すき焼きって言ったのに、孫の誕生日をホタテの刺身で祝う祖母

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今晩は、きっとすき焼きだ! ここ数日、牛肉たっぷりのすき焼きが食べたいと、おばあに何度も訴えてきた。むやみやたらにお願いすると、頑固なおばあはかえって別のものを出してしまう。だから今回は、おばあが満腹で機嫌がいいときとか、帰り際とか、反発しないようなタイミングだけを狙って、それとなく伝えていた。

おばあがリクエストにこたえてくれる理由は、もう一つある。それは、この日(3月7日)が、僕の誕生日だからだ! これまでも毎年、僕の誕生日には、ごちそうを用意してくれていた。すき焼きが食べたいといえば、すすんでつくってくれるのに違いない。

それに死んだおじいと僕の誕生日は、同じ3月7日。少し忘れっぽくなってきたおばあも、さすがに忘れるわけがない。

というわけで、晩ごはんのメニューはすき焼きだと、ほとんど確信していた。居ても立ってもいられず、いつもより10分早く家を出て、徒歩5分のところにあるおばあの家に駆け足で向かった。

ドアを開けると、醤油と砂糖の割り下を煮詰めた、甘辛く芳醇な香りがただよって……こない……! 鼻なんてまったくつまっていない。何しろ新型コロナ対策で、手洗いや毎日の軽い運動を徹底している。体調は万全で、五感は研ぎ澄まされ、運動効果でお腹も減っている。それなのに……今晩は、あれだけ食べたいと伝えていた、すき焼きじゃないのか!?

それとも、僕とおじいの誕生日を、おばあは忘れてしまったのか!? 急激に物忘れが進行して……。

胸騒ぎを感じて居間に急ぐと、おばあの姿が見当たらない。台所を覗くと、おばあは先に食べた自分の食器を洗っていた。少しほっとしてテーブルに目をやると、思った通り――

ホタテの刺身やロールキャベツスープなど、祖母(おばあ)が作った晩ごはん

メニュー
・ホタテの刺身
・煮物
大根、厚揚げ、手綱こんにゃく、たけのこ
・生長芋
・茹でもやし
・ロールキャベツスープ
・サラダ
生:玉ねぎの醤油漬け、キャベツ、トマト
茹で:ブロッコリー、アスパラガス
・ごはん

すき焼きはない! だけど――

祖母(おばあ)が晩ごはんんに出したホタテの刺身

なんじゃこりゃ!? 丸くて生っぽく、うすいクリーム色で、指で押すとモチモチのやわらかな感触……これは、ホタテの刺身! これまで10年近く、おばあの家でごはんを食べてきたけど、ホタテの刺身なんて一度も出たことがなかった!

表面は輝いていて張りがあり、見るからに新鮮そう。おばあがひいきにしている、目利きの店主がいる商店街の魚屋で買ったきたらしい。このホタテ、スーパーの冷凍品とはわけがちがう。値段もそれなりにしたはずだ。

すき焼きはなくても、上等なホタテの刺身を誕生日のお祝いに買ってきてくれたのか!? それにしても他のメニューは――

三角の皿に盛った茹でもやし

茹でもやしに、

皿に盛った短冊切りの長芋

短冊切りの長芋、

皿に盛った大根とタケノコと手綱こんにゃくの煮物

煮物という、いつものメニュー……いや、

トマトが乗った野菜サラダ

サラダには大きなトマトがひとつぶん、4分割されてのっている! こんな豪快な切り方で、トマトを出されたことなんてなかった。それに、端にあるお椀の中身は――

お椀に盛ったロールキャベツのスープ

ロールキャベツ!? しかも醤油色のスープに浸っている! 和風ロールキャベツスープとは、はじめてのメニューだ! やっぱりおばあは、僕の誕生日を――

「貝は、これかけて食え!」
いつの間にやら、台所から戻ってきていたおばあが声を張り上げ――

祖母が手に持つポン酢のボトル

テーブルに置いたのは、トップバリューの味付けポン酢! ホタテの刺身は、醤油ではなくこのポン酢で食べろということか!? 表面をあぶってあるカツオのたたきにはかけるけど、生の刺身にポン酢は、ありそうでなかった食べ方かもしれない。

味にうるさいおばあが、かけろというなら――

ポン酢をかけたホタテの貝柱の刺身

こうしてたっぷりかけてやる! そしてひとつ、まずはわさびをつけずに口に放り込む……ポン酢の爽やかな香りが鼻に抜け、噛めばねっとりと柔らかいホタテの食感。そしてポン酢の酸味と塩気が、ホタテの甘みに合わさって……もう、これ最高やんか、おばあ!

これは、誕生日のスペシャルメニューだ! おばあはやっぱり、僕とおじいの誕生日を忘れてなんていなかった! おばあの頭脳が衰えていないことが嬉しくて、またひとつホタテを頬張った。

ということは、去年のようにケーキも!? 食後を楽しみにしながら、今度はロールキャベツを味わっていると、
「ケーキはないで」
おばあがテレビを見ながら、ぼそりといった。
「え!? なんでや!?」
僕が思わず声を上げると、おばあは、
「忘れたんや!」
と声を荒げた。

ついさっき、おばあの記憶力は衰えていないと喜んでいたのに……。でも、忘れたことをちゃんと自覚しているのは、危険な物忘れではないと聞いたことがある。本当にボケてくると、自分が何を忘れたのかも忘れてしまうらしい。

ということは、おばあはまだまだ大丈夫! そう思ってまたホタテを口に入れると、さっきよりポン酢の酸味を強く感じて、むせそうになった。