メニュー
・鮎の塩焼き(2尾)
・小エビの揚げたん(魚屋が揚げたもの)
・なます
大根、にんじん、サバ
・キムチ
・みそ汁
豆腐、小松菜
・サラダ
生:トマト、キャベツ 茹で:ブロッコリー、アスパラガス、ほうれん草
・ごはん
流線型のすらっとした体と小さな頭。うすく緑がかった皮の表面に焼き色がつき黄金の光を放つ。全体にまぶされた塩が、香ばしそうに焼きあがった尾びれの先で固まっている。これはイワシやタイといった、おばあの家の食卓でお馴染みの海の魚ではない。清流の女王と呼ばれる川魚、鮎だ。
今年も鮎の季節がやってきた。おばあは毎年、今ごろの時期になると鮎を買ってきて塩焼きにする。しかも同サイズのイワシより値が張るはずなのに、決まっておばあと僕の皿に2尾ずつ並ぶ。
おばあは人里離れた愛媛の山奥で育った。畑や山でとれたものしか口にしたことがなかった子どものころ、海の魚は見たこともなかったという。一方、鮎はきれいな川に生息する。今でもほとんど開発がされていない、おばあの生家のあたりには、手付かずの清流があったのに違いない。旬である今ごろの時期になると、子どもだったおばあや家族が畑仕事の合間にとってきて、塩焼きにして食べていたのだろう。そのころの味が忘れられないのか、今でもおばあは鮎が好物らしい。
僕も鮎は好きだ。鮎の塩焼きが2尾もあれば、おばあも僕もじゅうぶん満足できる。だけど今日はさらに、小エビの素揚げまである。今までにこんな料理、おばあは一度もつくったことはなかった。おそらく、おばあがひいきにしている商店街の魚屋で買ってきたのだろう。その魚屋は扱う魚の質がいいだけではなく、魚料理の惣菜も充実しているのだ。
「今日は鮎があるのに、なんで小エビの揚げたんまで買ってきたんや」
僕はテーブルの向かいの席に座るおばあに聞いた。
「魚屋が、酒のアテにええというてすすめてきたからや」
とおばあは答える。おばあも僕も酒がほとんど飲めないので、〈酒のアテにええ〉から買ってきたというのはおかしい。今日の献立に文句でもあるんか、とでもおばあはいいたげに眉をしかめたので、僕は質問することをやめた。
不満どころか、彩りがよくて香ばしくておいしそうだし、鮎に加えて小エビの素揚げまで買ってきてくれたのはありがたい。
とにかくお腹が減っている。まずは、焼きたてでうっすらと煙が立つ鮎の塩焼きから箸をつけることにした。焼き加減も塩加減も見るからに絶妙だ。僕はあふれてきたつばをごくりと飲んだ。
鮎に箸を突き刺すと、うすい皮がパリッと割れてふかふかの白い身が現れた。その身と皮をつまんで口に放り込む。やわらかく、脂と水分を含んだしっとりとした身がほどけ、皮の香ばしさと塩が引き立てる淡白な味わいが口の中に広がる。かと思うと鮎独特のさわやかな香りが鼻腔に抜けた。
「ああ」
と思わずいいながら僕が息を吐いたのと
「うまいわあ!」
とテーブルの向かい側の席で、おばあが大きな独りごとを放ったのがほとんど同時だった。
おばあに目を向けると、鮎の頭と尻尾のあたりを左右の手でつかみ、胴体は入れ歯でかじったところが欠けていた。そうだった。おばあは毎回、鮎の塩焼きを手づかみで食べる。おばあは子どものころから、川でとってきた鮎の塩焼きを手づかみで食べていたのだ。思い切りのいい食べ方が堂に入っている。
おばあは2口めに背骨ごとかぶりつき、鮎の体が尻尾側と頭側に切断された。それを総入れ歯でむしゃむしゃと噛み砕く。両目は見開かれ、頬の血色もツヤもいい。おばあは鮎を食べることに夢中になり、童心に返って楽しんでいる様子。
僕も箸を放り出し、鮎を掴んでがぶりとかじる。腹側の内臓もほとんど苦くなく、周りの身に脂がのっている。その脂もさっぱりとしていて、いくらでも食べられそうだ。気がつくと、僕は2尾の鮎を平らげていた。さすがに塩辛い尻尾の先と固い頭は残したけど、おばあの鮎がのっていた皿を見ると、何も残っていなかった。入れ歯だから固いものは食べられない、なんていっておきながら、鮎の頭まで食べてしまった。おばあは鮎の塩焼きを前にすると、口の中まで若いころに戻ってしまうらしい。とはいえ、おばあが元気に何でも食べるのはいいことだ。
僕もおばあもメインのおかずだけを一気に腹に収めてしまった。まだごはんには手を付けていない。あとはキムチとみそ汁、そして今日は、小エビの素揚げがある! 頭ごと口に入れて噛むと、ぷりぷりの身と固い殻の食感のコントラストがいい。余計な水分が飛んで濃縮された海老の風味が口いっぱいに広がる。味付けは塩が効いていて、思った通りごはんが欲しくなる。僕は茶碗を掴み吸い込むようにごはんを口に入れた。おばあも同じ皿から小エビの唐揚げを手でつまんで口に入れ、僕と競うようにごはんをかき込む。
おばあはこうなることを予想していたのではないか。おばあも僕も鮎の塩焼きを真っ先に平らげてしまい、ごはんのおかずが欲しくなることを見抜いていた。小エビの素揚げとごはんを交互に口に運び、その味わいを噛みしめるたびに、想像は確信にかわっていく。小エビは最後にちょうど2つが残り、おばあと僕は最後のひとつをめぐって争奪戦を繰り広げることなく、ほとんど同時に茶碗を置いた。