おばあがつくるカレーには、牛すじがごろごろ入っている。半透明のゼラチン質でできている牛すじは、いくら煮込んでも形がくずれない。ぷりっとした歯ごたえがあるかと思えば、とろりと柔らかい部分もあって、食感のコントラストがたまらない。ダシや脂もたっぷり出るので、ルウは濃厚な牛のうま味が加わった贅沢な味になる。
牛すじはカレーの具材にぴったりだけど、脂が多いので買ってきてそのまま鍋に入れるわけにはいかない。何度も茹でて余計な脂を捨てる下処理が必要なのだ。そんな根気は僕にはないけど、おばあはおでんの具材として長年調理してきた経験を生かし、難なく下ごしらえしてしまう。おばあの調理経験があってこそ、おいしい料理が味わえる……夕飯にカレーが出ると、僕は普段忘れていることを思い出す。
今日もおばあの家には、玄関にまでカレーの香りが満ちていた。僕が食卓に着こうとすると、
「自分でカレー入れてこい!」
とおばあは台所に向かって顎を突き出す。いつもならカレーはおばあがよそってくれるのに、今日に限ってどうしたのだろう。料理のことで僕が疑問を口にすると、おばあは機嫌が悪くなるので、ひとまず黙って台所に向かう。
台所には底が深めのカレー皿と、アルマイトの両手鍋があった。あたりには食欲をそそる香りがさらに濃く充満している。香りはいつもより甘いような、こってりしているような、一味違う感じがする。そうか。今日のカレーは特に出来がよかったから、鍋にいっぱいつくったものを僕に見せつけ、鍋から立ち上る香りを直接嗅がせたかったのかもしれない。
今日のカレーは普段よりも牛すじを50%増量しているとか、はじめての具材を追加したとか、何か工夫をしているのに違いない。フタを取ると、鍋の中ではあふれんばかりのカレーが、ぽこぽこと小さな気泡を立てながら沸騰していた。表面にはこげ茶色のうすい膜が張っていて、具材が見えない。お玉を底まで沈めてゆっくりと引き上げてみる。重たいお玉がカレーの表面に持ち上がると……大ぶりの牛すじが山となって現れ……なかった。
牛すじはどこに行ったんだ! いくら鍋をかき回してみても、増量どころかひとかけらも見当たらない。具材は小さく刻んだじゃがいも、にんじん、玉ねぎといういつも通りの野菜と、牛肉の細切れだけだ。ただ、混ぜるたび強くなる香りが、何かが違うと告げている。ルウもいつもよりとろみがあるみたいだ。
牛すじの行方は気になるけど、もう、じっと考えてはいられない。鼻から呼吸をするたびに、ますますお腹が減っていく。僕は素早くカレーとごはんを皿によそって、食卓に急いだ。
メニュー
・カレー
牛肉、玉ねぎ、じゃがいも、にんじん、隠し味??
・タコときゅうりの酢の物
・大根おろし
大根、じゃこ
・サラダ
生:玉ねぎ、トマト、キャベツ 茹で:ブロッコリー、アスパラガス、ほうれん草
僕はこれまで、おばあのカレーにいろんなトッピングをしてきた。
大根おろしも乗せたことがあるけど、今晩のカレーには必要ない。
ルウにどんな秘密があるのか、そのまま味わって確かめたい。牛すじが入っていなくても、香りはじゅうぶんおいしそうだ。
とろみの強いカレーをスプーンですくって口に運ぶと、ひと口で……わかった! 鼻に抜けるクリーミーな香りと、喉の奥にするっと入っていく滑らかかな口あたり。これは、バターだ! ひと口でそれとわかるほどの大量のバターを、おばあはカレーに投入したのだ。
そしてこのバター、ものすごくカレーに合う! 本場の味をウリにしたインドカレーの店でもバターチキンカレーなんてメニューがあるくらいだから、よほど相性がいいのだろう。もうスプーンが止まらない。牛すじは脂分が多いし、バターカレーに組み合わせると脂っぽくなりそうなので、入っていなくてよかったかもしれない。
それにしてもなぜおばあは、この組み合わせを知ったのだろう。カレーがおいしくなる隠し味としてテレビ番組で紹介していたのか。
「今日のカレーうまいな。バター入れてるやろ!」
僕は思わず力を込めていった。向かいの席でカレーをほおばっていたおばあは顔を上げ、
「そうや!」
と誇らしげに胸を張った。続けて、
「油が切れとったから、かわりにバターで野菜やら肉やら炒めてみたんや」
という。そんなの嘘だ! と僕は思った。おばあの家の冷蔵庫には、バターなんて常備していない。わざわざ買ってこないと入れることはできない。
「牛すじが入ってないのはなんでや?」
と聞いてみると、
「買い忘れたからや!」
とのこと。それも嘘だ! 買い忘れたなら、代わりの牛肉の細切れが入っているのはおかしい。
おばあはなぜ本当のことを素直に話せないのか。なぜカレーにバターを入れることを思いついたのか。聞きたいことはいろいろあるけど、これ以上追及するとたぶん面倒なことになる。それよりこのカレーは、いくらでも食べられそうだ。僕は最近太り気味で、おばあからごはんのお代わり禁止令を出されているけど、少しくらいならお代わりさせてくれるだろうか。許しをもらえそうな褒め言葉を考えながら、僕はスプーンに山盛りのカレーを口に入れた。