「おばあ 84才 おたんじょうび おめでとう」 誕生日のホールケーキと牛肉の焼いたん

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おばあの家の冷蔵庫はいつも中身がスカスカで、ホールケーキが入った箱もメインの冷蔵室に楽におさまる。冷蔵庫の容量は5人ほどの家族にも対応できる3段式。そこにおばあと僕の2人分の食材を入れているから空間に余裕がある、というのも理由のひとつだけど、ものをため込むのを嫌うおばあの性格によるところも大きい。おじいの形見の大工道具でさえ、おばあはすぐに大半を処分してしまった。

知り合いから食材や料理をせっかくもらっても、一度に食べきれない量だと、冷蔵庫にものが溜まるから困ると、あとでぼそっと僕に文句をいう。だけど僕が今晩、おばあのために買ってきた4号のホールケーキは、一度に食べきれなくてもよろこんでくれるはず。何しろおばあは、暇さえあればチョコレートや飴、ようかんなどを口にせずにはいられない大の甘党なのだ。虫歯になっても甘い物を減らさず、総入れ歯になって20年近く経つ。今までよく糖尿病にかからなかったと思う。

僕はケーキが入った箱を抱え、居間の戸のあいだから顔を出し、中の様子をうかがった。おばあがテレビに集中している隙に居間を通って台所に行き、ケーキをこっそり冷蔵庫にしまう。それから台所の脇の洗面所に寄って、いつも通り手を洗い、何食わぬ顔で居間に戻った。

和牛の肉を焼いたものやタケノコの煮物など、祖母(おばあ)が自分の誕生日に用意した晩ごはんのメニュー

メニュー
・和牛のいい肉の焼いたん
・たけのこの煮物
・たまご豆腐
・サラダ
生:玉ねぎ、ミニトマト、春キャベツ 茹で:ブロッコリー、アスパラガス、ほうれん草
・ごはん

テーブルに並んでいたのは思った通り、スペシャルなメニューだった。

祖母(おばあ)がつくったタケノコの煮物

たけのこの煮物や

たまご豆腐

たまご豆腐、

祖母(おばあ)がつくった玉ねぎ入りのサラダ

玉ねぎ入りのサラダはいつもと変わらないけど、

和牛肉の焼肉

何といってもすごいのはメインの牛肉だ。皿に山盛りになったひと口サイズの牛肉は、透き通った脂が表面を覆い、絶妙な焼き加減と相まってところどころ黄金色に輝いている。焼いてもわかるほどはっきりと脂のサシが入っていて、見るからにやわらかそう。これはおばあがごくたまに買ってくる和牛のちょっといい肉だ!

おばあは僕が席に着くのを待ちきれないらしく、すでに牛肉をほおばっていた。ゆっくりと口を動かし、幸せそうに目を細めて久しぶりの牛肉を味わっている。おばあが牛肉をたまにしか買ってこないのは、総入れ歯でも噛み切りやすい和牛の肉しか食べないからだ。さすがにおばあも高価な和牛の肉をしょっちゅう買ってくる余裕はない。

僕もひと切れを口に運ぶ。舌に乗せた瞬間に甘味を感じ、軽く噛めば肉がほどけ、うま味が凝縮した肉汁が染み出してくる。もう1つ、2つと口に入れ、ごはんをかき込む。タレに漬け込んでもいないし、つけダレも用意していないのは、上質な牛肉そのものの味を塩だけで堪能したいからだろう。濃いめの味付けが好きなおばあも、この牛肉だけは軽く振った塩だけで味わいたいのに違いない。脂がしつこくなくさらっとしてるので、いくらでも食べられそうだ。

おばあの食べるペースはいつもより早く、僕とほとんど同時に食べ終えた。すると、
「お前、あれを買うてきとるんやろ?」
おばあがテーブルの向かい側でいった。
「あれって何や?」
僕はとぼけてみたけど、
「ケーキや! さっき冷蔵庫に入れとったやろ!」
と怒鳴られた。僕がおばあの誕生日ケーキを買ってきていたことはお見通しだったのだ。いくつになっても、おばあにはかなわない。80代も中盤にさしかかり、目も耳も鼻も感覚が鈍くなってきているのに、僕の隠しごとを察知する勘だけは冴えているから不思議だ。

祖母(おばあ)の84歳の誕生日に買ってきたケーキの箱

冷蔵庫から箱を持ってきて、4号のホールケーキを取り出す。

祖母(おばあ)の84歳の誕生日に孫の僕が買ってきたケーキ

ホワイトチョコのプレートには、商店街のケーキ職人に書いてもらった達筆のメッセージ。長いろうそく8本と、短いろうそく4本をケーキに立て、おじいの仏壇から拝借したマッチで火を点ける。線香に毎朝、火を点けているおばあも慣れた手つきで手伝ってくれた。部屋の明かりを消して――

84歳の誕生日ケーキに立てたろうそくの火を吹き消すおばあ

ろうそくの火をおばあが吹き消す。一息というわけにはいかなかったけど、思ったより肺活量があって、3回ですべて消してしまった。するとおばあは僕よりも素早く暗闇の中で立ち上がり、壁際の電灯のスイッチを押し、台所に向かって行った。

バターナイフで誕生日ケーキを切るおばあ

僕がケーキのろうそくを抜き終わると、おばあが皿にバターナイフとスプーンを乗せて戻ってきた。テーブルの脇に立ったまま、バターナイフを手にするとためらうことなくケーキに突き刺した。切り分ける大きさや形を考えるのももどかしいという感じで、切れ味の悪いバターナイフを無理やり動かす。

つぶれた誕生日ケーキ

最後は切り分けるというより、引きちぎるようにケーキを皿に取った。

つぶれた誕生日ケーキを手で食べるおばあ

指を使って大きなかたまりをスプーンに乗せて口に運ぶ。左手の全ての指にクリームがべっとりとついて、手づかみで食べているのと変わらない。

誕生日ケーキのチョコレートを食べるおばあ
チョコレートのメッセージプレートも指でつまんで平らげる。皿の中のものがなくなり、いよいよ僕にも切り分けてくれるのかと思っていたら、

ホールケーキを直接食べるおばあ

なんとおばあは直接、残ったケーキにスプーンを突き立てた。そして4号のホールケーキをぱくぱく食べはじめた。

ホールケーキを直接手づかみで食べるおばあ

手づかみでも食べて、おばあは満足そうに指をなめた。やっと僕にケーキを分けてくれるのだろうか。ところが、よく見るとテーブルには僕のぶんの皿がない。はじめからおばあは一人で食べるつもりだったのか。いつもだったら抗議をするけど、今日はおばあの誕生日だから、いい合いになるのも避けたい。僕がどうしようか迷っていると、おばあはまた立ち上がり台所に向かった。

どうやら僕は心配しすぎていたらしい。おばあは僕の皿を持ってくるのを忘れていたので、取りに行ってくれたのだろう。しかし居間に戻ってきたおばあの手には――

残ったケーキにラップをかけるおばあ

四角く細長いラップの箱が握られているのだった。おばあは無言で残ったケーキをラップで包み、それを両手で大事そうに抱え、また台所に消えていった。

おばあが直接スプーンや手づかみで食べた、ケーキの残りなんて口にしたくない。それにケーキはおばあのために買ってきたのだから、おばあが全部、好きなように食べてしまったらいいんだ。そう思い込もうとしても、さっきから頭から離れない、手づかみでケーキをおいしそうにほおばるおばあの顔が、時間が経てば経つほど憎たらしく思えてくるのだった。