「江戸時代やったら殿様も食べられへんで!」タレに漬け込んだ焼肉と季節外れの栗ごはん

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タレに漬け込んだ焦げのある焼肉(アメリカ産牛肉)

メニュー
・牛肉の焼いたん(タレ漬け込み)
・なんきんとじゃがいもの炊いたん
・茹でもやし
・みそ汁
豆腐、玉ねぎ、わかめ
・サラダ
生:トマト、キャベツ 茹で:ブロッコリー、アスパラガス、ほうれん草
・栗ご飯

玄関の外にまで甘辛い香りが漂っている。引き戸を開けると濃厚な香りで満たされた空気があふれ出てきた。思わず鼻から大きく息を吸い、口の中に溜まった唾を飲み込む。

おばあがいつも料理に使う醤油やみりん、砂糖などを合わせた和風の香りではない。唐辛子の辛さを含んだこの香りは、韓国風の焼肉のタレだ。さらにそれが熱せられて香ばしさがプラスされている!

おばあはタレに漬け込んだ肉を焼いているのだ。2ヶ月ほど前もおばあは、タレと一緒に肉を焼いた。そのときは真っ黒になるほど焦がしてしまって香りも苦かった。タレに漬け込んで肉を焼くと焦げやすくなることを学んだおばあはその後、牛肉は塩のみで焼くようになった。

それが今晩は、タレに漬け込んだ肉を焼いている。しかも香りを嗅ぐかぎり焦げているようには感じない。あのときの失敗を反省して、焼きすぎないように最新の注意を払って焼いたのだろう。

そうまでして、タレと一緒に肉を焼きたいとおばあは思ったのだ。たしかに焼いた後からタレに浸すよりも、香ばしくておいしいと思う。おばあも同じ気持ちのようだ。それに唐辛子の香りがするタレも、冷蔵庫に常備してあるものとは明らかに違う香りだ。〈黄金の味〉も十分いい味なのに、どうしておばあはタレを変えたのだろう。

もしかして大阪随一の韓国人街、鶴橋で売っている焼肉のタレを手に入れたとか。いつだったか鶴橋に行ったおばあの友人がキムチを買ってきたことがあった。そこらへんのスーパーに並んでいるものより段違いにおいしくて、おばあは僕がいない昼間にひとりでほとんど食べてしまったほどだ。タレもおばあの口によっぽど合ったのだろう。そのタレに漬け込んで焼いた牛肉となると……こうしてはいられない。僕はぞうりを脱ぎ捨て、食卓のある居間に駆け込んだ。

食卓の皿には、赤黒いタレの色に染まった固まりがのっていた。ぐちゃっとしてひとつにまとまり、香りはいいけど見た目は正直、あまり食欲をそそらない。そんなことより大切なのは味だ。味がよければ見た目なんてどうだっていい。僕が好きな内臓系の肉だってよく見ればグロテスクだ。

箸でつまむと一切れがいびつで細長い。それでも牛肉なのは間違いなさそう。口に入れると強めの辛味が広がった。唐辛子の辛さと塩の辛さがどちらも効いているかなり濃い味付けだ。肉は固くはないけど、弾力があって噛み切りにくい。脂もべたべたしている。肉の質をごまかすために、濃いめの味付けがされているようにも感じられる。鶴橋の絶品のタレじゃなかったのか……。

おばあは滅多に牛肉を買ってこない。普段は安価な鶏肉や豚肉を料理に使う。その代わり牛肉を買ってくるなら、焼くと固くなりやすい輸入物は選ばない。脂の質がよく、火を通してもやわらかくて噛み切りやすく、後味もしつこくない和牛の肉と決まっている。それがなぜ今日は、ゴムのような食感の肉を買ってきたのだ。

「こりゃあ、あかん! 噛みきれんわ!」
テーブルの向かい側の席でおばあが声を上げた。おばあの総入れ歯では文字通り歯が立たないらしい。
「何でそんな肉を買ってきたんや?」
僕が聞くと
「味が付いてパックになってるやつを買うてきたんや! どんな肉かまではわからへん!」
おばあは肉が噛み切れない腹立たしさを僕にぶつけるように声を荒げた。

ではなぜ、そのパックになった味付きの肉を買ってきたのかという別の疑問が湧いてきたきた。だけどこのまま話を続けて怒鳴られるのは嫌だ。それに機嫌の悪いおばあに質問しても、聞きたい答えが返ってきたためしはない。僕は話題を変えることにした。

テーブルには肉のほかに、気になるものが並んでいる。季節はずれの栗ご飯だ。毎年、秋になると愛媛の山奥の実家から送られてくる栗を、おばあは皮をむいて冷凍している。それを今日、解凍してごはんと一緒に炊いたのだ。ひと口食べるとほくほくとして、去年に食べたものと変わらない味がする。

「栗ごはん、おいしいやん。旬の時期と正反対の季節に食べられるなんてめっちゃ贅沢やな。今の時期、江戸時代やったら殿様でも食べられへんかったやろなあ」
おばあの機嫌が少しでもよくなればと思って、僕はちょっとオーバーに感想を伝えた。眉間にしわを寄せて肉をガムのように噛み続けていたおばあは、僕の言葉を聞くと表情がゆるみまんざらでもない様子。
「栗ごはん炊くから、肉はパックの安いやつでええと思たんや」
そういっておばあは、口の中の肉をようやく飲み込んだ。

おばあもやはり今の時期の栗ごはんはなかなか食べられない特別なメニューだと感じていたのだ。だから牛肉は、特売のパックの味付けのもので十分だと考えたようだ。おばあは肉をあきらめ、栗ごはんに手を付けはじめた。眉間のしわはなくなり、栗ごはんを頬張った頬に満足そうな笑顔すら浮かんでいる。答えを得られたことより、へそ曲がりのおばあの機嫌が治ったことが意外だった。僕も栗ごはんをかき込み、思わず笑みがこぼれた。