愛媛の山奥で育ったおばあは、畑や山で採れたものを何でも煮ものにして食べていたという。子どものころから料理を手伝っていたおばあは、家族のためにものを煮込み続けて、もう70年以上になる。
今年もおばあがおでんをつくった。日ごとに寒さが厳しくなるなか、いつ出てくるのだろうと楽しみにしていた。おでんにはおばあが70年以上、培ってきた煮込みの技が凝縮している。
その技が具体的にどんなものなのか、実をいうと僕にはわからない。おばあは台所に、おばあ以外の誰かが足を踏み入れるのを嫌うのだ。おでんの具材がひしめくアルマイトの大鍋を、台所のコンロから持ち上げようとするので、僕が手伝おうとすると、
「ええから、座っとれ!」
とおばあは怒鳴る。
僕が台所に行くと、こんな調子でおばあの機嫌は悪くなる。だから調理方法について、詳しいことはわからない。ただ、僕の知らない高等技術でおでんを煮込んでいることは確かだ。
大根を食べるとわかる。いや、口に入れる以前、大鍋から小皿に取り分けるとき、箸で掴んだ瞬間に伝わってくる。今さっき完成したばかりのはずなのに、3日は煮込んだような感触。ほとんど抵抗なく、箸先が鋭利に研いだ刃物になったかのように、触れるだけで千切れてしまいそう。
「これ、使えや」
とおばあが僕に手渡したのは、持ち手がすり減り花柄が消えかけているお玉。僕は受け取ったお玉で、大根や牛すじなどをすくう。毎年、おでんが出ると一回は、同じことをやっている気がする。
メニュー
・おでん
牛すじ、大根、厚あげ、ごぼ天、じゃがいも、ねじりこんにゃく
・アジの刺身
・味噌汁
豆腐、玉ねぎ、わかめ
・白菜キムチ
・サラダ
生:トマト、キャベツ 茹で:ブロッコリー、アスパラガス、ほうれん草
・ごはん
おばあがダシを取り、醤油や砂糖で味付けした関西風のつゆを、大根はたっぷりと吸い込んでいる。2つに割ると、内側がくりぬかれているかと思うほど、つゆがドバっとあふれ出す。しっかりと煮込まれているけど、煮崩れしていない。ぼろぼろと崩れてしまいがちなジャガイモも、味は芯まで染みているのに、角が丸くなっただけでほとんど元の形を保っている。
そして僕がおばあのおでんで一番好きなのが、牛すじだ。牛すじは余分な脂が多く、何度か茹でて脂抜きをしなければ食べられない。かといって茹ですぎると、おいしさも逃げてしまう。おばあはその加減をよく心得ていて、適度に脂やゼラチン質が残った、とろとろの牛すじに仕上げる。こりっとした部分もあり、食感の違いが楽しく、甘めのつゆに引き立てられた牛のうま味を濃厚に感じる。ダシも出るので、他の具材に牛のうま味が加わり、一段とおいしさが増す。
また、おばあのおでんの特徴は、たまごが入っていないことだ。コンビニでおでんを食べるなら、僕はたまごは欠かせない。おばあのおでんのつゆで煮込んだたまごを食べたい。だけどおばあは何が気に入らないのか、たまごは滅多に入れてくれないのだ。一度ゆでたまごをつくり、おでん鍋に投入する手間なんて、牛すじの脂抜きに比べたら大したことないだろう。それなのに、どうしてたまごを入れないのか、いまだに謎のままだ。
さらにおばあのおでんには、なぜか刺身がついてくる。去年はカンパチだった。あのときはたしか、おでんの大根とカンパチの刺身の味が合うから一緒に出したと、おばあがいっていた。だけどそれから一年ほど経った今、おでんと同じテーブルに並んでいるのはアジの刺身だ。
煮崩れないのに芯まで味をしみ込ます方法も、なぜたまごを入れないのかも、刺身をカンパチからアジにした理由もわからない。考えてみると謎だらけだ。なぜだ、なぜおばあは、そしてどうやって……。
「どうして今年は、おでんと一緒にアジの刺身を出したんや!」
僕はたまらず、疑問の一つをおばあにぶつけた。向かいの席でごぼ天をかじっていたおばあは顔を上げ、
「そんなんええから、さっさと食えや! 冷めてまうやろ!」
と声を荒げた。
僕が温かいものを温かいうちに食べないと、おばあは怒るのだった。腹をすかせたままいい合いをするのも嫌なので、僕は大人な態度で黙って食べはじめる。アジの刺身はぷりぷりとして新鮮で、おでんもおいしい。そして2つが合うということは確かだった。