いつもの晩ごはんの時間に、居間の戸を開けると、
「これ、どうやってつくるねん!?」
奥の台所から、おばあの大声が響いてきた。
何ごとかと声の方に急ぐと、シンクに乗っていたのは――
富山ブラック! 僕が仕事で富山に行って買ってきた、袋入りのご当地ラーメンだ。真っ黒い見た目のインパクトだけでなく、味もいいと評判のこのラーメンをおばあと一緒に味わいたくて、僕も現地では食べずに土産として買ってきた。ところが昨晩、帰ってきて、おばあに渡したときには「なんや、ラーメンか」と興味なさそうにつぶやいただけだった。ラーメン好きだったんじゃないのか、おばあ……。
そっけない反応にがっかりしたけど、さっそく翌日の夕飯に出すなんて、実は早く食べたくてたまらなかったのだろう。
居間のつけっぱなしのテレビでは、新しい元号が〝令和″に決まった瞬間の、街の人たちが驚く様子を映している。改元なんて滅多にあることじゃないのに、おばあは話題にすることもなく、富山土産のブラックラーメンに夢中になっている。
それほど楽しみにしていたなら、今日はいつもより早めに来て、一緒につくったのに……。どうしておばあは、思ったことを素直にいわないんだ!?
つくり方は、生麺を茹でて袋入りのスープに湯を注ぐだけ。だけどおばあには、パッケージの裏に書いてある説明の文字が、小さすぎて読めないのだ。それに、やたらと黒いスープの見慣れないラーメンを、適当につくるのも不安らしい。
僕が来たからにはもう大丈夫。さあ、おいしいラーメンを一緒につくるぞ! そして思う存分、好物のラーメンを味わってほしい! そのためにこれを買ってきたのだから。
僕は黒い袋を開けて、濃縮スープの入った小袋を取り出した。するとおばあが、待ち構えていたように、
「それ、どうすんねん。鍋に入れるんか? 丼ぶりに入れるんか?」
といいながら、小袋をひったくるように手に取った。やはり、はじめて食べる富山ブラックが楽しみで仕方ないようだ。
「丼ぶりや」
僕が答えるのと同時に――
おばあはどこからともなく取り出したハサミで小袋を切り、醤油のように黒い濃縮スープを丼ぶりに絞り出した。
続いておばあは生麺を手にして――
「これは何分、茹でればええんや? 柔らかいのがええわ」
そういいながら、沸騰しはじめた湯の中に投入した。茹で時間は4分と書いてあるけど、柔らかめが好みなら、
「6分くらいがええと思うで」
僕は答えて、冷蔵庫に貼り付けてあるタイマーをセットした。
おばあは湯の中で踊る麺を、菜箸でさっと混ぜ、
タライの中にたっぷりと用意していたしめじを、ガサッとわしづかみにして――
もう一つ用意していた沸き立つ鍋の中に、バサッと放り込む。
さらに豚肉も投入する。
続いて、茹でていた麺を一本、菜箸でつまみ
つるつるっと食べて茹で具合をチェック。4分を過ぎたところだから、おばあにはまだ固すぎるよ。そう思ったけど、
「もう、ええか」
おばあはつぶやきながら――
丼ぶりに麺をうつしはじめた。ザルをつかえばいいのに、菜箸を一本ずつ両手に持ち、丁寧さのかけらもない調子で作業する。それに、
「丼ぶりのスープは、先にお湯で溶かしておけと書いてあるで」
と説明しても、
「もう、ええねん!」
と取り合わおうとしない。どうやらおばあは、お腹が減ってたまらず、もはや正しい手順なんてどうでもよくなっているらしい。
そして丼ぶりを手にすると、麺の上から――
豚肉としめじ入りの熱湯を注ぎ、
麺を底から持ち上げて、濃縮スープとお湯を混ぜれば――
完成だ! スープはお湯で薄めても、原液かと思うほどまだ真っ黒い。さすがブラック名乗るだけのことはある。そして、気になるのは味である。おいしいとは聞いているけど、目の前のスープはかなり塩辛そう……。
おばあは麺を箸で持ち上げると、フーフーと息を吹きかけてから――
かじりつくように口に入れ、ズズズズズッと一気にすすり込む。
今度は麺と豚肉を一緒に口に運ぶ。そして丼ぶりに口ををもっていき、スープをすする。麺の固さはおばあの好みと違って〝普通″だし、スープの味は濃すぎないだろうか?
「どう? おいしい?」
感想を聞いてみると
「このラーメン、なんでこんなに黒いんや」
と不満げな、かみ合わない答えが返ってきた。
「富山ブラックなんやから、見た目はそういうもんやねん。味はどうなんや?」
「そんなん、自分でつくって食べてみたらわかるやろ!」
おばあは声を荒げた。まただ。どうして素直に思ったことをいわないんだ……もしかして、口に合わなかったのか? それを直接いえば、買ってきた僕が傷つくから、おばあは答えなかったのか……。
僕はひとりで台所に向かい、自分のぶんの富山ブラックをつくった。
メニュー
・麺屋いろは「富山ブラック 黒醤油ラーメン」
しめじ、豚肉
・ポテトサラダ
・刻みオクラ(カツオ節のせ)
・大根おろし(ジャコのせ)
・なんきんと厚揚げの炊いたん
・サラダ
生:玉ねぎの醤油漬け、キャベツ 茹で:ブロッコリー、アスパラガス、ほうれん草
今晩はラーメンがあるのに、おばあはおかずもしっかり用意していた。はじめて味わう富山ブラックへの期待が伝わってくる。それなのに、おばあの好みじゃなかったなんて……。
ズズズズズッ!ズズズズズッ!っと向かいの席から、麺をすする音が聞こえてくる。僕を悲しませたくないからって、無理して食べなくていいんだよ、おばあ。
おかずはラーメンのほかにも――
ポテトサラダに、
じゃこが山盛り乗った大根おろし、
なんきんと厚揚げの煮物、
それにいつものサラダだってある。
だけど、やっぱりラーメンは――
食べてみないことにはわからない。麺の茹で加減ひとつにしても、おばあと僕の味の好みは違うのである。僕は箸を手にして、おばあのように麺をたっぷり引き上げて、一気にすすった……これは、うまい!
見た目ほど醤油がきつくなく、味はたしかにうま味が強いけど、塩辛さはちょうどいい。それが弾力のある太めの麺にからんで、食べごたえがある。そしてこの、具材のしめじと豚肉がいい。スープにうま味を加えているし、麺の食感とはまたちがう歯ごたえが心地いい。ほぼ一色の黒い見た目だけど、濃厚なうま味のスープに負けない力強さがあって、富山ブラックにぴったりな具材だ。
食べる前からこの組み合わせの妙を見抜いた、おばあの眼力と勘に敬服するしかない。そのおばあに目をやると――
残り少なくなった麺と具材をすすり込み、
完食した。毎食後、降圧剤を飲んでいる高血圧のおばあは、さすがに塩分が多いスープだけは残していた。
「どうや? 味は食べたらわかったやろ?」
おばあがいったので、
「うん。これはおいしいわ」
と答えた。それにしても……
「なんで、おいしいなら、おいしいって口でいわへんのや?」
と僕は続けた。
すると、おばあは黙ったまま丼ぶりを両手で抱え上げ、ごくごくとスープを飲みだした。なんてことするんだ!? ラーメンのスープを全部飲み干すなんて、おばあには自殺行為だぞ!?
「血圧上がるから、もうやめて!」
と僕は制止した。すると、おばあはゆっくりと丼ぶりをテーブルに置き、
「はあ……うまかった」
とイスの背もたれによりかかり、ふうっと満足そうに息を吐いた。