晩ごはんを食べに、おばあの家に向かう。夏の暑さがピークに近づき、日ごとにじわじわと体感温度が高まっている。日が暮れかけていても、強烈な直射日光を浴びていたアスファルトが熱を放ち、足元からもわっとした熱気が立ち上ってくる。僕の家から歩いて5分のあいだに、全身から汗が吹き出て、背中にシャツが張り付く。こんな日は、夏らしい冷たいものが食べたい。
居間につづく戸を開けると、おばあはクーラーの効いた室内でテレビを見ていた。入口の僕に目もくれず、「台所に行け」という。これは、うれしい前兆だ。先日もまったく同じことがあった。台所には、ゆでる前のそうめんがあるはず!
おばあの麺の好みはやわらかめ。一方、僕が好きなのは固めだ。麺類の中でも極細のそうめんは、お湯に入れるとすぐにやわらかくなってしまうので、好みに合わせてゆで加減を調節するのが難しい。だからおばあは、僕がおいしく食べられるように、僕のぶんのそうめんは自分でゆでさせる。
さらにおばあは、そうめんを冷やし中華風にして、色とりどりの具材をトッピングする。その具材を毎回変えて工夫を凝らしてくれるので、毎日でも食べ飽きない。今日はどんなそうめんが食べられるのだろうか――
そうめんじゃない! 台所の流し台にあったのは、そうめんの束ではなく、「山形のとびきりそば」と書かれた細長い紙の包みだった。
包みを開けると、乾燥したそば色の麺の束! そばを食べるのは、年越しそば以来だ。ざるそばとなると、去年食べたかどうかもわからない。
暑い日が続くので、冷たい麺が食べたいのはおばあも同じだろう。だけどおばあは僕以上に、メニューのマンネリ化に気をつかう。3日連続でそうめんを出し、次は具材を変えるのではなく、麺そのものを変えた。久しぶりに食べるざるそば。しかも名前が「とびきり」というのだから、期待が持てる。近くのコンロでは鍋にたっぷり張った湯が、沸騰している。額の汗は乾く気配がないけど気にしない。
包みには茹で時間7~8分とある。僕はタイマーを7分にセットして、そばの束を煮えたぎる鍋に投入した。鍋の底から沸き立つ泡に合わせて、そばが生き物のように滑らかにうごめいてゆであがっていく。
タイマーの電子音が聞こえ、僕はざるの中に鍋の中身を流し込んだ。ざるに入ったそばの上から、水道の水をかけて冷やす。だけど思ったより、そばの量が多く、7分も熱湯に浸かって熱熱せられていたので、なかなか冷たくならない。
すると、僕の背後から手が伸びて、ざるをつかんで、中身をタライの中にぶちまけた。そして水道の水をタライにためる。
「そばはな、こうやって洗わんとあかんのや!」
おばあはいいながら、両手で水の中でそばを揉むように洗う。そうすることで、そばが冷えて、ぬめりも取れるという。
「おばあの田舎でも、そうやって、ゆでたそばを洗ってたんか?」
「そうや!」
と元気よく答えた、おばあの横顔はどこか誇らしげだ。
洗ったそばを両手でつかみ、無造作に皿にのせる。太めのコシの強そうな麺が山盛りで、かなり食べごたえがありそう。おばあの家についたときには、つるっと食べられる軽めのそうめんがいいと思っていたけど、今はもう、歯ごたえのあるそばを、たっぷりと味わいたくて待ちきれない。
メニュー
・ざるそば「山形のとびきりそば」
・ホタテの焼いたん
・ナスの揚げ煮
・サラダ
生:ミニトマト、キャベツ 茹で:ブロッコリー、アスパラガス、ほうれん草
みょうがを入れたストレートのめんつゆと一緒に、そばを食卓に持っていく。席につくなり、そばをつゆにさっとつけてすすった。滋味豊かなそばの香りがする。思った以上にしっかりとしたコシがあり、噛むたびに甘みが出てくる。その甘みと醤油ベースのつゆの風味と塩味、そしてそばの香りが合わさって、いくらでも食べたくなる。一気に平らげてしまいたいほどだけど、ほかのメニューも味わうために手を止める。そば以外の献立は、いつものサラダに、そばに合いそうなおかずが2品。
おかずは焼いたホタテと、ナスの揚げ煮。ホタテは表面が油で揚げたように、カリッとしたきつね色だ。おばあ自慢の、分厚い鉄のフライパンで焼いたのに違いない。箸でつまむと、ほどよい弾力があって、中はやわらかい。口に入れて舌にのせただけで、ホタテの強いうま味を感じる。噛むと濃厚なエキスが染み出してきた。すると、猛烈にそばが食べたくなって、たっぷりとつゆにつけてすすった。
これは、いける! 焼いたホタテの濃縮したうま味と香ばしさ、ぷりぷりと張りのある食感が、そばにぴったり合っている。
ホタテをそばにのせて――
そばと一緒につゆにつけてすする。食べごたえのある太くて風味の強いそばと、香ばしい焼いたホタテが合わさると、繊細さはあまり感じられないけど、とにかくうまい! 新種のジャンクなつけ麺を食べいているみたいだ。山盛りのそばが、どんどん僕の胃袋に消えていく。
「よく、そんな、固いそばが食えるな」
テーブルの向かい側からおばあがいった。麺の好みはひとそれぞれだろう。おばあにとやかくいわれたくない。僕だっておばあの伸びきった麺については、何もいわないことにしている。でも、それを口に出して、おばあと言い合いをするつもりもない。今晩のメニューを用意してくれたのはおばあだし、ありがたいと思っている。
「その麺は何分、ゆでたんや?」
反論する代わりに、僕はおだやかにたずねた。
「15分や!」
おばあは大声で答えた。既定のゆで時間の倍だ。おばあのそばは、見るからに水を吸ってぶよぶよで、おばあが箸でつかむと何本か千切れているほどやわらかい。
「味はどうや?」
「とびきりや!」
とおばあは叫んだ。僕もそう思う。おばあのそばも、僕のそばもほとんど別ものだけど、「とびきりそば」の名前は、嘘ではなかった。