腹を空かせた僕が、勢いよく戸を開けて玄関に駆け込む。いつもならここで、居間のほうからおばあが「おお、来たんか!」とか「誰や!?」と、僕が夕飯を食べに来ることはわかっているはずなのに、いちいち声をかけてくる。
だけど今日は、テレビ番組の音声が流れてくるだけだ。87歳で亡くなったジャニー喜多川氏を、誰かが追悼しているニュースらしい。おばあは近ごろ、同世代の人が亡くなると決まって「85にもなったんやから、いつ、どうなるか知らんで」と、死をほのめかすようなことを真顔でいう。たしかに80代も後半にさしかかると〝いつ、どうなるか″なんてわからない……まさか!? おばあの声が聞こえてこないのは、向こうで倒れているからじゃないのか!?
靴を脱ぎすて居間に飛び込むと、おばあは愛用の回転イスに腰かけていた。ところが、点けっぱなしのテレビには目も向けず、背中を丸めてぐったりうつむいている。〝同世代の人の死″は、何よりも興味があるはずの話題なのに……どうしちゃったんだよ!
「おばあ!!」
僕は思わず叫びながら駆け寄った。すると、意識をなくしているはずのおばあから、「なんや! うるさいな!」
といつもの大声が返ってきた。
よかった! 三途の川を渡り切る寸前で、僕の声がとどいて息を吹き返した! というわけではなく、おばあの手元には――
鮮やかな黄色い実がびっしり詰まった、トウモロコシが握られていた。おばあはあの世に意識が飛んでいたわけではなく、黄色い実を一粒ずつ親指で取り外しては、手の中にためるという作業に没頭していたのだ。
トウモロコシは、おばあが生まれ育った愛媛の山奥で口にすることができた貴重な甘い食べ物だった。だから今でも大好物だ。とはいえ現在のおばあは、子どものころとは違って自前の歯はすべて虫歯になり、総入れ歯に変わってしまった。丸ごとかぶりつくことができないので、実を取り外すしか食べる方法がないのだ。
だからこそ、晩ごはんを食べに来た孫や、同世代の人が亡くなったニュースよりも、大好きだけどなかなか口にできないトウモロコシに夢中になるのもうなづける。
やがて手の中がいっぱいになると、アゴが外れそうなほど大きく口を開け――
トウモロコシの実を一気に放り込んだ。そして総入れ歯の口をもごもご動かし、ゆっくりと味わうと
「甘いわあ! これ、田舎から送られてきたんや」
と誇らしげに胸を張った。
それなら絶対、おいしいはずだ。おばあの親戚が毎年送ってくるトウモロコシは、砂糖をまぶしたかと思うほど甘い。当然、僕のぶんもあるのだろう。食べるのを想像しただけで、みずみずしく弾ける食感と、甘い味わいが口の中によみがえってくる。ところがテーブルに目をやってみても、黄色い粒のかけらひとつ見当たらない。あったのは――
おばあが食べ残したカレーだけ……って、え? カレーだって! カレーならいつも食欲をそそる香りが、家の外にまでただよってくるのに……。
おばあがカレーをつくると、2人でゆうに3日ぶんは食べられる量が鍋いっぱいにできあがる。玉ねぎやニンニク、牛スジなどの香りが強い食材を使い、ルウも数種類をブレンドしてふんだんに投入するので、玄関にまで香りが充満するのだ。
ところが今晩は、テーブルのそばに来るまで香りが感じられなかった。おばあのことが心配だったから気が付かなかった、というわけじゃない。香り自体がいつもより格段に弱いのだ。近所の人から少しだけもらったとか、何か特別な理由がないと説明がつかない。
疑問をぶつけようと口を開きかけると、
「カレー、自分で入れてこい!」
おばあの指令が飛んできた。
「今晩のカレーは、誰かからもらったんか?」
とたずねると、
「もらうわけあるか! 買うてきたんや! さっさと入れてこい!」
短気なおばあが声を荒げた。
え? 買ってきただって!? どういうことやねん! カレーは得意料理じゃなかったんか!? 次々と疑問がわいてきたけど、これ以上怒鳴られるのも嫌なので、僕は黙って台所に向かった。すると、たしかに鍋の中にはカレーがあった。あったけど……これは――
レトルトやんけ! どうしちゃったんだ! カレーくらいつくってくれよ!
レトルトのカレーも味はなかなかおいしいし、料理をつくってもらっている立場の僕が、文句をいえる筋合いもない。だけどおばあがついに、得意料理のカレーを自分の手でつくらなくなったとは、正直ショックだ……。
まだまだおばあは元気だと思っていても、同世代の人たちが次々と亡くなる年齢にさしかかっている。このまま少しずつ、できないことが増えていくのだろう。そう思うと、雨が降りしきる外に駆け出したいような、台所の隅でじっとうずくまりたいような、いたたまれない気持ちになる。
ただ、台所にあったのは、レトルトのカレーだけじゃない。コンロに乗ったフライパンには――
香ばしい焦げ目がついた細切れの鶏肉が、小高い山をつくっていた。これは、カレーの具材に違いない。さすがおばあ、レトルトのカレーとはいえ、さらにおいしくする手間と工夫を惜しんでいない。
おばあがカレーをつくれなくなったことを、嘆いていても仕方ない。僕にできるのは、つくってくれたものをおいしく食べることだ!
僕は流し台にあったカレー皿を手に取り、炊飯器に近づいた。すると、
「なにしてんねん。さっさと入れえや!」
と大声が耳元で聞こえたかと思うと、皿をひったくられた。そして――
おばあは炊飯器からごはんをよそい、
鶏肉をどっさりと盛りつけ、
湯気の立つ鍋から手づかみで、レトルトカレーのパウチを取り出し、
ごはんと鶏肉の山脈の上に、茶色いカレーを一気に注いだ。他のおかずも冷蔵庫や電子レンジから取り出し、僕の席にはーー
メニュー
・レトルトカレー ニッポンハム「レストラン仕様カレー」(辛口)鶏肉追加
・赤い魚の焼いたん
・冷蔵シュウマイ
・じゃがいもとタケノコの煮物
・茹でもやし
・千枚漬け
・サラダ
生:ミニトマト、玉ねぎの醤油漬け、キャベツ 茹で:ブロッコリー、アスパラガス
7種類もの料理が並んだ。すごいぞ、おばあ! カレーがつくれなくなったって、これだけのメニューを用意できるなんて! 料理の腕前とレパートリーは、僕にはまだまだ太刀打ちできない。それにしても、これほどの品数を出せるなら、手間暇かけて一からカレーをつくってもいいような……。
今は疑問を口にするよりも、とにかく食べよう。カレーがかかった鶏肉とごはんを、スプーンで口に運ぶ。ルウはスパイシーな辛さが、フルーティーな甘さを引き立てている欧風カレーだ。一人暮らしをしていたころ、しょっちゅう食べていた味がする。これはこれで悪くない。そして、なんといっても、ごろごろと大量に入っている鶏肉がいい! ほとんどごはんと同じ量だから、何度すくっても鶏肉が一緒に味わえる。だからといって飽きが来ることもない。
追加の具材に鶏肉のみを選んだことも、量のバランスも、さすがおばあ、と称賛を送りたくなる。だけど手づくりのカレーも、やっぱり捨てがたいから、素直にほめる気にもなれない。というわけで僕は、ただ黙々とカレーを食べ続ける。
しばらくするとおばあが、台所から戻ってきた。手に持つ皿にはトウモロコシが乗っている。僕のぶんだろうか? いや、そうではなさそうだ。というのも――
実の部分だけを、包丁でそぎ落としてあるのだ。一粒ずつ外すのが面倒になったらしい。おばあはかたまりを一つ手に取って――
ひょいと口に放り込んだ。これなら総入れ歯でも、簡単に食べられる。
僕も手を伸ばすと、おばあは皿を引き寄せ、
「お前は、食わんでええやろ!」
と怒鳴られた。
なんでやねん! といい返して、ひとつ奪い取りたかったけど、黙って手を引っ込めた。このぶんなら、まだまだ長生きしてくれるはずだと安心したからだった。おばあの食べることに対する総意工夫と執念は、僕以上だ。
素直におばあをたたえよう。そう思ったけど、僕がカレーを食べ終えても、目の前でゆっくりとトウモロコシを味わっている様子を見ていると、やっぱり腹が立ってきた。