おばあが風習を打ち破る、晩ごはんに食べる年越し蕎麦!正月らしいあの海老も

スポンサーリンク

玉子や椎茸が入った年越しそばなど、大晦日の晩ごはん

メニュー
・年越しそば(おんち「藪蕎麦」)
春菊、たまご、シイタケ
・酢レンコン
・温奴
・タケノコとこんにゃくの煮物
・サラダ
生:玉ねぎの醤油漬け、ミニトマト、キャベツ 茹で:ブロッコリー、アスパラガス、ほうれん草

大晦日の晩ごはんは、なんと年越しそばだった! そんなの日本中どこの家でも食べてるじゃないか、何が珍しいんだ、と思われるかもしれない。たしかに僕も、おばあ家で毎年食べている。

でもそれは、日付が次の年に変わる真夜中のこと。夕方に軽めの晩ごはんを済ませ、紅白歌合戦が終わるくらいにまたおばあの家にやってきて、年を越しながらそばを食べるのである。夕飯のタイミングでそばが出るというのは、これまでのおばあの家の習わしからすると、ちょっと早すぎる。

それに今までなら、出来たてでアツアツのやつをフーフーしながらすすっていたのに――

生シイタケと玉子と春菊が入った年越しそば

湯気が全く出ないほど冷めていて、そばを箸で持ち上げると、ぽろぽろと千切れてしまった。よりによって温かいそばを、何でつくり置きしておくんだよ。しかも一年のしめくくりに味わう年越しそばを……。

つゆをすすると思った以上にぬるく、具材でもある生シイタケのダシが効いていて、おいしかった。この味で、やけどするほどゆつは熱く、そぼが茹でたてだったらと考えると、残念でならない。そもそもどうして、年越しそばを出すタイミングが、これまでとは違うんだ。

一体、何を考えてるんだ、おばあ! と叫んで問いただしたいところだけど、ぐっとこらえた。気に入らんのなら、食うな! と僕より3倍は大きな声で怒鳴り返されるのに決まっている。年の瀬にもなって、喧嘩するなんてバカバカしいし、ここは僕が大人になって、黙っておいてあげるのだ……決しておばあにいい負かされるのが怖いわけじゃない。そう自分にいい聞かせながら食べ進める。

祖母が作って大晦日に食べた酢レンコン

他のおかずは、正月に出す酢レンコンをもう用意しているし、

祖母(おばあ)が作って大晦日に食べた豆腐

豆腐を温めた、温奴もある。

祖母(おばあ)が作り、大晦日に食べたタケノコとコンニャクの煮物

そして、よく味の染みたこんにゃくとタケノコの煮物も。これだけおかずをつくる手間をかけるなら、どうしてそばをつくり置きしていたのだろうか。やっぱりわけがわからない。向かいの席のおばあはというと――

年越しそば(藪蕎麦)を箸で掴んでいる祖母(おばあ)

伸びきったそばの束を、箸で器用につまみ上げ、

年越しそば(藪蕎麦)を食べている祖母(おばあ)

捉えた獲物にバクっとかじりつくように口に入れ、84歳とは思えない肺活量で一気にすすり込んだ。

祖母(おばあ)が大晦日に食べたご飯

それから茶碗に手を伸ばし、そばをおかずにごはんをガツガツかき込んだのだった。その様子を目の当たりにした僕はつい、
「食べすぎやでおばあ」
と口に出してしまった。おばあは食べ物のことで人から指図されるのを何よりも嫌う。結局僕は、大晦日に怒られる羽目になるのか、と暗澹とした気持ちで伸びたそばに目をやると、おばあが立ち上がった。さあ、怒鳴り声がふってくるぞ、と覚悟して見上げると、おばあは意外にも穏やかな表情で
「ええもんもらったから、茹でたんや。持ってきたるわ」
といい残し、台所に向かっていった。

ええもん? 茹でた? どういうことだ。一年の最後の日に食べる、茹でるものといえば……そばならすでに目の前にある。おばあの好物のトウモロコシでももらったのか。トウモロコシの旬は夏だけど、ハウス栽培か何かで冬に採れる、お菓子のように甘くて高級なやつをもらったのかもしれない。それなら〝ええもん”を〝もらって”〝茹でた”というのも納得できる。

一粒ずつが丸々と大きく、黄色が濃くて、見た目もいいのだろうと期待して待っていると、おばあが戻ってきた。手にした皿に乗っているのは、真っ黄色で丸く……ない! それどころか真っ赤で、やたらとごつごつしている。これは、巨大なエビ、まさか……伊勢海老!

大晦日に食べた茹で伊勢海老

「生きたまま届いたから、ゆがくのに苦労したわ」
おばあはいいながら僕の目の前に、怪物のようなエビが乗った皿をドサっと置いた。そして満面の笑みで見下ろしてきた。
「だ、誰がくれたんや、こんなの?」
と僕はうわずった声でたずねた。おばあは機嫌がよさそうなので、快く答えてくれるだろうと思ったけど、
「誰でもええやろ!」
と声を荒げた。何でそこは教えてくれないんだ! まさか、自分で買ってきたってことはないよな……。こんな見事な伊勢海老、いくらするのか見当もつかないけど、おばあの家に届く贈りものとしては、立派すぎる気がする。それに、食べることを無上の楽しみとするおばあのことだから、正月を目前に奮発したということもあり得る。ひいきの魚屋ですすめられ、一匹だけ買ってきたのかもしれない。ところがおばあは、僕が何もいっていないのに、
「知り合いにもろたんや!」
と続けていい張る。ますます怪しい。

いくら聞いても教えてくれそうにないので、ひとまず食べてみることにする。とはいうものの、どうやって食べるんだ、これ? つかんでみると、ずしりと重い。
「尻尾のほうを持って、思い切りひねるんや。そんで柔らかいとこに、包丁入れたらええねん」
そういっておばあが包丁を手渡してくれた。やけに詳しいのはなぜだろうと疑問に思いつつ、いわれた通りにする。そして身から殻をはがすと、

大晦日に食べた伊勢海老の身とミソ

ブラックタイガーの20倍は大きい身が姿を現した。頭の方もおばあが指図した通り、穴が開いたところに指を入れて上下に引きはがすように力を込める。すると中には、カニよりも黄色いミソがたっぷりと詰まっていた。そこに身を付けてかじると、ぷりぷりの歯ごたえの淡泊なエビの味わいに、濃厚なミソのうま味が加わって、もう、たまらない!

年越しそばが冷めて伸びているのなんて、どうでもいい。昨年までの習慣を破って、晩ごはんに年越しそばが出てきたのも構わない。大晦日に伊勢海老を食べるという、これまでになかったうれしい体験ができたのだ。

そばよりも豪勢で、一年を締めくくりに食べれば、来年は今年よりもさらにいいことがありそうだ。ありがとう、おばあ。本当にもらったものならおばあの人徳だし、買ってきてくれたのならそれはそれでありがたい。

もう一口かじろうとしたところで、僕は思いとどまった。おばあの分も残しておかないと。食べかけた伊勢海老の身を皿に置くと、
「一人で食べたらええんやで」
とおばあはいう。今年もさんざん怒られてきたけど、最後になんてうれしいことをいってくれるんだ。
「ありがとう。でも、ここは半分ずつ食べよう」
そういって僕は、大きな身を半分ずつに切り分けようと包丁に手を伸ばした。するとおばあは、
「せやから、ええねん。もう先に、一匹食べたんや!」
といった。伊勢海老は2匹もあったのか。だったら、巨大な伊勢海老を平らげたあとに、そばやごはん、おかずを頬張っていたのか!?
「それはやっぱり、食べすぎやでおばあ」
と僕は叫んだ。