おばあ、大阪城公園に桜はもう咲いてるで! 今シーズン最初で最後のたまご入りのおでん

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大阪城公園の桜はほとんど、まだつぼみがほころびはじめたところだった。僕はMIRAIZA OSAKA-JOでの仕事を終え、大阪城公園内を散策していた。するとうっそうとした林の中に一本だけ、満開の花をつけた桜の木があった。

大阪城公園の満開の桜

大阪城公園の桜の花を下から見上げたところ

大阪城公園の桜の花のアップ

満開の桜の木のそばでは、あでやかな着物を着たベトナム人の団体が、タガログ語で楽しげにしゃべりながら写真を撮っている。亜熱帯地域からやってきた人たちが、着物一枚で出歩けるほど、いつの間にか暖かくなっていた。

僕は朝に着込んできたダウンジャケットを脇に抱えていた。じわじわと暖かくなる気候の変化に気がつかず、服装の選択を間違えたのだった。

外堀沿いを行きかう人たちも、誰ひとり分厚い冬物なんて着ていないし抱えてもいない。自分がひどく間抜けに思えてきて、僕はせっかく見つけた満開の桜に背を向けて、最短距離で最寄り駅に直行し、指名手配犯のような気持で逃げ帰ったのだった。

帰宅して、晩ごはんを食べに、おばあの家に向かった。玄関の戸を開けると、中の空気が妙に暖かい。玄関に足を踏み入れ、居間に近づくとさらに暑くなる。僕はフリースの長袖を脱ぎ、Tシャツ一枚になっていた。熱の発生源はどうやら居間だ。戸は開いていて、暖かい空気が流れ出てくる。

居間ではおばあは、血色のいい顔をしてテレビを見ていた。テレビのそばの石油ストーブが赤々と燃えている。

ここにもいた! 季節の変化に気がつかない鈍感な茹でガエルだ!

「暑くないんか?」
僕がきくとおばあは、
「なんや、暑いなあ」
と、どんくさい返事をするだけで、テレビ画面を呆けたように見つめている。ついにボケてしまったのかと心配になり、
「だったら、なんで、ストーブ消さんねん!」
と僕はつい力を込めていった。するとおばあは、
「上で魚、焼いとんねや! もう焼けるから消すわ!」
いきなり正気を取り戻したように、いつもの調子で怒鳴った。

祖母(おばあ)が石油スト―ブの上で焼いているアルミホイルに包んだ鯛

ストーブの上の網には、魚を包んでいるらしいアルミホイルがのっていた。

やはりおばあは僕と同じく、季節の感覚が鈍っていて、今日もストーブに火を点けた。そしてその上で魚を焼きはじめた。しばらくしたら暑くなってきたけど、今さら魚をフライパンで焼くのも面倒だ、ということで、ここまま焼き上がるまでストーブを点けておくことにしたのだろう。

真鯛のホイル焼きや豚汁など、祖母(おばあ)が作った晩ごはんのメニュー

おばあは僕が席に着くまでのあいだに、ストーブの上のアルミホイルを両手でつまみ、テーブルの皿の上に移した。そしてストーブの火を消した。

ストーブの熱でじっくり焼いた魚は絶品だ。部屋の中はまだ暑いけど、おいしいものが食べられるなら、少々の暑さは苦にならない。

だけどテーブルの上には、ストーブの他にもうひとつ大きな熱源があった。

祖母(おばあ)が作った玉子や鶏肉入りのおでん

両手で抱えるほどのアルマイトの鍋の中で、おでんの具材が湯気を立てていたのだった。ストーブとおでんなんて、真冬の組み合わせだよ! と思ったけど、声に出すとまたおばあに怒鳴られるので、僕はぐっと口をつぐんで席に着いた。

真鯛のホイル焼きや、玉子と鶏肉入りおでんなど、祖母(おばあ)が作った晩ごはんのメニュー

メニュー
・真鯛のホイル焼き
・おでん
たまご、たけのこ、こんにゃく、厚揚げ、大根、鶏肉
・豚汁
豚肉、白菜、玉ねぎ
・きんぴら
ごぼう、れんこん、にんじん、鶏肉
・サラダ
生:ミニトマト、キャベツ 茹で:ブロッコリー、アスパラガス、ほうれん草
・ごはん

祖母(おばあ)が灯油ストーブの上で焼いた、真鯛のホイル焼き

アルミホイルを開くと、中に包まれていたのは、赤い皮をした分厚い切り身、真鯛だ! 切り口にうすい焼き色がついているのに、乾燥せずにしっとりしている。見るからに焼き加減は申し分ない。

真鯛のホイル焼きの身をほぐしているところ

箸を入れると、パリっと心地いい感触がして皮が割れ、真っ白な身があらわれた。大きな固まりを口に運ぶ。軽く噛むと、うま味が凝縮したエキスがあふれ出てきた。塩気が強めだけど、それがいい。真鯛の濃厚なうま味と合わさって、湧き出る唾液を止まらなくさせる。たまらずごはん茶碗に手が伸びる。

ごはんをかき込んだときには、Tシャツが背中に張り付き、額にじっとりと汗をかいていた。

玉子や鶏肉などのおでんの具材を皿に盛ったところ

そしてこのおでんである。皿に取っていたとはいえ、まだ温かい。だからといって食べないわけにはいかない。今日のおでんには、なんとたまごが入っている!

おばあはなぜか、おでんには滅多にたまごを入れない。今年食べたおでんには一度も入っていなかった。おでんの具材でたまごが一番好きな僕と、意地でもたまごを入れないおばあは、2か月ほど前、おでんの鍋をはさんで無言の攻防を交わしたのだった。あのとき僕はおばあに全面的に敗北し、たまごなしのおでんを受け入れるしかなった。

それがなぜ今になって、おばあはたまごを入れたのか。そもそもなぜ、桜が開花したこの時期におでんをつくったのか。単に季節を感じる感覚が鈍っていたというなら、大阪城公園でひとりダウンジャケットを着ていた僕はおばあを責められない。額にはさらに汗がにじんできた。

おでんは真鯛と一緒に出てきた。真鯛といえばアジやサバより高価で、おばあが好きな魚だ。もしかしたらたまごも、おばあにとって特別な食材なのかもしれない。愛媛の山奥で育ったおばあは、たまごはほとんど口にすることができないあこがれの食材だったという、

だとしたら反動で、今なら手軽に買えるたまごを、おでんに入れて食べまくりそうなものだ。おでんの具材を前にして考えを巡らしていると、
「さっさと食えや!」
とおばあの檄が飛んだ。
「冷めるの待っとんねん!」
反射的にいい返すと、
「冷まさんでええ! 熱いもんは熱いうちに食え!」
とおばあはまた怒鳴り、おでんの大根を頬張った。

おばあの額にも汗の玉が浮いていた。どんなに気温が暖かくても「熱いもんは熱いうち」というのがおばあのポリシーらしい。

僕は箸でたまごを2つに割った。白身の内側まで醤油の色がついている。今年初めてで、たぶん最後に食べるおでんのたまごは、これ以上ない仕上がりだ。僕は額の汗をぬぐい、切り口から湯気を立てるたまごを口に運んだ。