醤油味にはモチが合う? 「マルちゃん正麺 豚骨味」の納得できないつくり方

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居間の戸を開けると、「ズズーッ!」と排水溝が半分つまったような音が聞こえてきた。音の発生源は、すでにテーブルについているおばあだ。丼ぶりを抱え込むように背中を丸め、箸でつかんだ細い麺を噛み切ることなく一気にすする。

年を取ると、ものを飲み込む力が衰えるという。ところがおばあは83歳とは思えない肺活量と嚥下力で、スープをはね散らしながらすすった麺を、またたく間に飲み込んでいく。柔らかいものが好きなおばあは、麺を長時間煮込んでいるはずだ。口の中では勢いよくすすった衝撃だけで、麺はばらばらに千切れているのに違いない。

おばあが抱えている丼ぶりには、茶色く澄んだスープと、のど越しのよさそうな艶のある麺。生めんタイプの、醤油味のインスタントラーメンだろうか。見た目は店で出てくるようなクオリティでかなりおいしそう。中央には麺が絡んでひときわ目立つ、茹でたまごらしき丸くて白い具材がある。それをおばあが箸で挟むと、思いがけない柔らかさでぐにゃりとめり込んだ。

「マルちゃん正麺 醤油味」に餅を入れた、おばあのオリジナルトッピング

餅だ。よく見ると焼き目もある。正月の残りの丸餅を焼いて、インスタントラーメンに入れたのだ。箸を引き上げると餅が伸びる。それをおばあは、総入れ歯でパクりとかじる。一口の量は少なく、慎重に何度も噛んでいる。「もう、いつ死んでもええ」がおばあの口癖だけど、餅が喉に詰まって死ぬことは避けたいらしい。

いや、それだけじゃない。粘り気のある餅をゆったりと噛むおばあは、幸せそうに目を細めている。焼いた餅は醤油をたらして海苔で巻き「磯部餅」にして食べることもある。醤油ラーメンのスープに浸った餅というのは案外、おいしいものなのかもしれない。うどんに餅を入れた「力うどん」のように、餅を入れた「力ラーメン」を僕も食べてみたい。

無事に餅を飲み込んだおばあは僕を見上げ、「今日のは、せいめんや!」と、ひと言いった。「せいめん」といえば……「正麺」のことか! 今、おばあが食べているインスタントラーメンは「マルちゃん正麺」なのか! だとすれば、さらに期待が膨らむ。

かつて自分でつくって食べたことのある「マルちゃん正麺 醤油味」は、打ち立てのような麺と、醤油味のスープの相性が抜群で、とにかくおいしかったことを覚えている。

おばあは麺を一口すすって立ち上がった。さっそうと台所にすり足で歩いていく。「ついて来い!」と、いつもより大きく見える背中が語っている。今から僕のぶんのラーメンをつくってくれるのだ。

おばあが晩ごはんに用意した「マルちゃん正麺 豚骨味」

台所の流し台に用意されていたのはたしかに、袋入りの「マルちゃん正麺」だった。ただ、期待していた醤油味ではなく豚骨味である。なぜおばあは、わざわざ別の味を買ってきたのだろう。餅を入れるなら、醤油味のほうが合ってそうだ。とはいえ、醤油味の完成度の高さを考えると、豚骨味も僕の想像するインスタントラーメンのクオリティをさらに超えてくれるはず。

「マルちゃん正麺」の袋は、すでに上側がまっすぐに切り取られていた。おばあはそこから丸く縮れた麺の塊を取り出し、沸騰した湯の中に投入した。

お湯が沸いている鍋に「マルちゃん正麺 豚骨味」の麺を投入したところ

みるみるうちに麺がほぐれて広がりながら、鍋の中には細かな泡が湧き出してくる。

「マルちゃん正麺 豚骨味」の麺を茹でているところ

むくむくと増え続ける泡で、麺が見えなくなりそうになったところでおばあが動く。冷たい水で吹きこぼれを防ぐさし水でもするのか。いや、違う。コンロから鍋を持ち上げた。

「マルちゃん正麺 豚骨味」の麺が茹で上がったところ

沸き立つ鍋の中身を、シンクに用意していたザルの中にざっと流し込む。あたりは立ち上る湯気に包まれた。おばあの輪郭がぼやけ、そのまま魂が昇天していくように見え、湯気が消えるまで僕は茫然と立ちすくんだ。

「マルちゃん正麺 豚骨味」の茹でた麺をザルに入れたところ

湯気が消えるとおばあは、ザルを持ち上げ麺のお湯を切り

「マルちゃん正麺 豚骨味」の麺を丼に入れたおばあ

丼ぶりに移し替える。麺のゆで時間は1分少々。さし水をする暇もないくらい短い。湯気を立てる細麺は、見るからにコシというより芯が残っている。おばあは僕好みの固めに麺を茹でてくれたのだ。豚骨ラーメンの細麺は伸びやすいので、特に固めがいい。僕が店で注文するときのような見事な「バリカタ」に仕上がっている。

次はスープだ。小さな袋に入ったスープの素を入れ、お湯をかけるはず。そう思ったけど、流し台のどこにも小袋がない。

「スープは、どうすんねん」
僕が聞くと、おばあは
「もう、つくっとる!」
口出しも手出しも無用や! とでもいいたそうな鋭い口調で答えた。そして奥の方のコンロにのっている片手鍋に手を伸ばした。

「マルちゃん正麺 豚骨味」のスープを鍋で作っているところ

鍋に入った液体の表面には、何やら白っぽいものがびっしりと浮いている。何かの間違いではないか。豚骨ラーメンの白濁したスープは食欲をそそる。だけど、こんなアクのような物体で埋め尽くされている豚骨スープなんて見たことがない。

おばあは手順を間違えているのではないか。そもそもスープの素ではなくて、そのへんにあった別の小袋と間違えて入れたのかもしれない。

「マルちゃん正麺 豚骨味」のスープを麺にかけているところ「こ「これ、大丈夫か?」
と尋ねても、おばあはもはや僕に目もくれず鍋をつかみ、丼ぶりの麺の上に流し入れる。

「マルちゃん正麺 豚骨味」と玉子焼きなど、おばあが作った晩ごはんのメニュー

メニュー
・ラーメン「マルちゃん正麺 豚骨味」
鶏肉、もやし、シメジ
・たまご焼き(またご3個)
・サラダ
生:ミニトマト、キャベツ 茹で:ブロッコリー、アスパラガス、ほうれん草

スープの中にたっぷりの具材を入れて煮込んでいたのだった。鶏肉入りの豚骨ラーメンははじめてみたけど、案外、合ってそうだし、もやしとシメジの組み合わせも悪くなさそう。ただ、相変わらずスープに正体不明の何かが浮いているのが気がかりだ。

おばあは僕の向かいの席に着くと、食べかけのラーメンにまた箸をつけた。餅を持ち上げて、パクリとかじる。そういえば、はじめに楽しみにしていた餅が僕のラーメンには入っていない。僕もおばあが食べていたような「力ラーメン」を味わってみたかった

「餅は入れてくれへんのか?」
と僕が聞くと、
「そこに、たまご焼き、あるやろ!」
と強い口調で返された。

「マルちゃん正麺 豚骨味」と一緒に、おばあが出した玉子焼き

正月の残りの餅は、おばあのラーメンに入っているもので最後だったのだ。その代わりに、僕にはたまご焼きをつくったということらしい。

たまご焼きはこの前みたいに失敗してなくて、おいしそうだけど、釈然としない。僕はマルちゃん正麺の醤油味に、餅を入れて食べてみたかったのだ。

「さっさと食えや、冷めてまうで!」
おばあが声を荒げた。僕は何も納得できないまま両手で丼ぶりを持ち上げ、白いものがびっしり浮かんだスープをほんの一口すすった。