焼き加減は最高。鶏のもも焼き

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・鶏のもも焼き
茶わん蒸し(市販、具だくさん)
・おでん(3日目)
手羽先、タケノコ、厚あげ、ねじりこんにゃく、ごぼ天、ちくわ
・野菜
キャベツ、トマト、ブロッコリー、アスパラガス、ほうれん草
・ごはん

おばあが焼いた肉はうまい。ぶ厚くて、火の通りやすさがちがう皮と肉と骨が一体になった、鶏のもも肉も見事に焼きあげる。

おばあは肉を焼くとき、何十年も使い込んだ、真っ黒い、2センチをこえるぶ厚さの、取っ手もない円形の鉄板を火にかける。厚い鉄板には時間をかけて均一に熱が広がり、手を近づけるのも怖くなるほど端から端まで高い熱を持つ。年季の入った鉄板は、ジョイで少々洗ったくらいでは落ちない数十年ぶんの肉の油を吸っていて、熱くなると油が蒸発して白い湯気が立ち上る。そこに骨付きの鶏もも肉を、皮を下にしてそっと置き、アルミの蓋をしてじっくりと蒸し焼きにする。

表面の皮にはこんがりと焼き色がつき、かぶりつくと、パリパリと音を立てて剥がれる。熱い油と肉汁があふれ出て、ふっくらとした肉に、触れた歯がすべて吸い込まれるように入っていく。そして骨から口いっぱいの肉を引き剥がし、食感と味を堪能する・・・・・・はずだったのに、何かが足りない。

鶏肉自体の味も、焼き加減も、足りないどころか、これ以上のものには簡単には出会えないだろう。だとしたら、塩だ。塩気がないのだ。おばあはこの鶏もも肉に塩をほとんど振っていないか、まったく下味をつけずに焼いている。なぜそんなことをするのか。ここにあとひと振りでも、塩があれば完璧じゃないか。最近物忘れがひどくなったと嘆いていたおばあは、塩を振り忘れてしまったのだろうか。

おばあに目を向けると、両手で鶏肉を持ち、肉汁をカーペットに滴らせながらかぶりついていた。おばあは顔を上げると、もごもごと動かしていた口の動きを止め、上目づかいでニタっと笑った。物忘れどころか、ついにおばあは狂ってしまったのかもしれない。

いや、わざとだ。おばあは何か意図があって鶏肉に塩を振っていないのだ。だとすれば考えられることはひとつ。僕への当てつけだ。僕は毎日のように、健康のために食べものの塩分を減らせとおばあに言っている。

おばあは持てる技術と道具を駆使して、鶏のもも肉を焼き上げた。そしてその鶏もも肉に塩を振らないことで、僕と減塩を推奨する世間の風潮に反抗している。でも、なぜそんなことをするのか、わけがわからない。何かを強制されたら逆らいたくなる。なんて理由だとしたら、おばあは80年以上も生きてきたくせにバカみたいに単純だ。

たとしたら、まずくはないけど、このまま素直にこの鶏もも肉を食べてしまうのも納得できない。僕は冷蔵庫からポン酢とマヨネーズを取り出し、おばあに逆らうつもりで、鶏もも肉にぶっかけた。