食卓の真ん中で、フタをしたアルマイトの鍋が鈍く光っている。どうしてこの鍋が、ここに…!? おでんの土鍋でもなく、すき焼き用の鉄鍋でもない、おばあがよくみそ汁をつくっているこの鍋がテーブルに出ていたことなんて、10年近く一緒に食事をしてきて一度もない。そして中にはやっぱり、みそ汁が入っているとしか思えない。
というのも、鍋をはさんで、僕とおばあのそれぞれの席には――
正月の残りの酢レンコンや酢ゴボウ、焼き魚といった和風のおかずに囲まれて、空のお椀が用意してある。
これも普段、みそ汁を入れている器だ。テーブルの鍋から直接、みそ汁をよそうなんて、わけがわからない。アツアツの状態で出したいなら、食べる直前に台所で入れてきたっていいわけだし、みそ汁はそんなに何杯もお代わりしたりしない。僕は大好きな豚汁でも、せいぜい2杯くらい。おばあがお代わりしているのは見たことがない。
ということは……ここに入っているのはみそ汁に代わる、何杯も食べたくなるような絶品の汁物とでもいうのか!? どうなんだ、おばあ! 僕はテーブルに両手を突き、向かいのおばあの顔をじっと見つめた。鍋のフタは、いつもおばあが取ることになっている。なぜか僕が手を出すと「余計なことすな!」と怒られてしまうのだ。
おばあは僕の視線にもかまわず、ゆったりとした動作で身を乗り出し、鍋のフタを取り上げた。すると中には――
緑の野菜が浮かんだ、味の濃そうな…
「なんで、みそ汁やねん!」
僕が思わず声に出すと、おばあは〝そんな問いは想定済みだ”とでもいうように落ち着き払って、
「みそ汁とちゃうで。今日はこれを食べる日や」
と鍋に突っ込んであるお玉に手を伸ばした。それを引き上げると――
緑の野菜のほかに、大根や鶏肉、そして大量のごはんが現れたのだった。これは一体…みそ汁にごはんを投入して煮込んだだけの、実にシンプルな、みそ汁雑炊とでも呼べばいいだろうか? みそ汁とごはんだから合わないわけはないし、たしかにおいしそうだけど、別々でもいいいものを、なぜわざわざ一緒に煮込んだのだろうか? それにさっきおばあがいった〝これを食べる日”とはどういうことだ?
みそ汁雑炊を食べる日なんて、聞いたこともない。新しくそんな日ができたとは思えないし、僕が知らない田舎の風習を、おばあが突然思い出したのか? どうなんだ、おばあ! 僕がまたテーブルに両手を突くと、
「早よ、お椀を出せ!」
とおばあがぴしゃりと命令した。いわれた通りにすると、おばあはそれを取り上げ、
メニュー
・みそ汁雑炊
緑の野菜、大根、鶏肉、油揚げ、ごはん
・知らん魚の焼いたん
・酢レンコン
・酢ゴボウ
・大根おろし(かつお節のせ)
・サラダ
生:玉ねぎの醤油漬け、ミニトマト、キャベツ 茹で:ブロッコリー、アスパラガス、ほうれん草
汁を一口すすると、いつもよりみそとダシが効いていて、煮込んだごはんのとろみもあって濃厚な味わい。ずるずるとかき込めば、体の内側から温まってくる。ごろごろと入っている鶏肉もうまい。そして、緑の野菜はひとつではなく、茎の太さや葉の形はさまざまで、やけに多くの種類が入っている。太い茎を箸でつまんでいると、
「それは、七草や!」
とおばあがいった。
「七草って、あの七草粥のことか!?」
「そうや! ほかに何があるねん」
そうか、今日は七草粥を食べる日か! ということは、このみそ汁雑炊が、今年の七草粥なのか!? でもこれは、米から煮た粥ではなくて、炊いたご飯を煮込んだ雑炊だし、正月に食べ過ぎて疲れた胃腸を休めさせる、七草粥本来の効果は期待できない。むしろ胃腸をフル稼働させることになる。
味は濃いめで、鶏肉まで入っていて、なにしろ目の前の湯気を立てる鍋にはまだまだ大量に残っているのだ。僕は最近、太り気味なので、ごはんは一杯で我慢しているけど、こんなことされるとお代わりせずにはいられない。おばあが許してくれるなら、今日は腹いっぱい食べてやる! さっそくお椀を空にして、鍋に目をやると、おばあが一足先に2杯目をお玉ですくっているところだった。
目が合うと、おばあは黙って頷いた。〝正月はもう終わったんや! 休んでる場合とちゃうで。しっかり食べて仕事頑張れ!”と、おばあの大声が頭の中に響いてきたような気がした。