今晩はすき焼きか、それとも分厚いステーキか!? 去年はサシの入った和牛の焼肉だった。軽くあぶるだけで溶け出した澄んだ脂が、一切れつまむと滴り落ちる。口に入れればほのかな甘さがあり、見た目は脂まみれなのにしつこくなく、顎に力を入れる間もなく肉はどんどん細かくなっていく。
ひと噛みごとに、うまい、うまい、うまい……といちいち同じ言葉が浮かんでくるのを止められない。やがて頭の中が幸福感で満たされて、ついさっきまで気がかりだったあれやこれやは、きれいさっぱり消え去ってしまう。ああ、あの牛肉をまた味わいたい! 肉好きのおばあも、同じことを思っているのに違いない。
だけど決して気軽に買えるようなシロモノじゃない。おじいの命日とか正月とか、特別な日に出てくることを期待したけど、ついに去年のおばあの誕生日以来、あれほどの牛肉が食卓に並ぶことはなかった。
それから一年後、ついにおばあの85歳の誕生日を迎えた。今日こそ、サシの入った和牛の肉が味わえるはず! 期待を胸に、おばあの家に晩ごはんを食べに来ると、テーブルに並んでいたのは――
メニュー
・酢鶏
鶏の唐揚げ、玉ねぎ、にんじん、ピーマン
・焼き鳥(ねぎま)
鶏肉、ネギ
・アジの塩焼き
・スパゲティサラダ
・大根と煮干しとにんじんの酢漬け
・茹でもやしのカツオ節がけ
・サラダ
生:トマト、玉ねぎの醤油漬け、キャベツ 茹で:ブロッコリー、アスパラガス、ほうれん草
・ごはん
何なんだ、このメニューは……!? 牛肉なんてひとかけらも見あたらない。
これはおばあが、一か月に一回はつくる酢鶏! 酢豚の豚肉を、総菜の鶏の唐揚げに替えることで、手間を省いて簡単につくれる時短料理だ。味付けに使うパック入りの酢豚の素は、味が濃いめでおばあの口に合うらしい。そして――
焼き鳥は商店街の総菜屋で買ってきたのだろう。目の前の席ではおばあが、串をつまんでほおばっている。僕も食べてみると、肉は少し固いけど、甘辛い味付けはいかにもおばあが好きそうだ。さらに――
大きなアジの塩焼きまである(おばあは尻尾のほう)。焼きたてで皮は香ばしく、身はふっくらとしていてうま味たっぷりのエキスを含んでいる。おばあがひいきにしている商店街の魚屋の、今日のおすすめが新鮮なアジだったのかもしれない。
続いておばあが大きな音を立ててすすっているのが、マヨネーズ味のスパゲティサラダだ。
もやしを茹でてかつお節を散らしたものや、
大根とにんじんの酢漬けもある。
今晩のメニューは数が多くて何だか豪華な感じはするけど、ひとつひとつの料理は普段からよく食べているものだ。おばあの好物である和牛の肉がないのも気にかかる。まさか……今日が誕生日だということを、おばあは忘れてしまっている!? 人や物の名前を忘れることが増えてきたけど、いつの間にか、日付がわからなくなるほど物忘れがひどくなっていたのか……。
「おばあ、今日が何の日か、わかってる?」
恐る恐る聞いてみると
「わかっとるわ!!」
怒鳴り声が返ってきた。だとすると、
「今日のメニューは――」
「好きなもんを出しただけや!」
とおばあは即座に答えた。
今晩の献立は、おばあの好物ばかりを揃えたらしい。ではなぜ牛肉がないのだろうか? 疑問をストレートにぶつけてみると、
「お前がええもん買うてくるんやから、わざわざ高い肉、買わんでもええやろ!」
とおばあはまたキレ気味に答えた。
和牛の肉に匹敵するほどおばあが好きなものを、僕はたしかに買ってきていた。食事を終えるとすぐに、おばあの好物を出す準備にとりかかる。
おばあはテレビを見ながら、
「早よ、持ってきいや!」
と僕を急かす。
まずは台所で湯を沸かし、
包丁にかけて温める。その包丁と皿やスプーン、そして冷蔵庫に入れていた――
4号サイズの箱を居間のテーブルに運び、
「おばあ、85歳おめでとう!!」
と元気よくいいながら、中身を取り出した。さて次はロウソクを立てて火を点けよう、と僕が付属のロウソクに手を伸ばしたときには、おばあはすでに包丁をつかんでいた。もう、待ちきれないのだ。僕はロウソクをあきらめ、メッセージが書かれたホワイトチョコのプレートをおばあの皿に置いてやった。するとおばあはためらいなく――
包丁をホールケーキに押し当て、
力を込めて一刀両断! 包丁が温まっているのでクリームがくっつかず、軽い力で切れるのだ。
さらに包丁を入れて四等分し――
おばあはひときわ大きな一切れを、
自分の皿に取り分けた。
指や包丁についたクリームをきれいになめてから、
まずはイチゴをすくって
パクリと口に入れる。そしてすかさず――
クリームやスポンジを次々と、
吸い込むように口に放り込んでいく。
すぐに皿は空になり、
お茶をすすると、おばあは大きく息を吐いた。いつもは甘いものを食べ過ぎないように注意しているけど、今日くらいは好きなだけ食べたらいい。
「もう一つ食べる?」
と聞いてみると、
「そんなに食えるか!」
と怒鳴られた。いつもどおりのきつい口調だけど、いっぱい食べて満足したということだからよしとしよう。
今年もおばあが、ケーキを豪快に食べることができたのが何よりうれしい。来年もまた、大きなケーキを買ってこよう。
「お前も早よ食べや!」
とおばあがいう。
僕も残ったケーキを、
一切れ皿に取って食べはじめる。すると、クリームの甘みやイチゴのさわやかな酸味と一緒に、頭の中でひっかかっていた心配事が全て消え去り、心地いい幸福感で満たされた。また来年まで元気でいてくれよ、おばあ。僕はもう一口頬張りながら願った。