梅雨終盤の長雨で、じめじめと蒸し暑い日が続いているのに、おばあはいまだに、棚の奥にしまってある知り合いからもらった高級そうめん『揖保乃糸』の封を開けてくれない。
おばあは僕以上に気候の変化に敏感で、季節感を大事にしていると思っていたのに……。もしかして寒がりで暑さには強いから、そうめんを食べたい気持ちがわからないのか!?
それどころか先日は、熱々の煮物を鍋ごとテーブルに並べていた。しかも中身はダシ巻き玉子とシュウマイをたっぷり煮込んだ奇想天外な新作料理だった。
汗だくで食べた新作の味は、意外にもおいしかった。だけど今の時期にぴったりな、食べるとすっと汗が引く冷たくてつるっといける麺類は期待しないほうがいいのか……。
そんなことを考えながら、今晩もムシムシする曇り空の下、おばあの家に晩ごはんを食べにやってきた。歩いて5分ほどのあいだに全身にうっすらと汗をかき、Tシャツがべっとりと背中に貼りついている。
今晩の献立も、また季節感無視の熱々の新作料理かも……。想像するだけで、また汗がじんわりにじんできた。
ほとんど諦めながら居間の戸を開けると、テーブルにあったのは、そこだけひときわ明るく真夏の太陽のような輝きを放つ――
とうもろこし!
驚く僕の心を見透かしたように、
「とうきび、田舎から送ってきたんや!」
とおばあが教えてくれた。
おばあが生まれた愛媛の山奥では、とうもろこしを『とうきび』と呼び、子どものころから家族で栽培していたらしい。山では貴重な甘味のとうもろこしは、おばあが甘いもの好きになった原点だ。
調理方法は茹でたわけではなく、常に時短とおいしさを追求するおばあは、
「レンジでちょっとチンしただけや」
とのこと。
粒が今にも弾けそうなほど艶やかで、あまりに見事なので、とうもろこしを手に持って掲げるようおばあにお願いすると、
「こんなの撮らんでええわ」
と文句を言いながら、しぶしぶ応じてくれた。そしてカメラを向けると――
わざと嫌そうに顔をしかめる。
理由をたずねると、
「そら、さっさと食ってほしいからや!」
と一喝された。
先に食べたおばあが、僕にも田舎のとうもろこしを早く味わってほしいと思っている!?
何だかうれしくなって、ガブっとかじると、弾けた粒から次々と熱い汁がほとばしり、果物みたいな強烈な甘みが! 口の中がやけどするほど熱いけど、これこそ夏の味覚やで、おばあ!
他にもおかずは
いつものサラダの上に、カツオのたたきがたっぷり盛られたワンプレート。この脂が乗ったカツオも、初夏の味だ。
さらに煮物には――
この前と同じく総菜屋のダシ巻き玉子が入っているし、
ワカメと豆腐のスタンダードなみそ汁もたまらない
メニュー
・とうもろこし
・サラダとカツオのたたきのワンプレート
〈野菜〉生:キャベツ、ブロッコリー、ピーマン、トマト 茹で:ほうれん草
・煮物
惣菜屋のダシ巻き玉子、鶏肉、タケノコ
・ワカメと豆腐の味噌汁
・ごはん
冷たいそうめんはないものの、夏を感じられるメニューをお腹いっぱい堪能した。
「そういえば、もらったそうめんがあったよな」
食後にそれとなくリクエストすると、
「そうめん? そんなんもらったか?」
って……僕があれほど期待していたそうめんのこと、忘れてたんか、おばあ!
箱入りの『揖保乃糸』を、棚から取り出してこよう……と思ったけど、もうお腹も心もすっかり満たされ、そんなのどうでもいい気がしてきて、しばらくこの満足感に浸ることを決め、イスの背にもたれて息を吐いた。