おばあの家の戸を開けると、強烈にごはんが欲しくなる香りが漂ってきた。今晩のメニューは、おばあの得意な煮物!? いや、普通の煮物にしては、香りは醤油と砂糖を煮詰めたようにこうばしく濃厚。まさか……すき焼き! 今晩は僕の大好物、肉がたっぷり入ったすき焼きなのか!?
そう考えると、もうこの香りは、すき焼きとしか思えない! 靴を脱ぎすて居間に駆け込むと、テーブルにあったのは……醤油と砂糖を煮詰めた色の――
何なんだ、これは!? 細長いほうは、形といい白っぽい脂身といい……豚トロ!? そして黒くごつごつした固まりは、タケノコだ!? つくって3日めくらいの色だけど、昨日はなかったし、いきなりここまで煮詰めたのか!?
もしかして、火にかけていたのを忘れて、放置してしまったんじゃ……。それにしては、まったく焦げ臭くない。焦げる寸前で思い出して、火を止めたのか?
気になるけど、聞くのはやめておこう。得意料理の煮物を失敗しそうになったなんて、おばあもいいにくいはず。ここは何食わぬ顔をして、いつもの煮物だと思って食べてしまおう。
おばあはもう80代の半ばだし、これまでのようにはできないことが、どんどん増えてくるだろう。そうなると僕には、失敗を受け入れる心構えが必要だ。ことさらいい立てることなんてせずに、広い心で受け流して……と頭ではわかっていても、おばあがこれから衰えていくと思うと、心配でたまらなくなってくる。
とはいえ、今日の煮物以外のメニューは――
メニュー
・豚トロとタケノコの炊いたん
・高野豆腐
・ほうれん草のごま和え
・茹でもやし
・サラダ
生:玉ねぎの醤油漬け、キャベツ、ミニトマト
茹で:ブロッコリー、アスパラガス
・ごはん
衰えなんて感じさせない、完璧なものだ!
高野豆腐や、
ほうれん草のごま和えは、いつもと変わらない仕上がりだし、
茹でもやしには、珍しく黒ゴマまで振ってある。
さらにサラダのミニトマトは、器用に4分割されている。
やっぱりおばあは、煮物を失敗しかけたんじゃない! このこうばしく煮詰めた感じを、あえて狙ってつくったのに違いない!
この煮物をいつもと同じように食べようとしていた、頭の固い僕が悪かったんだ! 煮詰めた豚トロはこうやって――
ごはんに乗せれば、豚トロの豚丼だ!
茶碗を持ち、一切れ口に運ぶと……見た目の通り味は濃いめ。だけど、いや、だからこそごはんに合う! 豚トロのぷりっとした食感と、付け合わせのタケノコの歯ごたえのコントラストもたまらない!
「おばあ、これ、おいしいな!」
向かいの席に向かって、声を上げずにはいられない。食事を先に終えてテレビを見ていたおばあは、こちらに振り向いて――誇らしげに胸を張る――のかと思ったら、
「ごはんに何のせてんねん」
と眉をひそめた。
え? 違うのか、おばあ!? 煮物はこうやって豚丼にして食べるんじゃないのか!? と問い詰めたかったけど、おばあが得意料理の煮物を失敗しかけたのだとしたら、そういわれるのが何だか怖かった。
豚トロの豚丼が、おいしい! その事実だけでじゅうぶんだ! 僕は何も考えず、ただ目の前の料理に集中しようと、また豚トロを一切れ箸でつまんだ。