近ごろおばあは、夕飯に野菜ばかり出す。30代も半ばにさしかかる僕の健康を気づかってくれているのか、ありがとう! 普段はそんなそぶりも見せないくせに、心の中では僕のことを想ってくれていたのか! と感動していたら、実際は、自分の便秘がひどいものだから、食物繊維をとってお通じをよくしようとしているだけだと判明した。
今晩も、おばあの便秘解消に付き合わされて、ベジタリアン・メニューを食べる羽目になるのか……。暗澹とした気分で居間の戸を開けると、食欲をそそる香りに包まれた。今晩は野菜だけじゃない! この香りは、僕の好物!
「今日は――」
僕がいいかけると、イスに座っていたおばあが振り向き、
「お、来たんか!」
と待ちかねていたかのように立ち上がり、真っ赤に燃える灯油ストーブに向かっていく。ストーブの上では、半身のアジの開きがパチパチと音を立て、こんがりと焼き目がついていた。それをおばあは菜箸で皿に取り、テーブルに置く。
ストーブの弱火でじっくり焼いたアジの開きは、最高の焼き加減。こうばしい香りも漂ってきておいしそうだけど、僕の好物というのはこれじゃない。
続いておばあは、台所に向かっていく。その後を追うと、僕の好物はまだ台所のコンロの上にあった。
おばあは、底の深いフライパンのフタを取り――
湯気を立てる中身を軽くかき混ぜ、火を止める。あたりには、醤油ベースの割下が煮詰まった、甘辛い香りが充満している。フライパンの中身は、長ネギと肉がたっぷりの――
すき焼きだ! ……あれ、何かが違う。
肉が牛ではなく、鶏なのだ。牛肉もいいけど、これはこれで食欲を刺激する。
それにしても、僕とおばあの2人だけなのに、すごい量。ようし、近ごろおばあの便秘解消メニューせいであまり肉を食べていないし、今晩は食べまくってやる!
メニュー
・鶏肉のすき焼き
鶏肉、長ネギ、こんにゃく、しめじ
・アジの開きの焼いたん
・おから
・茹でもやし
・刻みオクラ、かつお節乗せ
・タコとキュウリの酢の物
・サラダ
生:トマト、玉ねぎの醤油漬け、キャベツ 茹で:ブロッコリー、アスパラガス、ほうれん草
・ごはん
おかずは相変わらず野菜が多くて、品数も豊富。そこに今晩は、鶏肉と青魚が加わった。なんて健康によさそうで、そして、おいしそうなんだ!
アジは皮がカリっとして、身はふっくら。それでいて、水分が適度に飛んでいて、味が凝縮している。みずみずしい鶏肉は、芯まで濃いめの味付けがしみ込んでいる。一緒に煮ているしめじのうま味もプラスされ、ひと噛みごとに唾液があふれてくる。
アジも鶏肉も一切れ口に運ぶたびに、ごはんをかき込まずにはいられない! これだよ! まさに〝今、メシを食っている″というこの感じは、野菜のおかずだけではたどり着けない感覚だ。
向かいの席のおばあも鶏肉を口に放り込み、ばくばくとごはんをほおばっている。おばあも本来は、肉が好きな〝肉食系女子″なのだ。
あれほどあったすき焼きも、二人でほとんど食べてしまった。僕がおばあの分まで、空になった食器を流し台に持って行く。そして戻ってくるとテーブルには――
チョコレートの詰め合わせが置いてあった。そうか、今日はバレンタイン……じゃないぞ! 一日前だけど、おばあは勘違いしているのか?
「これ、僕にくれるの?」
ぼうっとテレビを見ていたおばあに聞いてみると、
「お前に買ってきたんとちゃう、おばあが人からもらったんや!」
とのこと。
ちょっとがっかりしながら、さらに聞いてみると、このチョコレートは、おばあが週3で通っている女性限定のフィットネスジムで知り合った人からもらったという。この前も、おばあに派手な靴下をくれた人だ。
僕もデザートにひとつもらおうと、中身を取り出す。
するとおばあは素早く手を伸ばし――
緑の包み紙をほどいて、チョコをひとつ口に入れた。さらに続けて、
今度はハート形の一番、バレンタインデーっぽいやつを、
パクっと食べてしまった。次は長ぼそいチョコを手にしたけど、包みが破れないようなので、僕が代わりに開けて――
中のチョコ・ウエハースを手渡した。すると、
サクサクと音を立てながら、吸い込むように食べた。そしてまた――
手にした袋と格闘しているので、再び代わりに開けてやる。
それを手渡すと、中身をザラザラと片方の手の平にあけた。
僕も一粒もらう。おばあも少しずつつまんで食べるのかと思ったら、なんと――
手のひらごと口に持って行き、
一気に平らげた。そして結局、チョコレートはおばあがほぼひとりで食べきった。その様子を、さっきあれだけ食べて、よく入るよ、と僕は感心しながら眺めていた。
とはいえ僕が食べたのは、小さな一粒だけだ。
「明日は僕に、チョコレート買ってきてくれるの?」
そう聞いてみずにはいられなかった。するとおばあは目を見開き、〝そうや″とうなづくのかと思いきや
「なんで買ってこなあかんねん!」
大きな声で否定した。
「買ってくるの面倒なら、いらんわ!」
と僕は強がったけど、いった直後に後悔した。
口ではああいっているけど、季節のイベントごとを大事にするおばあのことだから、ちゃんと買ってきてくれるはず。いや、買ってきてくれと僕は願った。