ正月からいい争うのも嫌なので、僕は黙って餅をもぐもぐ噛んでいた。

おばあがつくった紅白なます、酢ごぼう、酢レンコン(買ってきた数の子と豆の甘露煮)

「正月の食べもん、こしらえるのえらいから、今年はあんまりないで」
とおばあがいう。雑煮のほかにおせち料理は、ひと皿ぶんしかない。だけど、カラフルなおかずが5種類も盛られている。酸味の効いた根菜の3品に、塩味の数の子、甘い黒豆煮と、多彩な味と食感が楽しめる。

「これだけあれば、じゅうぶんやで」
僕がいうと、おばあはさっき謙遜していた割に、「そりゃそうやろ」とでもいいたげに深くうなずいた。
「こんなんでも、朝から全部こしらえるの、えらかったわ」
強がりのおばあが珍しく、大変だったと口にする。だけど「全部こしらえた」というのはちょっとおかしい。酸味のある3品は手作りだろうけど、黒豆は普段から買ってきているし、数の子だって市販品のはずだ。それを僕が指摘したところで、細かいことは気にするなと、さっきみたいに怒られそうだ。

お雑煮の餅がやけにべとついて、歯の裏側に張り付く。たしかに、お雑煮もおせちも、つくってくれたことのありがたさに比べれば、僕の頭に浮かんだ疑問なんてどうでもいいことだ。

料理を食べ進み、最後のごぼうを口に入れる。口を動かすと、耳の奥でぽりぽりと小気味いい音がした。