「なんや、遅いな!」
居間の戸を開けるといきなりおばあに怒鳴られた。
「仕事が長引いたんや!」
僕も威勢よく答えたけど、ほんとはそれだけじゃない。ちょっと離れたところにあるケーキ屋まで自転車を飛ばして、メッセージ入りのホールケーキを買ってきた。今日は年に一度の敬老の日だ。いつも甘いものを食べすぎるなと注意しているけど、今日くらいケーキを好きなだけ食わせてやる! とはいえせっかく買ってきた4号サイズのフルーツケーキを、すぐに披露するのも面白くない。何もないと見せかけて、後から出した方が驚きも大きいはず。というわけで保冷材を入れた箱のまま廊下に置いてある。
僕のサプライズ計画をおばあは知るはずもなく、
「そんな長引くほど仕事してへんやろ! どうせ寝てたんや!」
といつも以上にむかつくことをいう。何が〝寝てた”や! たしかに普段は8時間ほど寝てるかもしれん。でも最近はえらい寝不足じゃ! と叫びながら、顔ほどもあるケーキを今すぐ突きつけてやりたくたなった。
だけどここは我慢しなければ。おばあは敬老の日のプレゼントを期待していたのだろう。だからこそ手ぶらの僕に腹を立てているのに違いない。いいぞいいぞ。はじめにがっかりすればするほど、ケーキのよろこびも大きくなるというものだ。
おばあが期待していたのは、今晩の献立からもわかる。
メニュー
・トンカツ(「揚げずにからあげ」使用)
・ナスの炊いたん
・オクラのかつお節和え
・茹でもやし
・サラダ
生:玉ねぎ、トマト、キャベツ 茹で:ブロッコリー、アスパラガス、ほうれん草
・ごはん
メインのおかずはトンカツだ! 僕が何か買ってくることを見越して、おばあはお礼に僕の好物を用意してくれていたのだ。とはいえ、本当にプレゼントがあるのか確信は持てなかったらしい。
肉はペラペラだし、衣はパン粉じゃない。小さなつぶつぶが集まった衣は「揚げずにからあげ」だ。これをまぶせば油がなくても唐揚げができる便利な粉である。以前、鶏の唐揚げをしたときに余ったやつを、豚肉にまぶしたらしい。つまりこれはトンカツではなく、手軽につくった豚肉の唐揚げだ。
とりあえず一切れ食べてみると、けっこういける。だけどやっぱり物足りない。分厚い肉にパン粉をつけて揚げたトンカツが余計に恋しくなる。ペラペラでカリカリの唐揚げより、ジューシーでサクサクのあの食感がなつかしい。
「このカツ、ちょっと物足りへんな」
つい口に出してしまい、しまった! と思った。ただでさえ料理のことで文句をいうとおばあは途端に機嫌が悪くなる。さらに今日は僕が期待を裏切ったと思っているから、どんなひどい罵声を浴びせてくるのか考えただけで恐ろしい。ここはもうケーキを出して許してもらうしかない。そう思って席を立とうとしたとき、おばあはどこに隠し持っていたのか、マヨネーズのチューブを無言でテーブルに置いた。貼られたシールに何か書いてある――
キューピーアマニ油マヨネーズだって! アマニ油といえば、とにかく健康にいいとテレビの情報番組でやっていた。僕もスーパーで手に取ったことがあるけど、値段を見てそっと棚に戻したことがある。それを使ったマヨネーズがあるなんて……。大きさもよく見るやつの半分くらいだし、マヨネーズにしてはちょっと贅沢な値段なのだろう。
おばあもサプライズを用意してくれていた。やっぱり僕が何か買ってくることを期待していたのだ。さっそくたっぷりつけてみると、たしかに豚肉の唐揚げは一段とおいしくなった。アマニ油の効果か、思ったより後味がさっぱりしている。物足りないとかいってごめんよ。
早くおばあにケーキをあげようと、僕はぱくぱく食べ進んだ。すべて食べ終えると急いで部屋を出て、ケーキを箱から取り出してテーブルに戻った。
テレビを見ていたおばあは、ケーキを抱えた僕に顔を向けると目を丸くして、
「そんなん、買うてきてたんか!」
と驚きの声を上げた。サプライズ成功だ! とよろこんだのもつかの間、
「ひとりで食うにはちょっと大きいな!」
といった。ひとりで食うだって! しかもちょっと大きいって……まさか、一気に平らげるつもりか! さっきまで好きなだけ食べたらいいと思っていたけど、さすがに全部は血糖値が急上昇して危険だ! おばあ、考えなおせ! そう声に出そうとすると、突然おばあが立ち上がり、普段の倍のスピードで台所に消えていった。すぐに戻ってきたおばあの手には包丁と皿が2枚。よかった。ちゃんと2人ぶんに分けて食べるらしい。それにしても、驚かせるつもりが反対に驚かされてしまった。
おばあはまずホワイトチョコのプレートを手に取り、まじまじと眺めた。表情は変わらないけど、メッセージはちゃんと伝わっただろうか。感想を聞いてみようとした瞬間、おばあは包丁を掴みケーキに切りかかった。
丸いホールケーキに包丁を押し当てる。じわじわと刃がめり込んでいく。もう少しで底に到達するというところで、何を思ったのかおばあは素手でケーキを鷲づかみにして引きちぎるように皿に乗せた。
ケーキは一瞬で無残な姿になってしまった。どういうことだおばあ! よろこんでくれたんじゃなかったのか! 何が気に入らなかっのたかわからないけどあんまりだ! いろいろいいたいことはあったけど、あまりに突然のことで声が出なかった。だけどこれもすぐに僕の思い過ごしだったとわかった。
おばあはひったくるように皿をつかむと、ぐちゃぐちゃのケーキをかき込みはじめた。きれいに切り分ける時間も待てないほど早く味わいたかったのだ。まったく、おばあの言動には驚かされる。どっちがサプライズを仕掛けたのかわからない。
ほっとすると僕も甘いものを食べたくなった。テーブルの上に目をやると、今にも崩れ落ちそうなカラフルなケーキが半分残っていた。