ズズズズズ!っと、居間の戸を開けたとたんに、地鳴りような異音がひびいてきた。音の発生源は、食卓に着いたおばあの口元……ラーメンだ! おばあがインスタントラーメンを食べているのだ!
おばあは目の前の大きな丼ぶりに、狙いをさだめたように箸を差し込み――
大量の麺をガバっと引き上げる。そして――
獲物を飲み込むカエルのように、大きく開けた口に押し込んで……ズズズズズ!っと一気にすすり、もぐもぐと総入れ歯で噛みくだく。
麺はおばあ好みの〝やわらかめ″に仕上がっているのだろう。半目をつむった幸せそうな表情で味わっている。それをごくりと飲み込むと――
また麺を引き上げては、
84歳とは思えない肺活量で、勢いよくすすり込んだ! かと思うと突然――
動きがぴたりと止まった。どうやらむせそうになっているのを、じっとこらえているらしい。
「大丈夫か、おばあ!?」
僕があわてて湯呑にお茶を入れて差し出すと、ひと口飲んで、
「熱いわ! 殺す気か!」
おばあは充血した目をひんむいた。
本気でいっているのか、おばあ。そんなん、ゆっくり冷ましてる場合ちゃうやろ! ピンチのおばあを助けようと茶を出した僕が、なんで怒られなあかんねん! 口の中のものが変なところに入って誤嚥性肺炎にでもなったら、それこそ死んでしまうかもしれへんやんけ! と腹が立ったけど、僕は何もいわなかった。
おばあが食べているラーメンが何なのか、気がついたからだ。口喧嘩なんてしている場合じゃない! あの細く縮れた、少し平たい、黄色がかった麺は、自炊していたころにしょっちゅうお世話になっていた〝元祖鶏ガラ″のあれしかない!
僕は席を立ち、早足で台所に向かった。流し台に乗っていたのは――
やっぱりそうだ! 懐かしのチキンラーメン! お湯をかけて3分で出来上がる、しかもおいしい一人暮らしの必需品だったけど、8年ほど前から、毎日おばあの手料理を食べるようになって、まったく口にしていなかった。
とはいえおばあも、たまにインスタントラーメンを夕飯に出す。ざっと覚えているだけでも、エースコックのワンタンメンにわかめラーメン、サッポロ一番塩ラーメン、生麺の尾道ラーメン、冷凍の横浜あんかけラーメン、マルちゃん正麺、日清ラ王などなど、いろんな種類があった。でもチキンラーメンは、なぜか一度も買ってきたことがなかった。
おばあはインスタントラーメンが好きなのに、その原点ともいわれるチキンラーメンの味を知らなかったのだ。
そのおばあが数日前、
「今やっとる朝のドラマは、ほんまの話なんか?」
と聞いてきた。
〝朝のドラマ″とは、NHKの朝ドラ『まんぷく』のことである。すべてが〝ほんまの話″というわけではないけど、日清の創業者、安藤百福の半生をモデルにしている、ということを僕は伝えた。
「それに、ドラマに出てきた〝まんぷくラーメン″は、今もそこらで売ってる日清のチキンラーメンが元になってるんやで」
と説明すると、
「そんなえらい昔のもんが、今も売ってるわけあるか」
とおばあは笑って取り合わなかった。
「だからその、ドラマでやってた最初のインスタントラーメンが、今も売られてて、しかも人気やというのがすごいんやんか」
僕はそう力説したけど、おばあは聞く耳を持たず、笑って聞き流していた。思い込みの強い頑固なおばあには、何をいってもムダだ。そう思って、おばあに新し知識を授けるのをあきらめたのと同時に、チキンラーメンが無性に食べたくなっていたのだった。
僕はおばあを誤解していた。おばあは話の通じない頑固者なんかじゃない。ちゃんと僕の話を聞き入れて、チキンラーメンを探して買ってきたのだ。ごめんよ、おばあ、そしてありがとう! これで僕も、久しぶりにチキンラーメンが食べられる!
こぶしを握りしめて天を仰いでいると、
「お前、そんなとこ突っ立って何してんねん」
背後からおばあの声がして、目の前に皺だらけの手が伸びてきた。そしてその手が――
丼ぶりのそばにあったたまごをつかみ、
勢いよくフチにぶつけて、
丼ぶりの上で素早く割った。
わかってるやんけ、おばあ! チキンラーメンといえばこれだよ、これ、生たまごだよ! そこに注ぐ湯は、コンロの上の鍋の中――
いや、これはただの湯ではない。何やら具材がたっぷり入っている。おばあは僕が来る時間を見越して、具材入りの鍋を火にかけていたのか! 驚く僕をよそに、おばあは淡々と鍋の中身を――
麺とたまごの入った丼ぶりに投入する。そして――
フタをして、
「さあ、持って行け。3分待つんやで、3分」
と念を押す。
いわれた通り、丼ぶりを食卓に運んで3分後、フタを取ったら――
メニュー
・日清食品「チキンラーメン」
生たまご、白菜、豚肉
・アスパラのベーコン巻き
・オクラのカツオ節乗せ
・紅白なます
サバ、にんじん、大根
・鶏の唐揚げ(ヒガシマル「揚げずにからあげ」使用)
・サラダ
生:トマト、玉ねぎの醤油漬け、キャベツ 茹で:ブロッコリー、アスパラガス、ほうれん草
おばあ特製チキンラーメンの出来上がり! 白菜と豚肉に囲まれたたまごの黄身と、嗅ぎなれた鶏ガラスープの香りが食欲をそそる。
たまらず箸をつかんで一口すすると……ああ、うまい! こんなにおいしかったっけ、と思うくらいおいしい。8年前より味に改良が加えられているからか、おばあが入れた具材がいい味を出しているからか。もう一口すすってみてわかったのは、どちらにしても、すごくおいしいということだけだ。
それにしても――
なんで鶏の唐揚げまであるんだ! しかもこの唐揚げ、フライパンで焼くだけでできる「揚げずにからあげ」という便利な粉をまぶしておきながら、それをたっぷりの油で揚げるという、手間暇のかかる方法でつくったやつだ。つい先日も、同じものを食べた。
インスタントラーメン、その中でもチキンラーメンは、スープが麺に練り込まれているので、粉末スープを小袋から出す必要すらなく、お湯をかけるだけでできるお手軽さがウリのはず。それなのに、おばあはまったく楽をしようと思っていないらしい。すごいぞ、おばあ。
唐揚げに加えて、なんという充実したおかずの数々よ……。
トマトや玉ねぎの醤油漬けが乗った、いつものサラダに、
サバ入りの紅白なます、
刻んだオクラにカツオ節を乗せたもの。さらに――
今ではすっかりおばあの得意料理になったアスパラのベーコン巻きまである。
チキンラーメンと、この豪華なおかずの組み合わせは……うれしいけど、わけがわからないぞ、おばあ。悩める僕をしり目に、おばあは平然と、
鶏の唐揚げをつまみ、口に放り込んだ。そしてすかさずーー
ほとんど麺のなくなった丼ぶりを持ち上げ、
ズズズズズ!っと、また盛大な音を立ててスープをすすった。そうか! と僕はひらめいた。鶏の唐揚げと、チキンラーメンの味がぴったり合うのかもしれない。おばあはこれまでも、意外な組み合わせのおいしいメニューを出してきた。そうだ、きっと鶏の唐揚げは、チキンラーメンの〝あと乗せ″の具材に違いない。
早速、乗せてみると――
これはいいぞ! ヘルシーさの微塵もない、ジャンクな感じがたまらない! 鶏ガラスープに生たまご、そして鶏の唐揚げまで乗せた、これぞまさしくチキンラーメン! おいしくないわけがない!
唐揚げをかじり、スープをすすると、濃厚な鶏の味わいがこってりとした油とともに口中に広がる。とても80代中盤のおばあと、アラフォーに足を踏み入れた男が食べる代物じゃない。運動部の学生にぴったりなハイカロリー、高塩分の部活メシだ。だけど、それがいい! たまにはこんなのを、思い切り頬張るのも最高だ。
おばあも同じように思っているのか、
「チキンラーメン、どうやった?」
と僕は感想を聞いてみた。すると、
「多すぎるわ、このラーメン!」
と吠えるような大声が返ってきた。
だけどおばあは決して、文句をいっているわけじゃない。その反対に、おばあなりのいい方で褒めているのだ。だって、その〝多すぎる″チキンラーメンを、唐揚げや他のおかずも食べながらーー
きれいに完食しているのだから。