高齢の一人暮らしにおすそ分け。細かな具材の鶏肉カレー(たまご焼きトッピング)

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ウェルシュ菌を気にしないおばあが出した2日目のカレー

メニュー
・カレー(2日め)
鶏肉、玉ねぎ、にんにく、ニンジン、ジャガイモ
・たまご焼き(たまご3個)
・紅白なます
大根、にんじん、サバ
・小エビと大豆の佃煮
・白菜キムチ
・サラダ
生:ミニトマト、キャベツ 茹で:ブロッコリー、アスパラガス、ほうれん草

おばあがつくるカレーは毎回、何かが違っている。トッピングや具材、ルウの配合など、常に変化を加えることで、さらなるカレーのおいしさを追求しているのだ。

おばあのカレーで、唯一変わらないものが、具材の牛すじ肉である。脂とともに牛肉のうま味がたっぷり染み出し、半透明のゼラチン質はいくら煮込んでもプリッとした弾力を保っている。牛すじ肉のカレーを食べると、牛もも肉が入ったふつうのビーフカレーでは物足りなく感じる。牛すじ肉は、カレーのおいしさの基準を変えてしまうほどの、味の革命をもたらした。

ところが今回のカレーには、牛すじ肉が見当たらない。いつもならほかの具材がルウに溶けてしまっても、半透明のゼラチン質のかたまりだけはごろごろと残っているのに。

今日のカレーは2日目である。昨日は白米の代わりの赤飯という、これまた革命的な要素があって牛すじ肉のことは気にならなかった。

おばあは昨日、久しぶりに退院した友人の家を訪れていた。病み上がりで高齢の、一人暮らしの友人におすそ分けをするために、カレーをつくって持っていったのに違いない。だとしたら、おばあは自信作である牛すじカレーを食べさせたかっただろう。

とはいえ牛すじ肉は、下ごしらえにかなりの手間がかかる。余分な脂が多いので、何度も茹でて「脂抜き」をしないと料理に使えないのだ。おばあはカレーを、一抱えもある大鍋でつくって人にも配る。そこに入れる牛すじ肉も大量だ。「脂抜き」の作業があるので、牛すじカレーをつくるには、休憩をはさみつつ昼から夕方までかかってしまう。

友人の家に行く予定があるのに、カレーにばかり時間をかけていられない。そこでおばあは手間と時間のかかる牛すじ肉は使わず、カレーをつくったのだろう。

スプーンでカレーを探ると、白っぽい繊維状のものが見つかる。鶏肉を煮込んだなれの果てだ。牛すじ肉の代わりに鶏肉を使うなら、細切れにせずもっと大きなかたまりにすれば、形が残って食べごたえがあったはずだ。じゃがいもやニンジンも、いつもより細かく刻まれているようで形が残っていない。ルウを口に入れると、野菜や鶏肉の味が溶け込んでいて、けっこうおいしい。だけどほとんどかまずに飲み込めて、何だか物足りない。

ただしこれなら、退院したばかりで飲み込む力が落ちていても、簡単に食べられる。牛すじ肉が入っていないのは、手間がかかるからというだけじゃない。おばあはとにかく友人のためを思って今回、カレーをつくったのだ。

おばあが作った玉子焼き(味付けは塩だけ。玉子3つ使用)

もう一つ、いつもと違うおかずがある。おばあがメニューに一品、加えたいときにつくるたまご焼きだ。たまご3個を使い、塩だけで焼くのは同じだけど、今日のものは小さく切り分けられている。いつもは長方形のフライパンで焼き上げた形のまま出てくるので、端から豪快にかじって食べる。

それがなぜ、今日のたまご焼きは切れているのだろうか。一切れはちょうど、カレー用のスプーンにのるくらいの大きさだ。まさか! これはカレーのトッピングではないのか!

2日目のカレーに玉子焼きを乗せた「玉子焼きカレー」

カレーにのせてみると色合いもよく、食欲をそそる。カレーとごはんとたまごやきをスプーンにのせてほおばる。具材が溶け込んだ2日目の濃厚なカレーと、シンプルなたまごやきの淡白な味わいが調和する。たまごやきはボリュームもあって、噛み応えも心地いい。ありそうでなかったトッピングだ。

「どうや? うまいか?」
テーブルの向かい側からおばあがいった。おばあの席にはたまご焼きがない。またおばあは僕を使って、新メニューの実験をしたらしい。
「うん。うまいで」
僕は正直に答えた。実験台にされたけど、おいしかったので腹は立たない。

普段ならここで、一口食べさせろといってくるはずだ。ところがおばあは口を開かない。しばらくして、
「たまご焼きも持っていってやればよかったな」
とぼそりといった。たまご焼きなら牛すじ肉より柔らかいので、病み上がりでもカレーにのせておいしく食べられそうだ。
「一口食べてみるか」
と僕はおばあに聞いた。