おばあは今年も恵方巻をつくるのか? 柊とイワシの頭に聞いてみろ!

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おばあは去年の節分に恵方巻をつくった。まず炊きたてのごはんを、木製のおひつに入れて酢飯を用意する。テーブルに巻きすを広げ、ストーブで軽くあぶったノリをしき、酢飯をうすく広げる。そこに細長く切った、塩味のたまご焼き、甘辛く煮たシイタケ、かんぴょう、そしてきゅうりとかまぼこをのせる。味も食感も色合いも多彩な具材がたっぷりだ。

ノリ、酢飯、具材を巻きすごとくるっと丸め、手の位置をずらしながらぎゅっぎゅっと均等に力を加える。最後に巻きすを外せば、皺ひとつないノリが艶やかに輝く、きれいな円筒形の恵方巻があらわれる。

おばあは恵方巻を巻くときに、わざわざ僕に電話して、おばあの家に呼び出したのだった。僕が到着しても作業を手伝わせるわけでもなく、おばあは一人で黙々と、恵方巻の山を築いていった。あれは、おばあがつくるところを僕に見せつけたかったのだ。

その年の恵方に向かって太巻きにかぶりつき、無言で食べきると願いが叶うという。この恵方巻きは、発祥の大阪から全国に知れ渡り、今や2月3日になれば全国のコンビニやスーパーの店頭で山積みになる。恵方巻を食べるなら、買ってくるのがふつうだ。

だけどおばあは、太巻きをつくることができる。ごはんがひと粒ずつ立っていて、控えめなお酢の加減もちょうどよく、具材は量も種類も豊富。見た目も味も、そこらの店頭で積まれているものより確かによっぽど上等だ。おばあもそれが誇らしいのだろう。恵方巻きをつくっているところを見せつけたくなるのもうなづける。

毎年、節分が過ぎると売れ残った恵方巻が大量に破棄されるというニュースを目にする。おばあは「売れ残るくらいなら、そんなん売らんでええ! 恵方巻なんて自分でつくるもんや!」なんて思っているのに違いない。

ところが今年の2月3日、おばあから僕に電話がかかってくることはなかった。僕を呼び出すことなく、おばあはひとりで恵方巻をつくっていたのだろうか。まあ、僕が行ったところで何か手伝うわけでもないし、おばあは毎年、僕を呼んでいるわけでもない。晩ごはんの時間に行けばテーブルには、おばあがつくった恵方巻の山ができているはず。

いつも夕飯の時間より少し早く家を出て、おばあの家にやってきた。冷たい風を切り、歩いて5分のところを小走りでやってきた僕は荒れた呼吸のまま、居間の戸を開ける。期待を抱いてテーブルの上に目をやった僕は、愕然として立ち尽くした。

祖母(おばあ)が節分の日に買ってきた恵方巻

「寒いやろ! さっさと戸、閉めえや!」
おばあに怒なり声を浴びせられ、僕は慌てていわれた通りにした。

テーブルに目を戻すとやはり、見間違いではなかった。恵方巻が透明なプラスチック容器に入っているのだった。「節分恵方巻」というシールが貼られている。値段は199円。一本でお腹が膨れそうな、けっこう大きな恵方巻が200円を切る価格で、なんてお買い得……じゃない! なんで買ってきてるんだよ! 自分でおいしい太巻きがつくれることを、おばあは誇りに思っていたんじゃないのか。

焼いたイワシや恵方巻、アサリのすまし汁など、祖母がつくった晩ごはんのメニュー

メニュー
・恵方巻?
・イワシの焼いたん
・すまし汁
アサリ、たまご、三つ葉
・煮物
里芋、タケノコ、手綱こんにゃく
・サラダ
生:ミニトマト、キャベツ 茹で:ブロッコリー、アスパラガス、ほうれん草

なぜ今年は恵方巻をつくらず、買ってきたのかとおばあに問うと、
「そんなん、安うて、ダイエーでもどこでも売ってんねんから、買うてきたらええんや!」
と喧嘩腰で怒鳴られた。おばあが長年培ってきたプライドは、200円足らずのお買い得品に負けてしまうのか。僕がさらにいい募ろうとすると、
「他にも、おかずはこしらえてるんやから、それでええやろ」
とおばあは続けた。口調は控えめで、うつむき加減にパック入りの恵方巻を見つめる姿はどこか寂しげだった。

節分の日に焼いたイワシ

そういえば、恵方巻だけではなくて、イワシを焼いたものも毎年、節分に食べている。

祖母(おばあ)が作った、たまごとアサリのすまし汁

珍しく、アサリのすまし汁もつくってくれていた。三つ葉の香りがさわやかで、沈んでいる半熟のたまごもおいしそうだ。

手作りの料理は、恵方巻以外のおかずで我慢しろとおばあはいった。

たしかに恵方巻を一からつくれば、大変な手間がかかる。具材や酢飯を用意して、ひとつずつノリと巻きすで巻いていく。1、2本だけつくるわけにもいかないから、量もかなり多くなる。そしてプライドの高いおばあは、決して僕には料理を手伝わせてくれないので、すべての作業をひとりでやることになる。

おばあは今、83歳だ。まだ元気そうに見えるけど、今年はもう恵方巻をつくるのは、体力的に限界だと思ったのもしれない。もう、おばあのつくる恵方巻は食べられないのだろうか。今年はたまたま面倒だったというだけならいいのに……

そうだ。恵方巻は、毎年変わる恵方を向いて丸ごと食べれば、願いがかなうという。僕の願いは決まった。

たしか今年の恵方は南南東だ。僕はスマホのアプリで方角を確認して、恵方巻の入ったケースを開けた。

祖母(おばあ)が買ってきた節分の恵方巻。食べにくいといっておばあが切ってしまった

ケースから、恵方巻をつかみだそうと手を伸ばした。ところが太巻きが丸ごと一本入っているはずが、包丁でまっすぐ切ったような切れ目がある。つまみ上げると、恵方巻は一口サイズに切り分けられていた。こんなの恵方巻じゃなくて、巻き寿司だよ!

ケースに貼ってあるシールには「恵方巻」と書かれているから、もともと切られていたわけではなさそう。切ったのは一人しかいない。テーブルの向かい側の犯人に尋ねると、
「えらい長くて食べにくいから、ええように切っといたわ」
とおばあはいった。

おばあは恵方巻の風習を忘れてしまったのか。体力だけではなく、頭のほうも心配すべきなのか。
「節分は何する日か知ってるか?」
とおばあに聞くと、
「豆をまく日や!」
バカにするなといわんばかりに、おばあは声を荒げた。
「じゃあ、豆はどこにあるんや?」
と聞くと、
「そんなん、買うてへん!」
とつじつまの合わないことをいう。

これ以上いい合いをしても仕方ないので、僕は黙って巻き寿司と化した恵方巻を口に運んだ。味は悪くはない。値段を考えれば量も申し分ない。だけどやっぱり、おばあのつくったやつにはかなわない。

僕は箸を手にして、イワシの身をほぐしはじめた。するとおばあが、
「イワシの頭は、丸ごと残しとけや」
といった。さらに続けて、
「柊に刺して、玄関に飾っとくんや。そしたら鬼も来えへん。豆なんかいらんねん」
といいながら、手づかみでイワシの頭をもぎ取った。そういえば、そんな風習もあったと僕は思い出した。

節分の日に食べたイワシの頭に柊の枝を刺したもの。悪い物を追い払うという