今日は2月14日。昨日は、気の早いおばあがほぼひとりで、袋詰めのチョコレートを食べてしまった。今晩は僕のために、チョコレートを用意してくれているだろうか。
僕は楽しみにしながら、おばあの家にやってきた。ところが食卓に着いて、大変なことに気がついた。
メニュー
・高野豆腐の炊いたん
・おから
・紅白なます
大根、サバ、にんじん
・刻みオクラのかつお節のせ
・茶碗蒸し(ふじや食品、地養卵茶わんむし海老)
・サラダ
生:トマト、玉ねぎの醤油漬け、キャベツ 茹で:ブロッコリー、アスパラガス、ほうれん草
・ごはん
高野豆腐におからに、なます…‥今晩も、肉なしの精進料理なのか! いいかげん、おばあの便秘解消メニューに付き合わされる僕の身にもなってほしい。豆と野菜で満足できる偉いお坊さんと違って、僕は悟りからほど遠い肉好きの俗物なのだ。おばあも僕と同類なのに、肉を断てるなんて、便秘がよっぽどひどいのかもしれない。
昨日は鶏肉のすき焼きが出たから、おばあの便秘はすっかり解消したものだとばかり思っていた。でもそうじゃなかったのか……いや、待てよ。部屋の中に漂っているのは、醤油と砂糖を煮詰めた甘辛い香り。まだすき焼きが残っているのか。昨日、二人でほとんど平らげたはずだけど……。
「もう、ええころやな」
そうつぶやいて、おばあはイスから立ち上がった。振り向いた先のストーブの上には――
肉だ! 牛肉のすき焼き、というより、肉と野菜のごった煮だ。
この煮詰まり具合からすると、おばあが昼につくって食べた残りを、ストーブの上でじっくり温め直したようだ。ちょっと固くて味も濃そうだけど、牛肉にはかわりない。
よし、昨日みたいに食べまくってやる! と息まいたものの、取り皿がない。だったら、こうしてやる!
どうだ、ごはんの上に、のっけてやったぞ。真っ黒に煮詰まった牛丼だ。これはこれでジャンクな感じが食欲をそそる。おばあも肉をごはんに乗せては、夢中でがつがつとかき込んでいる。
おばあは血圧が高めだけど、たまには塩分がどうとか気にせず好きなだけ食べたらいい。最近は野菜づくしで、体は浄化されているはず。だから今晩くらい脂と塩分をたっぷり摂っても平気だろう。
見た目通り、肉は固くて塩辛い。それが炊きたてのごはんと一緒だと悪くない。いくら噛んでも味が残っているし、ごはんの甘みも増してくる。総入れ歯のおばあも、最近変えた入れ歯安定剤が合っているのか、しっかり噛んで味わっている様子。
味が濃い肉を食べていると、あっさりした高野豆腐や野菜がさらにおいしく感じられる。結局また、僕とおばあの二人だけで、煮詰まったすき焼き風ごった煮をほとんど食べ切ってしまった。
おばあはイスの背に寄りかかり、満足そうに目を細めている。僕は立ち上がり、おばあのぶんも空になった食器を台所のシンクに運んだ。最後にフライパンを運んで戻ってくると、食卓にはカラフルな箱の――
バレンタインデーのチョコレートだ! しかも3箱も! どれもただの板チョコじゃない。なんだかいろいろ入っていておいしそう。お腹はパンパンだったのに、また食べたくなってきた。まさに甘いものは別腹だ。おばあも同じようで、
「お前それ、開けてみい」
と緑の箱を指さした。
ロッテの『Bacchus』(バッカス)というチョコだ。冬季限定で、ブランデーの一種のコニャックが入っている。なんてものを買ってくるんだ。おばあはお酒を飲むと蕁麻疹が出る、まったく飲めない体質じゃないか。それを僕も受け継いで、ほとんどお酒を受け付けない。おばあはコニャックなんて強いお酒を体に入れたら、発疹が出たりしないのか。
「何ぼけっとしとるんや、さっさと開けや!」
せっかちなおばあが声を荒げるので、僕はひとまず中身を取り出した。
整然と並んだ丸みのある形は、つい口に入れたくなる。中に入っているコニャックの量はほんの少しだから、一粒くらいなら大丈夫だろう。だけど一応、おばあに忠告しといたほうがいい。ところが
「これ、強いお酒が――」
まだいい終わらないうちに手が伸びてきて、
一粒つまんで、
ひょいと口に放り込んだ。
「おばあ、お酒入ってるねんで、これ!」
とあらためて注意したけど、気にするそぶりも見せず、また一粒口に運ぶ。このまま一気に食べると危険かもしれない。別のものを食べさせなければ――
この『チョコレート効果』というのは、カカオ86%だけどアルコール分は0%。箱を開け、袋を破って、おばあの手元に持って行くと――
素直に受け取って、
口に入れてボリボリと噛み砕いた。すると、
「なんやこれ! えらい苦いわ!」
と顔をしかめた。
それはそうだ。何しろカカオが86%も入っている。僕が以前食べたことのある70%のやつでもかなり苦かった。86%となると、超甘党のおばあの口に合うわけがない。
「苦いのはもうええ。そっちの赤いの開けえや」
おばあはまた僕に命令する。赤い箱に目をやると、そこにはなんと――
アルコール分3.7%の文字。ワイングラスのイラストも描かれている。この『Rummy』(ラミー)には、レーズンをラム酒に漬けたラムレーズンが入っているようだ。お酒がそのまま入っているわけじゃないから、『Bacchus』より食べても大丈夫だろう。そう思うことにして箱の封を開けると、またおばあの手が伸びてきてひったくるように奪われてしまった。
中のバー状のチョコレートは銀紙に包まれていて、おばあは開けるのに四苦八苦している。
「これも開けえや!」
とイラついた口調で命令された。僕はいわれた通りにする。
ひとかけらぶんだけ銀紙をはぐと、おばあがすかさずもぎ取り、
口に入れた。
「うん、これはええわ!」
うなづいて手を伸ばすので、また銀紙をむいてやる。
それをまたもぎ取り、口に運ぶ。
「お酒入ってるけど、体は大丈夫?」
と聞いてみると、
「これくらい平気や!」
おばあは元気よく答えて、コニャック入りの方をまたつまんで口に入れた。そして、
「おばあが平気なんやから、お前もなんともないやろ。この赤いのがうまいわ。早よ食うてみいや」
と僕に『Rummy』を食べるようにうながした。
そうか! 僕もお酒が飲めないことを知っているおばあは、自らの体を張ってこのアルコール入りのチョコが食べられるのか〝毒見″をしてくれたのだ。そうまでして僕に、おいしいチョコを食べさせたかったのか。
「おばあ、ありがとう!」
そういって僕は、ラムレーズン入りチョコを口に放り込んだ。
おばあに向かって素直に感謝の言葉を口にしたのはいつぶりだろう、と思い返しながら、ラムの香りのチョコを味わった。