いつもの和牛じゃなくてもうまい!とろろすき焼き

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醤油と砂糖を煮詰めた香ばしく甘辛い香りが、玄関にまで漂っている。嗅いだ瞬間にごはんが欲しくなるのは和食をベースに生きてきた人間の条件反射だ。これは肉じゃがでも、煮物でもなく、すき焼きに違いない! 同じ調味料を使っていても、その割合の微妙な違いが鼻でわかるというのは和食が基準の人間の習性かもしれない。

やれインドカレーとかタイカレーとか、韓国冷麺とか両面・よく焼き餃子とか、ミラノ風ドリアとか、海の外から渡ってきたものをしょっちゅうおいしくいただいていても、結局僕の舌の芯には和食の基本のさしすせそが染みついている。

中でもすき焼きといえば、最高峰のごちそうだ。しかもおばあがすき焼きをつくるときは、ちょっといい和牛の肉を使う。あの舌の上でさらりと溶ける脂のほんのりした甘さと、和食のシンプルな味付けの調和は、ごはんを一気にかき込まずにはいられなくなる魔力を生む。糖質過多で運動不足の三十代にとっては寿命を縮める自殺行為に等しい。だけど何を犠牲にしても早く食べたくて仕方ない。

居間に飛び込むと、テーブルの上には大きなフライパン。中には白滝、長ネギ、しめじ、そして主役の牛肉が具材ごとの区画を保って整然と、おばあの美的センスにしたがって並べられて……いなかった。

祖母(おばあ)が作った豚肉のすき焼き

すべての具材が混ざり合い絡まり、以前おばあがつくったときのような、高級絨毯の模様を思わせる規則的な美しさは微塵も感じられない。肉の様子も変だ。脂身がゆるく縮れて赤身のあいだにも細かく散らばっている和牛とちがい、この肉の脂身は白っぽく滑らかではっきりとした層になっている。これは豚肉だ!

楽しみにしていた和牛の肉じゃないけど、がっかりするのはまだ早い。具材をぐちゃぐちゃに混ぜ、豚肉を使ってはいても、香りは紛れもなくすき焼きである。僕は豚肉だって好きだ。それがすき焼きになって、おいしくないはずがない。でもやっぱり、和牛の肉だったらと思うと……。

すき焼きの豚肉を菜箸でつまむ祖母(おばあ)

「はよ食わな、先に食べてまうで!」
と向かいの席からおばあが手を伸ばし、箸で豚肉の固まりをつまむ。そしてあっという間に取り皿を山盛りにしてしまった。たしかに僕も早く食べなければ、肉好きのおばあがひとりで豚肉を平らげてしまいそうだ。

僕もおばあに負けまいと思ったとき、フライパンの縁に立てかけてある見慣れないものが目にとまった。

すき焼きを取り分ける菜箸

これは取り分け用の菜箸だ! おばあの食卓では、大皿や鍋から料理を取り分けるときは常に各自の箸を使ってきたのに、今晩に限ってどうしたのだろう。僕が納豆を食べていようが、おばあが咳とくしゃみを連発していようが直箸だったじゃないか。はじめはいい気持ちはしなかったものの、数年がかりでようやく慣れた。ところが今になって、おばあに現代的な衛生観念が芽生えたというのか。かつての僕なら素直によろこんでいたはずだけど、衛生観念がすっかり崩壊した今では何だか複雑な気持ちになる。

僕は菜箸を無視して自分の箸をすき焼きに伸ばした。すると、
「そこに菜箸あるやろ!」
とおばあの怒声が飛んできた。まだ何も食べていないから、自分の箸だろうが取り箸だろうが何ら変わりはないはずだ。もしかして礼儀作法の問題なのか。だとしたら、食事中に口も覆わず平気でくしゃみの飛沫を飛ばすおばあにいわれたくない。だけど反論してケンカになるのも面倒なので、今日のところはおとなしく従うことにした。

豚肉のすき焼きやとろろなど、祖母(おばあ)が作った晩ごはんのメニュー

メニュー
・豚肉のすき焼き
豚肉、長ネギ、えのき、しめじ、しらたき
・とろろ
・生たまご
・刻みオクラのかつお節和え
・南瓜の炊いたん
・サラダ
生:玉ねぎ、トマト、キャベツ 茹で:ブロッコリー、アスパラガス、ほうれん草
・ごはん

晩ごはんに出てきた生卵

それにしてもこの生たまごは、すき焼きをつけるためのものだろうか。おばあは今まですき焼きのときに殻のままの生たまごなんて用意したことはなかった。

山芋をすりおろしたとろろ

やっぱりこのとろろに、生たまごを割り入れるべきだろう。

生卵を落としたとろろ

全卵をとろろに落とし、

生卵を混ぜたとろろ

さっとかき混ぜると、とろろの白と卵黄の黄色がきめ細かなマーブル模様を描いた。じっと見ていると、頭の奥から「すき焼きをここにつけろ」という声が響いてくる。

生卵入りとろろにすき焼きの豚肉を投入

心の声に従って、とろろにすき焼きをひたす。豚肉を一切れ口に運ぶ。はじめはねっとりした口当たりで、まろやかかな生たまごと淡泊なとろろ、そして甘辛い和風の味付けが、豚肉の味わいを引き立てて、うまい!

とろろにつけたすき焼きの豚肉をごはんに乗せたところ

ごはんが欲しくなったので乗っけてみると、これもいける! そういえばかなり前に、牛肉のすき焼きを同じようとろろにつけてを食べたことがある。おばあは僕がこんな食べ方をすると予測して、今日もとろろと生たまごを用意したのだろう。

僕は結局、菜箸を使えといわれれば抵抗することはできないし、食事の席ではおばあの思惑通りに動かされている操り人形にすぎない。何も考えずに食べ進めていれば、料理への不満なんて出てきようもないはず。だから「すき焼きはやっぱり和牛の肉がよかった」という気持ちもなくなるかと思ったけど、満腹になっても頭の隅に居座って甘辛い香りを放ちつづけていた。