醤油と砂糖を煮つめた甘辛い香りが、居間じゅうに充満していた。香りが立ち上っている先は台所ではなく、燃焼筒が赤々と燃える石油ストーブの網の上。アルマイトの片手鍋の底の方で、醤油色の煮汁が小さな気泡をぽこぽこと上げて煮立っている。
煮ているのは魚のアラだ。大きな骨の周りに身がついていて、鋭角でいびつな形をしている。
僕が食卓に着くと、おばあは箸を手にして立ち上がり、片手鍋の白木の柄をつかんで持ち上げた。鍋で煮ていた2つの魚のアラを、テーブルに用意していた皿に一つずつ取り分けた。
メニュー
・ブリのアラの炊いたん
・煮物
大根、手綱こんにゃく、じゃがいも、たけのこ
・ワカメとキュウリの酢の物
・みそ汁
たまご、ワカメ、ネギ
・サラダ
生:ミニトマト、キャベツ 茹で:ブロッコリー、アスパラガス、ほうれん草
・ごはん
この小ぶりなサイズと形は、ブリのアラだ。数日前のホワイトデーに食べたばかりだからよく覚えている。あの日のブリのアラは煮付けではなく、表面が焦げるほどこんがりと焼いたものだった。焦げた薄皮をはぐと、真っ白いふっくらとした身。そこにおばあのすすめで、ウナギの蒲焼用のタレをかけていただいた。
あれは本当においしかった。甘辛いタレがブリのうま味を引き立て、ひと口食べると、ウナギの蒲焼に負けないほどごはんが強烈に欲しくなった。おばあも僕と同じ感想を抱いたのに違いない。
今晩のブリのアラは、煮付けであの味を再現したらしい。煮汁の濃くてとろみのある見た目も嗅ぐだけでごはん1杯いけそうな香りも、ウナギの蒲焼のタレにそっくりだ。
そう思うと、僕は箸を取らずにはいられなかった。ブリの身に箸を突き刺すと、しみ込んでいた煮汁が、奥からあふれてきた透明な脂とともに流れ出ながら交じり合った。脂が乗ったぷるぷるの身を口に運ぶ。焼いたものとはまた違う、一瞬でブリの脂が広がるみずみずしい舌触り。味付けはたしかに蒲焼みたいで、ごはんを早くかき込まないと、湧き出る唾液を抑えられない。蒲焼もいいけど、この濃いめの煮付けもすごくいい。
おばあはなぜ、煮付けで蒲焼の味を出したかったのか。それは、焼いたところに市販のタレをかけるだけでは、湧き上がる創作意欲を満たすことができなかったからだろう。焼くだけのほうが簡単なはずなのに、おばあは味付けから自分でつくらずにはいられなかったのだ。
おばあがやる気を出しているのは、最近、体に力ががみなぎってきているからだろう。健全なる精神は健全なる肉体に宿るのである。
おばあは以前から週3で通っている「おばあフィットネス」に加え、筋肉をつけることに凝り出している。筋肉のもとになるタンパク質をとるために、おばあは今晩のみそ汁にたまごを入れていた。そして――
食後はテレビを見ながら、スポンジでできたボールをにぎり、握力を鍛えているのだった。おばあに体力があるお陰で、僕は毎日おいしい料理を食べられる。さらに力をつけてやる気を出し、いろんな料理をつくり続けて欲しい。
「おばあ頑張れ! もっと握れ! 強く握れ!」
隣で立って応援していると、
「お前もやれや!」
とボールを渡された。豚の顔が描かれたピンクのボールは、思ったよりも固かった。僕はダイエットのためにはじめた筋トレを、最近サボっていることを思い出して後悔した。