いつもの晩ごはんの時間より、10分も早くおばあの家に着いた。しょっちゅう遅れて怒られているけど、今日はさっさと仕事を切り上げ、大量の花粉が舞う中をくしゃみをこらえて早歩きでやってきた。
なぜかって!? それは今日は年に一度の……僕の誕生日だからだぁぁぁハァァックション!!
実感するのはくしゃみの仕方がおっさんになってきたことぐらい。それでもついに30代の半ばを越えた。四捨五入すれば40、立派なアラフォーだ。そんな記念すべき今日、これまでに受け取ったメッセージはLINEが2通と電話が2本。
アラフォーまで生きてきて、たった……いや、4人も僕の誕生日を覚えてくれていたことに感謝だぁぁぁハァァックション!! それにもう一人、おばあもいる。最近、忘れっぽくなってきたけど、毎日会っている孫の誕生日を忘れているわけがない!
きっと晩ごはんには、いつもより豪華なスペシャル・メニューを用意して、僕が来るのを今か今かと待ってくれているのに違いない! そのおばあの姿を想像すると、早く来られずにはいられなかった。
「おばあ、来たでー!」
元気よく居間の戸を開けると、なんと……おばあの姿がない! しかも、待ってくれていたどころか――
先に食べ終えてしまっている! 僕を待つ気なんてまったくなかったのか!? まさか、今日が何の日か忘れてしまっているのでは……。10年ほど前に死んだおじいの誕生日も僕と同じなのに、おばあはわからなくなってしまったのか!?
数日前の雛祭りのこともあるし、忘れている可能性はじゅうぶんにある。だからといって、急に日付もわからなくなるほどボケたとも思えない。
そこまでひどい認知症になっていたら、机に並んでいる料理は誰が用意したというのか。これはまぎれもなく、おばあがつくったおばあめしだ!
食卓に乗っている、使い込んだ深めのフライパンの中身は、肉や野菜をおばあ独自の味付けで煮込んだ、すき焼き風のごった煮。それを小皿に取り分けていると、居間の戸が開いた。
「おばあ、どこ行ってたんや!?」
つい力を込めて聞くと、
「どこって、便所や!」
と声を荒げる。つづけて
「近ごろ便秘で、なかなか出えへんから、長くかかるんや。それにな――」
とごはんの前には絶対に聞きたくない、おばあのお通じの具合を語りはじめる。さらにどんなものが出たのか、詳細に解説しそうな勢いだったので、
「もうわかった。わかったから、黙ってテレビでも見といて」
とつけっぱなしのテレビを指さした。
メニュー
・牛肉のごった煮(すき焼き風)
牛肉、春菊、にんじん、シメジ、エノキ
・茶碗蒸し(みやけ食品)
・酢の物
タコ、キュウリ、ワカメ
・オクラのかつお節和え
・サラダ
生:トマト、玉ねぎの醤油漬け、キャベツ 茹で:ブロッコリー、アスパラガス、ほうれん草
・ごはん
これが今年の僕の誕生日のスペシャルなメニュー……なのか? たしかにおいしそうだし、僕にはつくれないけど――
メインの料理は、すき焼き風ではあるけど肉は一切れが小さく、すべての食材が混ざっていて、あくまで〝ごった煮″だ。これなら、よく食べているのだから、誕生日くらいもうちょっと肉の大きな、本物のすき焼きがよかった、というのは高望みしすぎか……いや、もしかして、本当におばあは今日の日付を忘れているのかもしれない。
他のおかずは――
スーパーで買ってきた茶碗蒸しや、
得意の酢の物、
オクラのかつお節和え、
そしていつものサラダという献立だ。野菜が多めで健康的、そして一目でメインとわかる料理もあっておいしそう。
やっぱりこれこそ、おばあがいつもつくっている……ということは、忘れているってことじゃないか! 季節の行事やイベントごとがあると、特別メニューをつくるおばあが孫の僕と、そして長年連れ添ったおじいの誕生日を忘れてしまったのか。
待てよ。料理そのものではなく、食べ方が特別なのかもしれない。
おばあが食べ終えた空の茶碗に、にんじんのかけらが、ごはん粒と一緒に残っている。どうやら、ごはんの上にごった煮を乗せて食べていたらしい。つまり――
こういうことだ! 見慣れたごった煮が、スペシャルな牛丼になったぞ! 思わず茶碗を手にとりかき込むと、うまい! だけど、やっぱりこの味は、ごった煮とごはんという食べ慣れたもの。
ふと顔を上げると、さっきまでテレビを見ていたおばあは、イスに座ったまま頭を前に傾けて眠りこけている。おばあよ、誕生日のスペシャル・メニューは〝ごった煮丼″なのか!?
グウゥゥゥゥ……グワッ! と地鳴りのようないびきが響いてきた。「いい歳した男の誕生日なんか祝うわけあるか! ボケ!」と口汚くののしられているように聞こえた。
食事を終えて、空の食器を運んでいると、おばあが目を覚ました。立ち上がって大きなあくびをして、台所の流し台にのそのそと向かっていく。
今日はおばあから、便秘の話しか聞かされていない。おめでとうの一言くらいあってもいいのに。だからといって自分から、誕生日を祝ってくれだなんて、恥ずかしてく言えるわけがない。ましてや30代半ばのおっさんが、「今日、僕の誕生日やねん!」なんて目を輝かせている姿を想像すると、自分でも気色悪い。そこで、
「手伝おうか?」
と洗い物をはじめたおばあに、珍しいことをいってみた。いつもと違うことをいえば、今日が何の日か気がついてくれるはず、と期待したけど、
「邪魔なだけや! いらん!」
と即座に断られてしまった。
おばあは大量の洗剤を食器にふりかけ、黙々と洗い物をつづける。
ガス炊飯器の鉄釜を、使い込んだスポンジで力を込めてゴシゴシこする。
洗っているうちに、気分がどんどんノッてきたようで、鉄釜をリズミカルに回し始める。チェケラッ! チェケラッ! プッチュアハンズィッピンジエアー! ヨー! ヨー! おばあの高速スクラッチで泡がもくもく立ってきた。それに合わせてツイストを踊っていると、
「さっきから後ろで何やってんねん! 邪魔やから向こうに戻っとれ!」
と大声で怒鳴られてしまった。泡だらけの皿が飛んできそうな勢いだ。
あきらめて居間に戻ろうとすると、
「冷蔵庫に箱が入っとるから、持って行け」
おばあが顔も向けずにいった。
冷蔵庫? 箱? ということは、もしかして!! 回れ右で冷蔵庫に急行して、
扉を開けると――
あった! この見覚えのある白い箱は、まさしく……。
僕は居間に戻ってくると、
両手で抱えていた箱を、机にそっと置き、うやうやしくフタを開ける。すると現れたのは――
つやつやと輝く色とりどりのフルーツ! これはやはり――
ケーキ!?……というかパフェ!? どちらにしても、すごくいい! 上はフルーツたっぷり、下のほうはクリームやベリーのソースが甘そうで、酒が飲めない甘党のアラフォーには、最高の誕生日プレゼントだ!
おばあ、覚えとってくれたんか! ありがとう!
さっきあれだけ晩ごはんを食べたのに、2つくらいペロッといけそうな気がする。今日は僕の誕生日なんだし、明日スーパーでロールケーキでも買ってきたら許してくれないだろうか。そんな邪なことを考えていると突然、音もなく近寄ってきた影が目の前に現れた。そして――
フルーツが乗ったカップを、しわだらけの手で鷲づかみにし、目にもとまらぬ速さでスプーンを振り上げると、
イチゴをすくっては食べ
キウイをすくっては食べ、
オレンジを吸い込むように食べ、
みるみるうちにスポンジとクリームの層に到達すると、
ぱくぱくぱくっと口に放り込み、
声をかける間もなく平らげてしまった。
「お前は、いらんのか!?」
と手を伸ばしてきたので、僕はあわててカップを手に取った。
イチゴやキウイはちょっと酸味がある。おばあは別々に一気食いしていたけど、フルーツと甘いクリームを一緒に食べると、ちょうどいい味になるようにつくられているらしい。このパフェのようなフルーツケーキ、見た目だけじゃなくて味もいい。
近ごろ、物忘れが増えてきたおばあだけど、僕の誕生日はしっかり覚えていてくれた。そしておいしいものを見抜く目も、まだまだ衰えていない!
食べ終えると僕は、
「おいしかったで、ありがとう!」
と素直に気持ちを伝えた。おばあはテレビに目を向けたまま、
「そうか。よかったな」
とだけいった。
おめでとう! なんていわれなくても構わない。明日は僕が、スーパーで見つけたおいしいロールケーキを買ってこよう。そう心に決めた。