まさかおばあの手づくり?いつもの《味の素冷凍》じゃない、山盛り一口餃子

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山盛りの一口餃子など、祖母(おばあ)が作った晩ごはんのメニュー

メニュー
・餃子(いつもの味の素冷凍「ギョーザ」じゃない)
・大根と厚揚げの炊いたん
・枝豆豆腐スプラウトのせ
・刻みオクラのかつお節和え
・サラダ
生:玉ねぎ、トマト、キャベツ 茹で:ブロッコリー、アスパラガス、ほうれん草
・ごはん

こんな山盛りの餃子、見たことない。30個は軽く越えている。おばあは僕と二人で、脂っこくて腹に溜まる餃子をこれだけ食べきれるとでも思っているのか? きっと84という自分の年齢を忘れているのだろう。僕だって30代中盤で、運動不足で夏バテ気味。10年前ならペロりといけたかもしれないけど、今の僕の消化器官は確実に衰えている。

それにしても今晩は盛り付けが雑すぎる。これまでは餃子の王将みたいに、香ばしい焼き色が付いた面を揃えてきれいに並べていた。おばあの料理に対する美意識は、もっと確固たるものだと思っていたのに何だかがっかりだ。量が多すぎるからいちいち並べるのが面倒になって、がさっと適当に盛ったのだろう。

いつもと同じ量を焼いて、いつものように丁寧に並べれば、食べきれないこともないし見た目もきれいだったのに。餃子は相変わらず味の素冷凍「ギョーザ」だろうから、味も間違いなく……いや、違う! これは、おばあの家で何年も食べ続けてきた、あの「ギョーザ」じゃない。大きさが一回り小さく、どことなく丸みを帯びている。

冷凍庫に長期間保存できて、失敗せず簡単に焼くことができ、味もいい。どこに別の餃子を買ってくる理由があるというのだろう。まさか、つくったのか!

おばあは今でもたまにチャレンジ精神を発揮して、思いもよらない料理をつくることがある。この前も僕ははじめて、おばあお手製の麻婆豆腐を口にした。とんでもない見た目だったけど、あれはあれでおいしかった。おばあは冷凍「ギョーザ」を食べているうちに、自分でもつくってみたくなったのかもしれない。材料さえわかれば、何度も食べている餃子の見た目を間違えることはないだろう。

とはいえはじめてで、これほど見事に仕上げることができるだろうか。どれも皮は細かなひだをつくって貼り合わせてあり、中身が見えているものはひとつもない。大きさも形も工場で大量生産されたみたいにぴったりそろっている。それもおばあの半世紀以上におよぶ調理の経験を生かせば可能かもしれない。今ではおばあの得意料理になっている牛すじ入りカレーだって、僕が「牛すじ入れてみれば」と提案したら、いきなり想像を越える絶品のカレーをつくってみせたのだ。

「今日の餃子、何かいつもと違うけど、つくったんか?」
僕は素直に聞いてみた。するとおばあは、
「さっき焼いたばっかりや」
とあいまいなことをいう。僕がさらに質問しようとすると、

一口餃子を箸でつまむ祖母(おばあ)

「さっさと食べな、冷めてまうで!」
有無をいわせず声を荒げ、箸で餃子をつまみ上げた。

一口餃子をタレにつけて食べる祖母(おばあ)

そしてタレにたっぷり浸して口に運び、間髪入れず、
「うまいわあ。お前も食べや!」
と声を上げた。この餃子、おばあがつくったものなんですかね、と僕が口を挟む隙を与えてくれない。

僕が見ているあいだにも、おばあは2つめ、3つめと餃子を次々と口に放り込んでいく。噛むと中から熱い肉汁があふれてくるようで、口の端から滴り落ちないように少し上を向き、はふはふいいながら食べている。その様子がいかにもおいしそう。僕も急に空腹を感じ、じっとしていられなくなってきた。

おばあはさらに餃子に箸を伸ばす。僕も負けまいと、一気に餃子を2つつまんで口に入れた。肉の味と食感が強く、みずみずしくてかなりおいしい。僕がまた餃子をつまもうとすると、おばあの箸が素早く割って入り、3つ連続で口に入れた。僕も続けて3つを一気食いする。

祖母(おばあ)が作った大根と厚揚げの煮物

たまに煮物や、

枝豆豆腐スプラウトのせ

枝豆豆腐などのおかずを口にしつつ、おばあと競って食べ進める。いつの間にか餃子の山は削り取られていき、やがて皿は空になった。さすがにお腹いっぱいだ。これ以上何も食べられない。

いろんな疑問があったような気がするけど、もう答えなんてどうでもいい。そう思って床に寝転ぼうとすると、
「寝るなら先に、台所に皿、持って行け!」
とおばあの怒声が聞こえた。