食卓のある居間には、甘辛いすき焼きの香りが満ちていた。おばあは台所で、まだ料理をつくっている最中らしい。まさか、今日もすき焼きだろうか。だとしたら今日で3日目だ。昨日の時点で具材はほとんど残っていなかったし、いくら火を通しているとはいえ、さすがに3日は衛生的に危なくないか。カレーだって2日目は、熱に強いウェルシュ菌が繁殖してお腹を壊す危険があるので、衛生上は口にしない方がいいとテレビの情報番組でやっていた。
今回のすき焼きは、牛肉が山盛り入っていた。たっぷりの脂や肉汁がつゆに溶け込んで、いかにも菌が繁殖しそうなとろみがあった。しかもおばあと僕は、自分たちで口を付けた箸を直接、大きなフライパンの肉の山に突き刺しては、それぞれの取り皿によそっていた。僕は最近、風邪気味だし、おばあもたまに咳やくしゃみをしている。よくない菌が増えていて、食べた翌日に高熱でうなされる、なんてことになったら大変だ。月曜日から溜まっている仕事ができなくなってしまう。高齢のおばあがひどい病気にかかると、取り返しのつかない事態になりかねない。
僕はおばあを止めるために、台所に急いだ。
台所ではおばあが、すき焼きの残りに麺を投入したところだった。これは、黄色っぽい、弾力のありそうな太めの、中華麺!
すき焼きのシメといえばうどんが定番だ。昨日食べた2日目のすき焼きにも、おばあはうどんを入れていたけど、いつものすき焼きのうどんとは段違いのおいしさだった。たっぷりの国産牛肉の味が溶け込んだつゆにうどんがからみ、僕好みの固めの歯ごたえと相まって、これまで口にした中で最高の「すき焼きうどん」だった。あのつゆの味の中華麺というのも是非、味わってみたい。
おばあは菜箸で中華麺を手早くかき混ぜる。脂の浮いたつゆがぐつぐつと沸騰している。悪い菌なんてぜんぶ、死んでしまっているに違いない。そう思おうとしても、つゆはどんどんとろみが強くなり、なぜか白濁し、よからぬものに変化しているように見受けられた。
メニュー
・牛肉の炊いたん~すき焼き風~3日目
中華麺(ラーメン)、具材のかけら(牛肉、白菜、糸こんにゃく、もやし、しめじ)
・煮物
鶏肉、厚あげ、ねじりこんにゃく
・酢の物
タコ、きゅうり
・白菜キムチ
・サラダ
生:トマト、キャベツ 茹で:ブロッコリー、アスパラガス、ほうれん草
・ごはん
甘辛いすき焼きの香りは食欲をそそる。だけどフライパンの中に目をやり、さらにこれが3日目だと思うと、口にするのをためらってしまう。牛肉や白菜や糸こんにゃくなど、すき焼きの具材が入っているはずなのに、何が何やらほとんど判別できない。かろうじて黒い傘のあるしめじが、点々と散らばっているのがわかるくらいだ。
昨日と同様、僕の体型を気にして、おばあが少なめに盛ってくれたごはんもある。煮ものなどの他のおかずとごはんを食べることにして、3日目のすき焼きは遠慮しておいたほうがいいだろうか。
僕が迷っていると、おばあは中華麺を小皿に取り、ぐちゃぐちゃの具材と一緒に音を立ててすすりはじめた。あっという間に小皿は空になり、おばあは迷わず、またフライパンの中に箸を伸ばす。味にうるさいおばあも、すき焼き味の中華麺を気に入ったらしい。再びわき目もふらずにすすりはじめた。やっぱり、おいしいのだ。このままでは、中華麺がなくなってしまう!
僕は自分の小皿に中華麺をよそった。こうして見ると、見た目は悪くない。煮詰められたつゆがからみ、中華麺はさらに黄色味が濃くなり、牛肉の脂で照り輝いている。食べるべきか、我慢すべきか……おばあが勢いよく麺をすする音を聞いていると、迷っている暇はなかった。僕はおばあに遅れをとるまいと全力で麺をすすった。何度か咀嚼し、一口目の麺が喉を通過したときにはもう、お腹の調子が明日どうなろうと、どうでもよくなっていた。