家の外では雨混じりの風が吹きはじめている。さっさと晩ごはんを食べて帰ってこなければ。″非常に強い”台風が、また大阪を狙いすましたように近づいてきている。
とはいえ、いつもより1時間も早く家を出たのはそれだけが理由じゃない。おばあは台風が近づいてくるとテンションが上がり、やたらと豪華な料理を出す。昨日は分厚いトンカツとたまご焼き、前回の台風のときはマグロのトロの刺身だった。今日はどんなごちそうが味わえるのだろう……頭の中に次から次へと好物が浮かんできて、居ても立ってもいられない。傘をかたむけ、向かい風を切り裂きながらおばあの家にダッシュする。
玄関の戸を開けた瞬間、食欲をそそるかぐわしい香りに包まれた。廊下に駆け上がり、居間に直行する。やっぱりおばあは期待を裏切らなかった! 今日の晩ごはんはカレーだ!
居間に飛び込み、テーブルの上に目をやった僕はその場に立ちすくんだ。もうおかずが並んでいる……いつもより1時間も早くやってきたのに! おばあは僕の行動を予知できるのか!
それにしても、おばあがいない。台風に備えて外にある物を片付けたりしているのだろうか、と思ったとき、台所からのっそりと現われた。カレーライスをよそった皿を手にしている。やっぱり僕がいつ来るのか見越していたとしか思えない。
どうやってそんな超能力じみたことができるのか、詮索するのは後回しだ。さっきから呼吸するだけでどんどんお腹が減っていく。まずはカレーをかき込みたい。
メニュー
・カレー
鶏肉?、玉ねぎ、にんじん、じゃがいも
・自家製ラッキョウ
・タケノコとサトイモの煮物
・オクラのかつお節和え
・サラダ
生:玉ねぎ、トマト、キャベツ 茹で:ブロッコリー、アスパラガス、ほうれん草
おばあのカレーはとにかく濃厚だ。ルウは1箱でよさそうなのに違う種類を2箱ぶんも投入し、野菜は細かく刻んでしっかり煮込んでいる。玉ねぎやジャガイモが溶けけ込み、水分が飛んでただでさえ濃いめのルウが凝縮しているのだ。家じゅうに充満する香りも、自分でつくったときの何倍も強く感じる。もう我慢できない、とスプーンを向けたとき――
いつも入っている具材が見当たらないことに気がづいた。おばあがつくるカレーといえば、牛すじが欠かせない。ゼラチン質の牛すじはいくら煮込んでも煮崩れず、柔らかくて食べごたえがあり、牛のうまみたっぷりのダシも出る。一度味わうと、ふつうの肉では物足りなくなるほどうまい。それをおばあは、どうして今日は入れていないんだ。
スプーンで探ってみても、現れるのは鶏肉らしき繊維状のかけらばかり。一口食べると、たしかにうまい。だけどやっぱり牛すじが恋しくなる味だ。もしかしておばあは、牛すじを入れる手間を省きたかったのか。脂の多い牛すじはカレーに入れる前に何度も茹で、余分な脂を抜かないととても使えない。どうも今日はそれが面倒だったらしい。おかずも昨日の分厚いトンカツに比べると、何だか見劣りしてしまう。
シンプルなサトイモとタケノコの煮物は、いつもに比べて量も少なめ。
オクラのかつお節和えはいいとして、
小皿のラッキョウは、おかずというよりカレーの付け合わせだ。
おかしいぞ。これまでおばあは台風が近づいてくると、気合の入ったメニューを出していた。あのマグロのトロは、昨日の″本物の”トンカツは何だったんだ。
釈然としないまま食べ進めていると突然、ざあっと床が震えるような轟音が鳴り響いた。
「雨やな」
とおばあがつぶやいた。しまった! さっさと帰るつもりが、いつもの調子でゆっくりしていた。そのあいだに台風の暴風域に入ってしまったんだ。これから数時間、この家から出られないかもしれない。こんなときにおばあは、表情一つ変えず湯呑みの茶をすすっている。
なんで落ち着いていられるんだ! この前の台風のときは、かなり怖い思いをしたといっていたじゃないか。
「怖くないんか?」
と聞くと
「大丈夫や!」
おばあは断言する。
「なんでわかるんや?」
「なんでもや! 今度は大したことない!」
さらに強い口調でいう。
どうせ強がっているだけだ。おばあもほんとは家がつぶれないか心配しているんだ。それを言葉に出すと余計に恐ろしくなるから、わざと平気なふりをしているのに違いない。
僕もおばあにならい、平静を装って食事を続けた。料理の味がまともに感じられない。すべて食べ終え、空になった食器を台所に運び居間に戻ってくると、さっきまでの地鳴りのような雨の音がぴたりとおさまっていた。
「もう大丈夫や」
おばあが平然といった。なんでわかったんだ! 僕が早く来たこともそうだし、やっぱりおばあには予知能力があるのか! 今晩の料理にあまり気合を入れていないのも、今回の台風は大したことないと事前に見抜いていたからか……。
「またちょっと降るかもわからんから、今のうちに帰れや」
そういうとおばあは、イスから立ち上がり台所に向かった。
台所では用意してあった容器にごはんを詰め、
鍋に残っていたカレーを、
タッパーに入れた。
「今日はもう、おにぎりはせえへんで。これ持って帰って明日食べや」
そういっておばあは、カレーとごはんの入った容器を手渡した。それを受け取った僕は、
「どうして今日のカレーには、牛すじが入っていないんや?」
と聞いた。今回の台風の影響を予知していた。そういう答えが返ってくると思ったら、
「めんどくさいからや!」
とおばあは怒鳴った。それから機嫌を悪くしたらしく、何を聞いても返事をしてくれなくなった。僕はせめて、どういういい方をすればおばあがヘソを曲げなくなるか、見通すことができるようになりたいと思った。