雨と風が吹き荒れても、おばあは料理をつくる。台風の日の春巻き

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台風21号が大阪に直撃する前日、おばあはいつになく豪華な夕飯をこしらえた。メインのメニューは、乳白色に照り輝くマグロのトロ。一切れ口に入れると頭の中が真っ白になるほどのおいしさだった。それにしても、このタイミングで極上のマグロのトロが出てきたのは何か理由があるのに違いない。こんな贅沢な刺身、おばあは1年に1回も買ってこないのだ。

戦後最強クラスの台風が向かってきている中、最後の晩餐のつもりだったのか。たしかにおばあは「いつ死んでもええ」とよく口走っている。だけど本心ではまだまだ死ぬつもりなんてないはず。その証拠に、ハーゲンダッツのアイスクリームを冷凍室に隠し、後日一人で食べようとしていた。

強烈な台風が直撃する滅多にない事態に、おばあははしゃいでいたのだ。普段は頑固で融通が利かないけど、こういうところだけは子どものまま。84年も生きてきたからこそ、簡単には死なないと高をくくっているのかもしれない。一方、僕は不安でたまらず、その夜、テレビをつけたまま布団に入り、NHKのアナウンサーが2時間おきに台風の情報を伝えるたびに目を覚ました。

朝になっても風は一向に強くならない。雨も降っていない。実は大したことないんじゃないか、と思ったら急に眠気が襲ってきた。

目が覚めたときには、大量の雨が窓を打ち付けていた。窓枠ががたがたと揺れている。目を凝らすと道路には木の枝や葉っぱやポリバケツ、自転車が転がり、政党のポスターやビニール袋が舞っていた。今が風と雨のピークかと思ったら、さらに威力を増していく。向かいの家の重そうなプランターが倒れ、中身をまき散らしながら道路を滑っていった。電線が千切れそうなほど不規則に暴れ、家の中が真っ暗になった。

風が収まるとおばあの家に向かった。道路にはものが散乱し、トタンの塀が崩れ、いたるところで電線が垂れ下がっている。いつも犬小屋につながれている大型犬が見当たらない。どうか家に入れてもらってますようにと願った。

おばあの家はすべての窓が雨戸でふさがれていた。自転車置き場の屋根に、どこかから落ちてきた瓦が大きな穴を開けていた。

昨晩は余裕をかましていたおばあだけど、今回はさぞ心細い思いをしたことだろう。僕が近くにいることで少しでも安心してくれたらうれしい。そう思って、いつもよりずいぶん早い時間にやってきた。ところがおばあは僕を見るなり
「なんや、早いな」
と迷惑そうな口ぶり。
「怖くなかったんか?」
と聞くと、
「すごい風やったなあ!」
と大声で答える。何だか楽しそうだ。おばあは昨晩と同じテンションで、あの雨と風を怖がるどころか面白がっていたのか。

テーブルを見ると、すでに晩ごはんが並んでいた。僕が早めに来ることを予見していたのか! ということより驚くのは、雨と風が強烈に吹き荒れる最中に、おばあは平然と料理を……。信じられない。

NHKの台風21号のニュースを見るおばあ

「料理まだあるから、自分で入れてこい!」
顔も向けずにおばあはいう。テレビに映る台風の被害状況を見るのに忙しいらしい。車が転がり屋根が吹き飛ぶショッキングな映像も、おばあにとっては娯楽みたいなものなのか! 自分の家が住めなくなっていたらどんな反応をしたのだろう。おばあなら悲しむことなく、避難生活を楽しんでいそうだ。どこまでもポジティブで肝が据わっているところは見習いたい。

フライパンの中に入っている豚肉とキャベツの炒め物

台所には、やけに水っぽいキャベツと豚肉の炒め物と、

フライパンで焦げている春巻き

真っ黒な棒状の料理があった。皿に移して何かわかった。総菜屋の春巻きだ! この前はオリーブオイルでカラッと揚げてくれたけど、さすがに今日は焼いて温めただけだ。それにしても、どうしてこんなに焦げてしまったんだ。おばあにしては珍しい。

台風が気になって料理に集中できなかったのに違いない。やっぱりおばあも怖かったのだ。余裕のあるふりをしているのも、台風のさなかに料理をつくっていたのも、気を紛らわすためだろう。

焦げた春巻きや豚肉の炒め物、南瓜の炊いたんなど、祖母(おばあ)が台風の日に作った晩ごはんのメニュー

メニュー
・焦げた春巻き
・豚肉とキャベツの炒め物
・南瓜の炊いたん
・枝豆豆腐(スプラウト乗せ)
・茹でオクラ(かつお節和え)
・サラダ
生:玉ねぎ、トマト、キャベツ 茹で:ブロッコリー、アスパラガス、ほうれん草
・ごはん

真っ黒に焦げた春巻き

食卓に戻ると、
「なんや、春巻きも持ってきたんか。そんな焦げたのいらんやろ」
とおばあが目を丸くした。
「これは出さんつもりやったんか?」
「そうや。だから代わりにそれつくったんや!」
と炒め物に目を向ける。

豚肉とキャベツの炒め物

メインの春巻きが焦げてしまったから、冷蔵庫の中のあり合わせで炒め物をつくってくれたのだ。この非常時に、なんて心に余裕があるんだ。ちゃんとした晩ごはんが食べられるだけでもありがたいのに……。暗い部屋の中で縮こまり、風がやんだら家を飛び出さずにいられなかった僕とは大違いだ。

南瓜の炊いたん(かぼちゃの煮物)

しょっちゅう食卓に並ぶ南瓜の炊いたんや、

スプラウトを乗せた枝豆豆腐

枝豆豆腐、

オクラとかつお節の和え物

茹でオクラ、

いつもの野菜サラダ

いつものサラダがものすごくおいしそうに見える。そうだ。僕は今日は朝から何も食べていなかった。まずは真っ黒な春巻きをかじってみる。ちょっと苦いけど味は悪くない。

僕はガツガツと晩ごはんを食べ進める。向かいの席には料理が並んでおらず、おばあは相変わらずテレビに集中している。
「おばあ、お腹減ってないんか?」
「まだ早いし、今日はあんまり食べとうないわ」
珍しく力のない返事。
「じゃあ、なんでこんなに料理を用意したんや?」
とさっきから気になっていたことをたずねてみる。やはり気を紛らわすためだったのだろうか? ところがおばあは、
「お前が来るからや!」
と声を荒げた。

僕はうつむいてもう一口、春巻きをかじる。さっきより固く、やけに苦かった。

焦げた春巻きの中身