おばあがついにお盆にボケた!? アジの開きと、新種の精霊馬

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アジの開き、ナスとピーマンの煮もの、納豆など、おばあがつくった晩ごはんのメニュー

メニュー
・アジの開き
・ナスとピーマンの炊いたん
・納豆(卵黄入り)
・白菜キムチ
・サラダ
生:キャベツ 茹で:ブロッコリー、アスパラガス、ほうれん草
・ごはん

おばあは家にいるあいだじゅう、テレビをつけっぱなしにしている。今日も僕が夕飯を食べに居間にやってくると、おばあはイスから前のめりになって、色鮮やかに点滅する画面に集中していた。そばに立つ孫に一瞥もくれず、釘づけになるほど、何がそんなに面白いのか。画面の中では、アニメの少女と巨大モンスターのバトルが繰り広げられていた。

それがスマホゲームのCMだと、おばあはたぶん理解していない。見開かれた両目の視線は一点にそそがれ、口はだらしなく半開き。これでよだれでも垂らしていたら、救急車を呼んで近くの脳神経外科に直行させていることは確実だ。

だけど、おばあはボケてなんかいない。小さな子どもと同じく、派手な映像に反応して、目を奪われてしまっているだけだ。最近、足腰はすこし衰えてきているけど、まだまだ頭は達者なはず。でなければ、5品も6品も毎晩、料理を用意することなんてできない。

認知症になると、料理がうまくできなくなるという。その予防と改善を目的とした、「料理療法」なるものもある。おばあが毎晩、前日とメインがカブらないように、手を替え品を替え、料理をつくってくれているうちは大丈夫! 今日だって、食卓の上には、立派なアジの開きや、ナスとピーマンの煮もの、卵黄入りの納豆など、食べ合わせも栄養バランスもばっちりな献立が並んでいるじゃないか!

だけど、そうはいっても、スマホゲームのCMを、意味もわからずボーッと眺め続けているおばあの様子を目の当たりした今、落ち着いて「いただきます」と手を合わせているわけにはいかない。

愛媛の山奥で育ったおばあは、魚の名前をほとんど知らない。名前も知らずにテキトーに買ってきた魚を、フィーリングで煮たり焼いたりしていることがよくある。それでもキング・オブ・日本の大衆魚、アジくらいはわかるだろう。これが「知らん魚」というなら、救急車を呼んで近くの脳神経外科に直行させてやる。

おばあの脳をテストするため、僕は目の前に横たわる大きなアジの開きを、箸で指しながらたずねた。
「これは、なんて魚やったけ?」
「そんなん、わかるやろ!」
おばあは声を荒げてムキになっている。なんだか、怪しい。
「俺はわかるけど、おばあがわかってるかどうか、聞いてんねん」
「人をバカにするなや! わかるわ!」
「じゃあ、なんやねん? 言うてくれや」
「アジや! アジの焼いたんや!」
よかった! ひとまず脳神経外科のお世話になる必要はなくなった。僕は心の中でガッツポーズを、しそうになったところで、おかしなことに気がついた。おばあは「アジの焼いたん」といった。どういうことだ。アジを腹からさばいて乾燥させた〝開き”ではないのか。おばあのいい方だと、塩焼きみたいだ。

皿にのっている大ぶりのアジは、焼き目のついた皮が上を向いている。もしかしてこれは、ほんとうに〝開き”ではなく、生のアジを半身にさばいて、塩焼きにしただけのものなのか。

おばあが夕飯に出した巨大なアジの開き

アジを裏返してみると、骨のある断面は、身が締まっていて、乾燥した白身魚特有の茶色っぽい色をしていた。やっぱり〝開き”で間違いない。もう直接、聞いてみずにはいられなかった。
「これ、アジの開きとちゃうんか?」
「そんなん、どっちでもええ! はよ、黙って食えや!」
ついに、大声でキレられた。おばあにとって、魚は生でも〝開き”でも「どっちでもええ」のか。けっこう大きな違いだと思うけど。

疑問は残るけど、お腹も減っているので、僕は手を合わせて食事をはじめた。

裏返した身に箸を入れると、透明なエキスが染み出してきた。口入れた瞬間、その液体に濃縮されたうま味が、舌の上に広がり唾液をあふれさせる。塩気と身の固さもちょうどいい。このアジの開きは、サイズが立派なだけでなく、質もいい。そのおいしさが、絶妙な焼き加減で、存分に引き出されている。料理の腕前が急激におちるはずの、頭がボケた状態で、こんな焼き方はできないだろう。

おばあがつくったナスとピーマンの煮もの

ナスとピーマンの煮ものも、醤油と砂糖で甘辛く、定番の味付けがされている。砂糖と塩が間違えて入れられていることもない。むしろすこし薄味で、味をみながら繊細に調味料を加えた感じさえする。

食べすすめるほどに、「おばあの頭は、まだまだしっかりしている」という気持ちが強くなり、満腹感と安心感で身も心も満たされていった。

台所でスイカを切って、食べようとしているおばあ

食後におばあが、空になった食器を持って台所に行った。なかなか居間に戻ってこないので、見に行ってみるとおばあは、流し台でスイカを一口サイズに切っては、つぎつぎと口に放り込んでいた。

晩ごはん後に、おばあが切ってくれたスイカ(2切れ)

僕のぶんも、大ぶりなものを2切れ、皿にのせてくれた。

重たいスイカを、おばあが買ってきたのだろうか。聞いてみると、おじいの仏壇のお供えにと、知り合いが持ってきてくれたのだという。そうだ。もう、お盆だ。そして明日は、おじいの月命日だった。

おばあが、お盆のお供えに用意した、キュウリ、ナス……ピーマン!?

スイカを平らげた僕は仏間へ行き、おじいの仏壇に線香をあげた。手を合わせて、顔を上げると、遺影のそばにお供え物があった。夏野菜だ。でも、お盆の野菜といえば普通、足を4本つけて、動物に見立てて供えるものではないのか。

足の生えたキュウリは馬を表していて、先祖が早くあの世から現世にやってくることを願い、ナスは牛を表し、ゆっくりと帰っていくことを願っている。つい先日、おばあと一緒に見たテレビの特番で、池上彰がそういっていたじゃないか。おばあはやはり、ボケはじめているのか……。

居間のテーブルに野菜を持っていき、おばあにうったえた。
「これやったら、夏野菜を供えてるだけやで。おじいは野菜、きらいやったやんか。こんなんおじいからしたら、嫌がらせやで。ちゃんとここに帰ってこれるよう、足を生やしたってや」
「そんなん、どっちでもええ! お前、やったれや!」
おばあはまた、大声を出し、僕をにらみつけた。納得いかないけど、おばあがそういうなら、僕がやるしかない。

おばあがお盆に用意した精霊馬(キュウリ、ナス、ピーマン!?)

夏野菜に4本ずつ爪楊枝を刺していると、心が落ち着いてきた。僕もおばあと一緒に池上彰の特番を見ていたのに、お盆とか、野菜のお供え物のこととか、さっきまで完全に忘れていた。それを覚えていたおばあの頭は、やっぱり問題なさそうだ。

ただ、キュウリとナスはわかるけど、ピーマンというのは一体……どういう意味があるのか。足をつけると、ずんぐりとした体格の猪みたいだ。おばあに聞いてみようと思ったけど、どうせまた怒鳴られるだけだろう。僕は黙って、野菜でつくった馬と牛と猪を、おじいの仏壇に供えた。