メニュー
・知らん魚の炊いたん
・煮物(3日め)
ごぼ天、糸こんにゃく、たけのこ、じゃがいも
・みそ汁
豆腐、白菜、玉ねぎ、青ネギ
・マカロニサラダ
マカロニ、ハム、きゅうり
・サラダ
生:イチゴ、キャベツ 茹で:ブロッコリー、アスパラガス、ほうれん草
・ごはん
僕は普段、暗くなると、徒歩5分の距離にあるおばあの家に夕飯を食べに行く。今日もそろそろ家を出る準備をしようと思っていたとき、電話がかかってきた。手の上の画面をスライドすると、
「魚、炊いとるから早よこいや!」
受話口を耳に当てるよりも早くおばあの大声が聞こえた。すぐに静かになったので画面を見ると、すでに通話は切られていた。おばあからの電話はいつも、要件だけを一方的に伝えてくるので、留守録のメッセージを聞いているのと変わらない。もしもおばあがラインを使えたなら、既読スルーを連発されそうだ。
電話の内容は、意味がわからなかった。魚を煮ているからといって、なぜ僕が家を出るのを急かす必要があるのだろう。煮魚が夕飯のテーブルに並ぶことはめずらしくない。ということは、もしかして、魚自体がレアで高級な代物なのか!
滅多に買えない高級魚を調理しているから、できたての最高の状態のものを僕に食べさせたい。おばあはそう思った。だから僕がいつもの時間に遅れることのないように電話をした。おそらく、そういうことだろう。
先月の僕の誕生日に出してくれたノドグロは脂がのっていてほんのりと甘く、極上のおいしさだった。あのときは塩焼きだったから、今回は煮つけにしてくれたのか。だとしたらうれしいけど、今日はおばあの誕生日でもないし、おじいの命日でもない。特別な記念日でもないのに、高級魚の料理をおばあが出してくれるのかといえば……マグロのトロという前例がある!
今日は風が強く、背中を追い風で押されて僕は自然と小走りになって、普段の半分ほどの時間でおばあの家に着いた。玄関の戸を開けると、醤油や砂糖を熱した甘辛い食欲をそそる香りに迎えられた。鼻を突き出しながら僕は香りをたどる。
ガスコンロにのった片手鍋の中に2尾の魚がぴったりと収まり、周囲で沸き立つ醤油色の煮汁から湯気が立ち上っていた。鍋の上の空気を思い切り吸い込む。ああ、早く、魚と一緒にごはんをかき込みたい! 昼ごはん以降に何も食べていないうえに、おばあの家に来るまでに軽く運動をしたし、ごはんに合う和風調味料の香りが息を吸うたびに空腹を加速させる。
魚の身の張り具合や、煮汁がつくる表面の艶もいい。ヒレや皮は赤く、やっぱりこれは、ノドグロ……ではない。ノドグロは目玉が異様に大きかった。この魚は、アイナメだ。おばあが出す煮魚の半分ちかくはこの魚だから、姿かたちが頭の中に焼き付いている。身がしまっていて、ほどよく脂がのったアイナメの煮つけはおいしい。それにサバやアジよりかはたしかに値が張る。だからといってたまに食べているのだから、調理中に電話で呼び出すこともないだろう。
「ちゃんと魚、煮てるやろ」
僕の隣で、菜箸を持ったおばあがいった。なぜ調理中の煮魚を見せるために、わざわざ僕を呼んだのか。そう聞いても、
「魚を煮てるとこを、見せようと思っただけや」
と同じ話を繰り返す。
おばあは電話のときから「アイナメ」とはいっていない。アジやサバなら名前で呼ぶのに。いまだにアイナメという名前を覚えられないのだ。
「この魚、何ていう名前や?」
僕が聞くと、
「知らん!」
とおばあは、そっぽを向く。
以前にも今とそっくりなやりとりがあった。あのときの魚は、今日の赤とは色違いの黒いアイナメだった。それに……思い出した! あれはおばあが煮たものではなくて、すでに魚屋が煮ていたものを買ってきてあたためたものだった。それを僕は電子レンジの音から見抜いたのだった。あれから煮魚はどれも、買ってきたものではないかと僕は疑うようになった。おばあは僕の疑念を感じ取っていたのに違いない。
今日の「知らん魚の炊いたん」は出来合いのものではなく、たしかにおばあがつくっている。その様子を僕に見せ、おばあにもおいしい煮魚がつくれることを証明したかったのだ。目の前の鍋の中でぐつぐつと煮える煮魚は、香りも見た目もいい。まずいわけがない。料理をおいしくする最高の調味料である空腹が、さっきから我慢できないほどに高まっている。僕は配膳を手伝い、おばあを待たずに食べはじめた。