おばあがよく作ってくれた“タケノコの炊いたん”。そのタケノコのアク抜きに前回、はじめて挑戦した。方法はまず皮をむき、米ぬかと一緒に一時間ほど炊いて、そのまま一日放置するだけ。
どんなに簡単そうなことでも、僕がやると、はじめからうまくいったためしがない。アク抜きもシブさが残っているかと心配したけど――
めずらしく、最初から大成功!!
完成した『タケノコと手羽元の炊いたん』は、おばあの味にかなり近くて、めちゃめちゃおいしい! これはまたすぐに食べたい! だったら、おばあが家にいない今、自分で作るしかない!
やる気をみなぎらせ、自転車に飛び乗りスーパーに!
タケノコのコーナーには、前回のような立派な“生の皮付き”が! だけど僕が手に取ったのはその隣の――アク抜き済みの、透明のプラ容器に入ったやつ。
真空パックのものとは違って、店で生のタケノコを炊いてアク抜きしたらしい。
半分に切ってあるけど、大きくてずっしり重い。前回の皮付きは大きく見えても、食べられる部分はこれより小さかった。しかも値段は皮付きより安く、なんと550円!
アク抜きの手間暇を考えるとこれでいい! いや、これがいい!
とはいえ、せっかくアク抜きの技を習得したのに、安易な方法に流されていいのか!? タケノコのパックを手に取り、カゴに入れるべきかと迷っていると、
「これが、楽やで」
と見ず知らずの腰が曲がったおばあさんが言い、1つ手に取り去っていった。
そういえば僕のおばあも、惣菜や冷凍食品を使って“時短”していた。それにおばあがタケノコのアク抜きをしているところを僕はあまり見たことがない。このアク抜き済みのタケノコを使っていたからかもしれない。
そして買ってきたのが――
すでにアク抜きしたタケノコと、大阪産の生の茎ワカメ! タケノコとワカメはどちらも春が旬で、味の相性もいいことから、一緒に炊いた料理が“若竹煮”と呼ばれている。それに――
おばあも作ってくれた“間違いない”組み合わせだ。
茎ワカメにしたのは、行きつけの魚屋の店主が、
「炊いたらうまいで」
とすすめてくれたし、歯ごたえがあっておいしそうだから。総入れ歯のおばあは固いものは苦手だけど、歯が丈夫な僕はむしろ大歓迎。
下茹で済みのタケノコは――
一口サイズに切り、茎ワカメは汚れがついているので何度か洗って刻み――
2分くらい軽く茹でる。
するとこんなに鮮やかな緑に。
鍋は大きめのものを用意して――
味付けはだいたい、水500ml、だしパックを一袋、醤油、酒、みりんを大さじ4ほど入れる。
あとは味見をしながら適当に調整。
そこに――
タケノコと茎ワカメを入れて、
落し蓋をして20分以上炊き、ある程度煮詰まれば――
完成だ! ちなみに、にんじんが冷蔵庫に残っていたので、彩りとして追加した。
色と香りはいい! だけど、僕ひとりぶんなのにこの量……作りすぎてしまったかも。
おかずは他にも――
冷蔵庫の中のものを適当に土鍋で炊いた、闇鍋ならぬ“闇炊いたん”。メインの具は――
大きなアジのアラ。塩をふってキッチンペーパーで包み、半日ほど置いて臭みを取っておいた。
これを入れるとアジのダシと脂が出て、味噌味のスープがさらに――
ごはんがすすむ味に。他にも、ごはんに合う――
納豆も。そしてもちろん――
タケノコと茎ワカメの炊いたんも、ごはんにぴったり。
味の濃さも、ちょうどいい加減に仕上がっている。これなら辛口評価のおばあも、合格点をくれるはず!
だけどやっぱり――
この量。気合を入れて張り切って、つい作り過ぎてしまった。
メニュー
・タケノコとワカメの炊いたん(若竹煮)
にんじん入り
・アジのアラの闇炊いたん
・納豆
・ごはん(7分づき)
炊いたんをひとまず大皿に盛ったら、こんもりとした山が出現! これは2日、いや、3日ぶんくらいある。冷蔵庫に入れておけば、それくらい日持ちしそうだ。それに僕はおいしかったら毎日同じものが続いても平気だから、全然問題ない。
それよりも、長年の謎がようやく解けたかもしれない。その謎とは、おばあが僕に作ってくれていた料理が、いつも山盛りだったこと。
「ちょっと作るんも、ようけ作るんも、手間はたいして変わらへん」
なんておばあは言っていたけど、さすがに――
4、5人の家族ぶんはあろうかという量の料理が、テーブルに並んだりすると度肝を抜かれた。これをひとりで作る手間暇は並大抵のものじゃないと、自分でも料理をするようになってよくわかった。
一皿の量もさることながら、僕には到底マネできないほど品数も豊富で、テーブルに所せましと料理がひしめいていた。
その理由を今日、僕も実感した。きっとおばあも料理を作るとき、“気合を入れて張り切って”いたんだ! しかも毎日のように。
おばあの料理は、技術がすごいだけじゃない。料理に込められた、計り知れない熱い気持ちと愛情こそ、そのおいしさの源だ!
そんなおばあの料理を、十年も味わうことができた僕は幸せだとつくづく思う。
そして今日、僕は“おばあめし”の高みに、ほんの少しだけ近づいた気がする。まだまだ山は高いけど、いつかおばあがもう一度、僕の料理が食べられるようになるその日まで、料理の腕を磨いてやるで、おばあ!