知らん魚の刺身

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・知らん魚の刺身

・おでん(2日目)
手羽先、タケノコ、厚あげ、ねじりこんにゃく、ごぼ天、ちくわ
・野菜
キャベツ、トマト、ブロッコリー、アスパラガス、ほうれん草
・みそ汁
あげ、白菜、豆腐
・ごはん

おばあは好きなものと、そうでないもののあつかいの落差が激しい。刺し身なら、マグロはダイエーの特価品で、赤い汁がトレーに溜まっていても気にしない。今日の夕飯に出てきた刺し身なら、商店街の魚屋で自ら選んだ一匹を、ひと切れの厚さまで細かく指定して切ってもらう。

おばあ好みの厚めの刺し身は、一枚一枚の表面が天井のパルックの光を反射し、みずみずしく輝いている。鮮度を保ったまま熟成していることが見た目にも明らかだ。ちょっと醤油をつけて口に運ぶ。もっちりとした食感とほどよい噛みごたえがあり、醤油の塩味が魚の甘みを引き立てる。

おばあは刺し身の両面に醤油をべっとりとつけ、大根のつまも一緒にひたし、黒いしずくを滴らせながら、ひと切れを頬張っていた。醤油の塩分で高血圧が悪化して、幸せな表情のまま、ぽっくり急死してしまうのではないか。一瞬そう思ったけど、大丈夫。おばあの家の醤油は、塩分が半分以下の減塩醤油にこっそり入れ替えてある。思う存分好きなものを好きなように食うがいい。

おばあは先日、煮魚にした魚の種類をおぼえていなかった。でも好物の刺し身の種類ならさすがに覚えているだろう。そう思って聞いてみるが返事がない。食べるのに夢中で聞こえていないのか。いや、刺し身を浸した醤油皿をのぞき込んでいるようだが、目だけでちらっとこちらをうかがった。やはり知らないのだ。

「好物の名前くらいおぼええや!」と僕がいうと「カンパチや!」とキレられた。なぜ知っているのに、なかなか言おうとしないのか。名前と言えば、10年前に死んだおじいの名前も、おばあの口から聞いたことがない。ああ、そうか。好きなものだから、言えないのか。