おばあがたまらず手づかみで食う。鯛の焼いたん

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メニュー
・鯛の焼いたん
・煮物
大根、厚あげ
・サラダ
(生:ミニトマト、キャベツ 茹で:ブロッコリー、アスパラガス、ほうれん草、ハム)
・みそ汁
豆腐、わかめ、たまご、青ネギ
・ごはん

おばあはいつからか、家で魚を焼かなくなった。ガスコンロに備え付けてある魚焼きグリルを使うと、魚をのせた網や油受け、そして密閉された内部全体に焼けた脂がこびりつく。きれい好きのおばあには、それが耐えられない。魚を焼くたびに、グリルの隅々まで掃除することになって面倒だから、だんだん魚を焼く回数が減って、ついにはまったく焼かなくなってしまった。

だけど焼き魚が食卓に並ばなくなったわけじゃない。おあばは商店街の魚屋で、焼いてもらったものを買ってくるようになった。魚を扱うプロが焼くだけあって、焦げすぎていたり生焼けだったりということはない。でも、それが食べるときにおいしいかどうは別問題。どうしても焼きあがりから時間がたってしまうので、電子レンジで温め直すことになって、ぱりぱりだった皮がしんなりしてしまうし、身から水分が抜けて少しパサつく。

ところが今日の焼き魚は、見るからに様子がちがう。ほどよい焦げ目をつけて焼きあげられた皮は香ばしいかおりを放ち、白い身はみずみずしい。

箸を入れると、皮は音を立ててひび割れ、ふわっと湯気が立つ。あらわになった身は純白で、やわらかくほぐれ、箸の間でエキスがにじみ出る。しずくが滴る前にあわてて口に入れる。

凝縮されたうま味が口の中に充満する。雑味がなく、塩加減も申し分ない。そして、わかった。これは、鯛! しかも今まさに焼き上がったばかりのものだ。

正月から一ヶ月も経ったというのに、おばあは鯛を買ってきた! しかも皮付きの生の切り身だ。それを台所で焼いたのか。おばあは魚焼きグリルの掃除に懲りていたのじゃないのか。

頭に疑問が渦巻いて箸を動かせずにいると、おばあが口を開いた。
「正月に、鯛は食べへんかったからな」
たしかに今年の正月は、焼いた鯛を食べなかった。その代わりだとしても、なぜ今になって切り身の鯛を、台所で焼いたのだ。おばあの言葉はなんの回答にもなっていない。そういおうとすると、おばあはつづけた。
「ほんまに魚がフライパンで焼けたわ」

台所に行ってみると、コンロに乗ったフライパンに銀色のアルミシートがしいてある。その表面にいくつも「クックパー」という文字が浮き出ていた。これを使うと、フライパンで魚がきれいに焼けるのだ。実はこれは、僕が買ってきたものだった。その便利さを、家で魚を焼こうとしないおばあに、ことあるごとにアピールしていた。その努力がついに報われたのだ。

おばあは魚焼きグリルは使いたくなかったけど、おいしい焼き魚が食べたいという気持ちは僕と同じだった。久しぶりに自らが焼く魚として、滅多に食べない鯛を選んだことに、おばあの意気込みが感じられる。おばあにとって食べた後のことを考えず、焼きたての魚を口にできることは、正月がきたくらいめでたいのだ。

そういえば野菜の皿もいつもとちがう。ミニトマトが丁寧に半分に切られ、ハムまでのっている。おいしい焼き魚が復活した記念日の特別仕様だ。

鯛にはレモンが豪快に半分、添えられている。果汁をかけてみたいと思いつつ、鯛はもうなくなりかけている。レモンを絞る時間もおしい。それくらい何もかけずにじゅうぶんうまい。

「ほんまに、うまかったわ」
おばあがしみじみといった。フライドチキンみたいに手づかみで食べたらしく、両手の指を舐めている。皿にはレモンが半分、手付かずで残っていた。