いつもの時間に、僕が晩ごはんを食べにやってくると、おばあが着いたテーブルには空になった皿がつみ重なっていた。遅れたわけでもないのに、どうして先に食べてしまったんだ。
おばあは〝晩ごはんは家族で一緒に囲むもの″と考えているらしく、今でも僕と一緒に食べたがる。だから夕飯の時間を決めていて、僕が10分以上遅れたら「何しとったんや! えらい遅いやないか!」と大げさに怒るのである。
もしかして、待ちきれないほどおいしいものをつくっていたのか!? たしかに部屋の中には、醤油や砂糖を甘辛く煮たような、食欲をそそる香りが満ちている。まさか……すき焼きか! それなら僕も大好物だし、おばあが先に食べたくなるのもわかる! すき焼きの鍋が食卓にないのは、おばあが食べた後、肉をたっぷり追加して台所で温めているからだろう。ますます期待できるぞ。
それにしても、おばあが食べた後の食器に、すき焼き用の取り皿が見当たらない。汁物用のお椀ならあるけど、これによそって……いや、違う!? 底に残っているあの細長いものは――
ソバだ! すき焼きに加えて、ソバまであるのか! どっちも好きな和食のメニューだけど、これまで一緒に食べたことはなかった。いいぞ、おばあ、夕飯の時間が待ちきれなかった気持ち、めっちゃわかるよ!
おばあに目をやると、腹が膨れて満足したのか、イスに深く腰掛けたままうつらうつらしていた。僕に気がつき、赤ん坊のように両目をこすると、ゆっくり立ち上がって、無言のままのそのそと台所に向かって行く。その後を追うと、台所には――
フタをしたフライパンが、火にかけられていた。かぐわしい香りはここから立ち上っている。中身はすき焼きに違いない!
ところで、ソバはどこにあるのだろう。茹でるためのお湯や、ダシの入った鍋はどこにもない。まさか、おばあのぶんしか用意していなかったのか!? だからひとりで先に……。でも、どうしてそんなことを? 僕もソバが好きなのは、おばあも知っているはず。
一体どういうことなんだ。じっと見つめてみても、おばあは気にするそぶりも見せない。ゆったりとした動作でフタのつまみをつかみ、持ち上げる。するとそこには――
ソバ!! いや、すき焼き!? ソバ入りのすき焼き……なのか? シメにうどんを入れることはあるけど、どうしてソバなんだ? それにいきなりシメというのは、どういうわけなんだ。
立ち尽くす僕をよそに、おばあは手早く中身をかき混ぜ、またフタをする。そして、
「そんなとこに突っ立っとらんと、これ、向こうに持って行け」
と命令する。
聞きたいことはいろいろあるけど、食べ物のことで質問すると、おばあは文句をいわれたと勘違いしてとたんに機嫌が悪くなる。僕はしぶしぶ、黙っていわれた通りにする。
すき焼き味のソバなんてはじめて食べるけど、組み合わせとしては悪くなさそう。それに今晩は――
他の小皿に盛られたおかずたちも、相性がよさそうだ。
おばあが得意なレンコンの酢漬けや、
タケノコと里芋の煮物、
刻みオクラのカツオ節乗せという、和風のメニューに加えて――
アスパラのベーコン巻き!? 最近、毎日のように食卓に並んでいる、おばあが知り合いから教えてもらった新メニューだ。味付けはベーコンの塩味だけだし、意外とどんな料理にも合うと思う。
いよいよすき焼きに手を伸ばす。フタを開けると、現れたのはもちろん――
ソバ! すき焼きの香りが、ふわっと広がる。
ソバはほんのりと割下の醤油色に染まっている。すき焼きといえば肉は牛だけど、これは豚だ。今晩の主役は肉ではなく、あくまでソバということか。だけどなぜ、すき焼きのメインが、シメでもないのにソバなのか? ひとまずお椀によそってみると――
メニュー
・ソバ入り豚肉のすき焼き
ソバ、エリンギ、豚肉、長ネギ、糸こんにゃく、しめじ、えのき
・アスパラのベーコン巻き
・酢レンコン
・タケノコと里芋の煮物
・刻みオクラのカツオ節のせ
・サラダ
生:トマト、玉ねぎの醤油漬け、キャベツ 茹で:ブロッコリー、アスパラガス、ほうれん草
醤油色に色づいたソバといい、脂身が多い豚肉といい、クタっとしたネギといい、すごくおいしそう! さっそくひと口すすってみると……わかった! おばあがどうして、このソバ入りすき焼きをつくったのか。
その理由は、このソバにある! しっかり煮込んで、コシが完全になくなったやわらかな食感、そして醤油と砂糖の割下を吸った濃い味付け、どれもおばあの好みの〝どストライク″だ!
僕は普段、やわらかすぎる麺も、塩辛い味付けもあまり得意じゃない。だけどこれは、うまいぞ! 味の濃いふやけたソバが、どういうわけかクセになる。ずるずるずるっと、一気にお椀の中身を平らげてしまった。
おばあは、すき焼きの新しい可能性を見せてくれただけではなく、僕の味の好みまで広げてしまった。すごいぞ、そしてありがとう! おばあに感謝しながら、僕はまたお椀にソバをよそった。