「一杯だけでは、ごはんが足りひん!」2日目のおでんと牛肉の大和煮(缶詰)

スポンサーリンク

2日目のおでんの牛すじ肉を箸で掴んでいるおばあ

大根4つに、厚揚げ3つ、ごぼ天4本、こんにゃく5・6個、ジャガイモ3つ、そして牛すじを覚えていないくらい。一番好きなたまごが入っていない物足りなさを、補ってあまりある量のおでんを、僕は昨日、食べまくった。

太り気味の僕の体型を気にして、おばあはごはんのお代わり禁止令を敷いている。だけどなぜかおかずについては、いくら食べてもおとがめなしだ。それをいいことに、僕は大鍋のおでんを腹に入るだけ詰め込んだのだった。久しぶりに満腹で苦しいという感覚を味わった。

おばあも80代とは思えない食欲で、何度も小皿に取り分けていた。アルマイトの大鍋のかさは見るからに減って、はじめはひしめいていた具材が、食べ終えたときには、つゆの上にまばらに浮かぶくらいになっていた。

それから一日経った今日、具材は再び鍋の中にぎっしり詰まっていた。具材を足したのかとおばあに聞くと
「まだ残っとるのに、足さへんわ!」
といつもの大声で返された。

量はそのままなのに、増えたように見える。そうか。鍋が昨日のものより小さな土鍋に変わっているのだ。

今日も大鍋のまま温めて出しても、何も差支えはなかった。そもそもおでんを大量につくったのは、次の日も余ったものを食べようと思っていたからだろう。せっかく楽ができるチャンスなのに、わざわざわ中身を移し替えるひと手間を加えたのはなぜだろう。

2日目のおでんや、缶詰の牛肉の大和煮など、おばあが用意した晩ごはんのメニュー

メニュー
・おでん
牛すじ、大根、厚あげ、ごぼ天、じゃがいも、ねじりこんにゃく
・牛肉の大和煮(缶詰め)
・白菜キムチ
・サラダ
生:トマト、キャベツ 茹で:ブロッコリー、アスパラガス、ほうれん草
・ごはん

疑問はともかく、お腹が減っているので、おでんを取り分ける。具材は2日ぶん煮込まれて色が濃くなっている。特に大根は形を保っているのが不思議なくらい柔らかい。慎重にお玉ですくう。

半透明のゼラチン質が多い牛すじは、いくら煮込んでもパサパサになったり、崩れたりせず、プルっとした弾力がある。小皿に2つ箸でのせ、もう1つを鍋から直接、口に運ぶ。脂身の柔らかさと噛み応えのあるすじの部分の、食感のコントラストが癖になる。牛肉のうま味が凝縮しているところに、濃くなったつゆがしっかりと染み渡り、ごはんをかき込まずにはいられない。

なぜかおでんと一緒におばあが夕飯に出した、缶詰の牛肉の大和煮

ところでこの、醤油色の見慣れたかたまりは何だったっけ。煮こごりのようなゼラチン質に覆われ、白っぽいのは脂だ。一口食べると甘辛く煮込んだ牛肉の味。2日目のおでんの牛すじに匹敵するほど、ごはんが欲しくなる。これは以前、にゅうめんにも乗せた、缶詰の牛肉の大和煮だ。

味わった感じは、おでんの牛すじに似ている。なのになぜ、おばあはこの2つを一緒に出したのだろうか。
「おでんがあればじゅうぶんなのに、なんで缶詰めまで出したんや?」
僕は疑問を口にした。向かいの席で大根をほおばっていたおばあは顔を上げ、
「そのほうが、見栄えがええやろ!」
と声を荒げた。

だったらなぜ缶詰なんだ! と一瞬、思ったけど、缶詰めだから簡単に一品、増やすことができたのだ。今日はおでんを温めるだけでもよかったけど、何か追加したい。台所の戸棚を空けると、この前にゅうめんに乗せた牛肉の大和煮の缶詰めが残っていた。牛すじと味わいがカブっているなんて思わず、おばあはそれを小皿にあけて出してくれたのだ。

鍋が土鍋に代わっていたのも、見栄えを考えてのことだろう。大鍋の中でまばらに具材が浮いているより、土鍋にたっぷり入っているほうがおいしそうに見える。おばあは今日、おでんを温めるだけで楽をしてもよかったのに、手間を加えてくれたのだった。

料理の見栄えがよくなれば当然、僕の食欲は増す。昨日のような勢いで、僕はおでんを平らげる。ごはんのお代わりは許さないくせに、今日もお腹いっぱい食べても、おばあは怒らないのだろうか。

先に食べ終えたおばあは、灯油ストーブで暖まりながら、満足そうにテレビを見ている。僕がまた、おでんを小皿に取り分けると、おばあは横目で僕を見つつ、
「さすがに、食いすぎや」
とつぶやいた。本気で注意するつもりなんてなさそうな、満ち足りた表情をしていた。

おでんを食べ終わった後、灯油ストーブの前で休むおばあ