雛祭り毎年祝う祖母(80代)と孫(30代男) おばあ、今年は日付を忘れてる?

おばあは毎年、3月3日の雛祭りを寿司で祝う。80代のおばあと、30代の孫(男)の何を、桃の節句でお祝いするのだろうか。わけがわからないけど、とにかくおばあは毎年、この日が来るのを心待ちにしているようなのだ。

おととしは大量のちらし寿司を何時間もかけて手づくりし、近所にまで配っていた。去年は手づくりこそしなかったけど、イクラが乗ったカラフルなちらし寿司と、かわいらしい手毬寿司の豪華なセットを買ってきたし、テーブルには折り紙の雛人形を飾っていた。

おばあは今でも、心は純真な女の子のままで、桃の節句を楽しんでいるのか!? まさか……お金と不倫と人の病気にまつわるテレビ番組ばかり、前のめりでかじりついているおばあの中身が、雛人形でときめく女の子のままだとは、とても信じられない。

とはいえ、今では僕も雛祭りを楽しみにしている。なんといっても寿司が食べられるのだ。おばあお手製のちらし寿司はもちろんおいしいし、買ってきたものでも雛祭り用の寿司は、たくさんの種類の具材が使われていて贅沢だし、見た目も豪華。

今年はどんな寿司が出てくるのだろう? 赤や黄色で彩られた華やかな食卓を想像し、期待を胸に居間の戸を開けると――

ムツのアラの塩焼きや豚汁、煮物など、祖母(おばあ)が作った晩ごはん

メニュー
・ムツの焼いたん
・煮物
南瓜、厚揚げ、手綱こんにゃく、がんもどき
・おから(惣菜)
・豚汁
豚肉、麩、ほうれん草、にんじん、しいたけ
・酢の物
きゅうり、タコ、ワカメ
・サラダ
生:ミニトマト、玉ねぎの醤油漬け、キャベツ 茹で:ブロッコリー、アスパラガス、ほうれん草
・ごはん

焼き魚に煮物にみそ汁……なんという渋い色合いなんだ。ちょうど一年前の色鮮やかなメニューとは対照的だ。

祖母(おばあ)が晩ごはんに用意した、おから

商店街の豆腐屋で買ってきたおからや、

祖母(おばあ)が作った、キュウリとタコとワカメの酢の物

お馴染みの酢の物、

トマトや玉ねぎの醤油漬けを乗せた野菜サラダ

玉ねぎの醤油漬けとトマトを乗せたサラダ、

祖母(おばあ)が作った、カボチャ、厚揚げ、手綱コンニャク、がんもどきの煮物

そして、がんもどきやカボチャの煮物は、いつもと変わらず、しっかり味がしみ込んでいておいしそうだ。雛祭りらしいものといえば唯一、

麩やニンジンの入った豚汁

豚汁に入っている花の形のお麩だけだ。たしかにかわいらしい形だけど、たくさんのおかずがある中で、雛祭りのお祝いはこのお麩だけなのか。いや、そんなはずはない。お麩なんて豚汁の具材のひとつとして入れただけじゃないのか。

ほかにも雛祭りっぽいものがないか部屋を見回しても、去年のような飾りは見当たらない。

もしかして、今日が何の日か、忘れているのか? おばあは人の名前や、物を置いた場所を忘れることはあるけど、いつの間にか日にちまでわからなくなっていたなんて……。

「おばあ、今日は――」
何の日か覚えているか聞こうとすると、まだいい終わらないうちに、
「そこの魚の名前、しっかり覚えてきたで!」
と威勢のいい返事でさえぎられた。なんだって? 魚の名前?

おばあが指さす焼き魚に目をやると、皿の陰に小さな紙切れがあった。

「ムツ」と魚の名前を書いた祖母のメモ

子どものような下手な字で〝ムツ″と書いてある。魚の名前だ。

山育ちのおばあは、魚の名前をあまり知らない。マグロやサバといった有名どころはさすがにわかるけど、商店街の魚屋ですすめられたものを名前も覚えずに買ってくることがよくある。だから夕飯に出た魚の名前を聞いても、ほとんど答えられない。それをおばあ自身も気にしていたらしい。

だから今日は、魚屋で買った魚の名前をメモして帰ってきたのだ。高齢で落ちてきた記憶力をなんとか維持しようとしている、その努力は素晴らしい。

だけどせっかく魚の名前を覚えてきても、今日が何の日かわからないなら、決して喜んではいられない。というのも、病院で認知症のテストをするときは、医者が患者にその日の日付をたずねると聞いたことがある。答えられなければ、認知症の疑いがあるそうだ。まさか、おばあも……。

いや、そうとは限らない。ムツといえば、味が良くて希少な高級魚だ。かつておばあの家でも食べたことがある。身は適度な弾力があり、脂が乗っていて甘く、ものすごくおいしかったことを覚えている。値段も張るので滅多に食卓に並ぶことはなく、一年以上前に口にしたきりだ。

そのムツを今日、夕飯に出したということは、桃の節句だからなんだろう。どうなんだ、おばあ!
「なんで今日、ムツを買ってきたんや?」
と聞かずにはいられなかった。すると、
「そんなん、決まってるやろ!」
と心強い返事があった。やっぱり、覚えていたのか! よかった。僕の肩の力が抜けたところで、おばあは続けた。
「そのときの気分や!」
なんだって!! おばあ、本気でいっているのか?

もっと質問したいけど、答えを聞くのが怖い気もする。

灯油ストーブで暖まりながら、テレビを見ている祖母(おばあ)

おばあは、〝ポツンと一軒家″の内容が気になるようで、夕飯そっちのけでテレビの画面に集中しはじめた。

もういい! 今晩のムツは、雛祭りのお祝いにおばあが買ってきた、ということにしておこう! そして僕も余計なことは考えず、目の前のムツの塩焼きに集中するんだ。

箸を手にして、カリッと焼けた皮をはぐと、脂の乗った真っ白い身があらわれた。それをほぐして口に入れると、ほのかな甘さを感じた。無心で味わおうと目をつむって口を動かすと、頭の中に浮かんできたのは、ついさっきまで見ていた、おばあがテレビに集中している後ろ姿だった。

ムツの塩焼きの身をほぐしたところ

 

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