おばあは野菜が嫌いだ。晩ごはんにはサラダが毎回出てくるけど、好きだからというわけじゃない。野菜には血圧を下げる効果あるとテレビ番組で知ってから、高血圧症のおばあは薬だと思って仕方なく口にしているだけである。
3ヶ月ほど前からは、サラダに生玉ねぎの醤油漬けをトッピングするようになった。どうやら生の玉ねぎには、強い血圧を下げる作用があるという情報を掴んだらしい。
健康に気を付けてくれるのはうれしいけど、おばあがつくる玉ねぎの醤油漬けは味が濃すぎる。醤油の量が多いのか、漬け込んでいる時間が長いのか。たぶんその両方だろう。そして玉ねぎを乗せたサラダには、漬けていた醤油もどばどばと、皿の底のほうに溜まるまでかけてしまう。さらにその上からマヨネーズを、焼きたてのお好み焼きかと思うほど絞り出し、ぐちゃぐちゃにかき混ぜてから口に運ぶ。高血圧には逆効果のような気もするけど、調味料で野菜の味を消してしまわないとおばあはサラダを食べられないのだ。
野菜とは反対に肉は大好物である。特に総入れ歯でも噛み切りやすい、柔らかな和牛肉には目がない。今晩の食卓でも、牛肉が皿に山盛りになっていた。野菜とは違って味付けはシンプルに塩のみ。和牛肉そのものの味を楽しみたい、おばあの気持ちはよくわかる。
メニュー
・牛肉と万願寺とうがらし、ピーマンの焼いたん
・たけのこと手綱こんにゃくの炊いたん
・枝豆豆腐(かいわれ乗せ)
・茹でもやし(すりごま乗せ)
・マカロニサラダ
マカロニ、ハム、きゅうり
・サラダ
生:玉ねぎの醤油漬け、ミニトマト、キャベツ 茹で:ブロッコリー、アスパラガス、ほうれん草
・ごはん
僕は今晩、いつもの晩ごはんの時間ぴったりにおばあの家にやってきた。それでもおばあは待ちきれなかったのか、すでに焼いた牛肉を食べはじめていた。僕も席に着くなり真っ先に、牛肉に箸を伸ばす。するとおばあが顔をしかめながら
「今日の肉は固くてまずいわ!」
といった。まさか! そんなはずはない。
牛肉の表面は透き通った脂でうっすらと覆われて輝いている。よく見ると牛肉の表面には、きめ細かなサシが入っているのもわかる。たまにおばあが買ってくる、ちょっといい和牛肉に違いない。焼き加減もちょうどよさそうだし、本当にこれが固くてまずいのか? ちょっと信じられない。
今日の献立は一目見て、おばあの強い気持ちが伝わってくる。まず山盛りの和牛肉に「おいしいものが食べたい!」という意気込みが現れている。そして付け合わせには珍しくピーマンと万願寺とうがらしらしき野菜。どちらも苦味があって、おばあは苦手なはずだけど、好きな牛肉と一緒なら食べられると考えたのだ。「もう、いつ死んでもええ!」とおばあはよく口ぐせのようにいうけど、緑の野菜をなんとか食べようとしているところを見ると、健康になりたいというのが本心のはず。
牛肉に負けず、他のおかずも充実している。
たけのこと手綱こんにゃくの煮物や
すりごまをふりかけた茹でもやし、
かいわれ大根を乗せた枝豆豆腐(これは僕だけ)。
そして、玉ねぎの醤油漬けをトッピングしたサラダに加え、
マカロニサラダまである。これだけの料理を用意しておいて、メインの牛肉に期待するなとうほうが無理である。それをおばあは「固くてまずい」といった。
そうか。僕が食べる前にまずいと伝えておいて、味のハードルを下げておいたのかもしれない。その方が「これは、柔らかくておいしい和牛肉だ!」と思って口に運ぶより、期待値が低いぶんさらにおいしく感じられるというわけだ。だからおばあの本音は「柔らかくておいしい!」ということだろう。
ますます膨らむ期待を抱きつつ、僕は箸で牛肉を一切れつまんで口に入れた。舌の上で和牛肉の脂の甘味を感じる。そして噛むと……カリっという牛肉とは思えない食感とともに、膨らみ続けていた期待は破裂した。焦げ臭い香りが鼻に抜け、口中に苦味が広がる。まずくはない……決してまずくはないけど、これは焼きすぎだよおばあ!
もしやと思って牛肉をひとつずつひっくり返してみると、反対側は見事に真っ黒焦げ。脂の多い和牛肉は、焼いているときに油断するとすぐに焦げてしまう。この前もおばあは黒焦げにしてしまった。
今回は片面は無事なので、少し苦いのを我慢すれば食べられる。ピーマンとししとうも苦いので、一皿まるごと苦味づくしになるのはちょっと辛い。牛肉そのものの味がいいのが救いである。箸がすすんで意外とおいしく平らげることができた。
ふとおばあの皿を見ると、まずいとかいっていたくせに牛肉は完食していた。だけど付け合わせはほとんど手つかずで残っている。おばあは僕と目が合うと、
「野菜も固くてまずかったわ!」
と大声でいった。ピーマンも万願寺とうがらしも、全然固くなかった。ぱりぱりとした新鮮な歯ごたえが心地よかったくらいだ。おばあは半分焦げた牛肉の、苦みの奥にあるおいしさは理解できていたようだけど、やっぱり野菜となると子どもみたいな味覚しかないのである。