「退院祝い、もろてきたで」
とおばあがいった。テーブルには、和紙のような手触りの高級感のある箱がのっている。一抱えもある大きな箱のフタを開けると、赤飯が入っていた。金文字で「寿」と書かれた紅白の箸袋もついているし、ちょっと高そうな餅もある。たしかに退院祝いにぴったりな、めでたい品である。
でも退院祝いというのは、退院した人への贈り物ではないのか。おばあはいくつも持病を抱えてはいるものの、僕の知る限り入院したことはない。高齢の友人たちに退院祝いをあげることはあっても、もらういわれはない。
「ムラジさんからもろたんや」
とおばあはいう。おばあの友人のムラジさんは、最近まで入院していた。その10日ほどのあいだ、おばあは駅前まで20分かけて歩き、そこからバスにさらに20分乗り、隣町の大病院に毎日のように通っていた。お見舞いのお礼として、赤飯や餅をもらったということらしい。
赤飯は粘り気の強いもち米が入っているのに、米が一粒ずつ立っている。小豆の表面にはしわがなく、つやつやと輝いている。箱の端のかたまりを指でつまんで口に運んだ。表面に張りがある小豆は、噛むとふわっと潰れて芯がなく、いつもよりもっちりした米にほんのりと甘みを加える。
ひかえめな塩味と、絶妙な茹で加減の小豆が、米ともち米の味を引き立たてている。食感も柔らかすぎず、ちょうどいい。そのままでも味わえるし、和風のおかずと合わせてもよさそうな上品なおいしさだ。見舞いに通った献身的なおばあと、義理がたいムラジさんに感謝の念がこみあげてくる。
だけど、さっきから気になっていることがある。鼻から息を吸うたびに、甘くてスパイシーなカレーの香りが、食欲を刺激するのだ。
僕はカレーなら、毎日食べてもいいと思う。実際、朝か昼にはよく、インスタントのカレーを食べている。朝食と昼食に欠かさず口にしているのは、おばあがつくってくれる鮭や昆布の佃煮が入ったおにぎりだ。片手におにぎり、もう一方の手にスプーンを持ち、おにぎりとカレーを交互に頬張っている。朝と昼に連続して、おにぎりとカレーを食べることもある。
白米のおにぎりはカレーに合うけど、赤飯はどうだろうか。おばあは今日、退院したムラジさんを訪ねて、まさか赤飯をもらうとは思わなかったのだろう。だからカレーをつくったのだ。
「今日は、カレーやな」
と僕がいうと、テレビを見ながらおばあはうなずき、
「ごはんも炊いてるで。好きなように食えや」
といった。好きなようにとは、カレーをどちらの米にかけるのか自分で選べということである。カレーには白米か赤飯か、それが問題だ。
直感ではカレーに赤飯は合わないような気がする。カレーの本場、インドでポピュラーなバスマティ・ライスは炊いても粘り気がなく、パラパラとしている。もともと水分量が少ない品種なのに、収穫から数年も熟成させてさらに水分を抜くという。そのほうがインドのカレーに合っているからだ。日本のルウでつくるカレーも、ちょっと固めに炊いた米のほうが合っていると思う。
もち米の入った赤飯が、果たしてカレーに合うだろうか。おばあがあえて僕に選ばせるということは、赤飯とカレーの組み合わせに新たなおいしさの可能性を見出しているからだろう。おばあはこれまでカレーをつくるたび、トッピングやルウの組み合わせで新境地を開拓し続けてきた。挑戦が失敗に終わったことは一度もなく、常に斬新なカレーの味わい方を示してくれた。そのおばあが、新たな可能性があると考えている赤飯カレーに挑戦しない手はない。
テーブルにはカレー皿としゃもじが置かれていた。僕が悩んでいるあいだに、おばあが台所から持ってきたのだ。おばあも、赤飯カレーを食べてみろと思っているのだ。ただしおばあはこの日、先に食事を終えていたので、口にするのは僕だけだ。
カレー皿に赤飯をよそい、半分空けたスペースにカレーをたっぷり流し込んだ。
メニュー
・赤飯カレー
カレーの具材:鶏肉、玉ねぎ、にんにく、ニンジン、ジャガイモ
・小エビと大豆の佃煮
・紅白なます
大根、にんじん、サバ
・サラダ
生:キャベツ 茹で:ブロッコリー、アスパラガス、ほうれん草
・きな粉もち
・けし餅(堺名産けし餅本舗「小島屋」)
赤飯だと思うと少し違和感があるけど、見た目は悪くない。色合いとしてはむしろおいしそうだ。スプーンを差し込むと、もち米の赤飯がひっつくので皿の表面に押し付けて切るようにして一口ぶんをすくう。カレーに浸し、口に入れる。その瞬間、うまい! と思ったのは食べ慣れたカレーの味。甘みがあるのは、今日のルウが「リンゴとはちみつ」のバーモントカレーだからだろう。
カレーは赤飯のもち米と小豆の甘みともマッチしている。小豆は具材としてもいい仕事をしている。ほくほくとした小豆が、自然な甘みを足してくれる。インドで豆のカレーがポピュラーなのもうなづける。これまでおばあはカレーに豆を入れたことはなかったけど、図らずもここで豆のカレーが実現した。
米はこれ以上、柔らかくべっとりしていると、カレーには合わなかっただろう。米ともち米の割合、そして水の量が、カレーにもちょうどいい具合になっている。上質な赤飯だからこそ、カレーにしてもおいしいのだ。
僕がカレーを夢中で、食べ進んでいると
「一口、くれんか」
とおばあがいった。先に食事を済ませていたおばあは、どうやら白米でカレーを食べたらしい。おばあは僕に赤飯カレーの味見をさせたのだ。そしておいしいことがわかってから、味わいたいという。台所からスプーンを持ってきたおばあに、僕は一口だけあげることにした。
「どうや?」
と聞いても、おばあは感想を口に出さず
「もう一口、くれんか」
といって、また僕の皿に手を伸ばした。もう一口だけあげて、僕は残りを平らげた。そのあいだ、テレビを見ながらちらちらと視線を向けてきたおばあはまだ、もの足りない様子。箱にはまだ、赤飯が残っている。おばあは明日、これにカレーをかけて食べるつもりだろう。だけど、そうはさせない。僕は空になった皿に残りの赤飯を全部よそって立ち上がり、台所のカレーの鍋に向かって急いだ。