大晦日の夜、自宅を出ると、冷たい風を切りながらおばあの家に向かう。急ぐのは寒さに耐えられないからでも、紅白歌合戦を一秒でも早く見たいからでもない。それより楽しみなのは、年に一度、この日だけ味わえる、おばあがつくる年越しそばだ!
おばあの家には、玄関にまで食欲をそそる香りが充満していた。たっぷりのかつおと昆布からとった、ダシの香りだ! たまらず居間に駆け込み、テレビを見ながらくつろぐおばあの横を素通りし、台所へと急ぐ。何やら叫んでいるおばあの声には構わず、香りに誘われるように鍋の前に立ち、フタを開けると――
白い湯気とともに芳醇な香りが濃厚に立ちのぼり、琥珀色のつゆが現れた。鶏肉がごろごろ入っている。合わせダシに浮かぶ、この脂……ひと口すすったところを想像しただけで、もう、たまらない!
しばらくその香りと景色を堪能していると、
「そんなとこに、ぼうっと突っ立って、何やってんねん!」
おばあの大声が間近で響いてきた。そして目の前に二本の手が伸びて来て――
つゆの隣の沸騰する鍋の中に――
そばを投入した。
それをおばあは、手際よく菜箸でかき混ぜ、
用意していた丼ぶりの中に、生の春菊を入れると、
そばの鍋が再び沸騰したところで、
一気にザルにあける。そして春菊入りの丼ぶりに、そばを移し替え――
湯気が立つ黄金のつゆを、お玉ですくっては――
鶏肉と一緒にそばにかけ、
また、すくってはかけ、
すくってはかけを繰り返し、あっという間につくってしまった。段取りと手際が完璧だ。熱々のできたてを食べさせたいという、おばあの心意気が伝わってくる。
「それ、自分で持ってこい」
そういい残し、ゆったりとした足取りで居間に引き上げていく、おばあの小さな背中がかっこいい。早速丼ぶりを両手で抱え、食卓に向かうと――
メニュー
・年越しそば
鶏肉、春菊
・ハマチの刺身
・酢レンコンと酢ゴボウ
・黒豆
・ほうれん草のおひたし
・豚トロとタケノコの煮物
・サラダ
生:玉ねぎの醤油漬け、レタス、ミニトマト
茹で:ブロッコリー、アスパラガス
今年は、おかずの数がすごいぞ!
見るからに脂の乗ったハマチの刺身や、
豚トロとタケノコの煮物、
正月用の酢レンコンと酢ゴボウに、
僕の好物の黒豆、
ほうれん草のおひたしまである。
おばあは近ごろ、「でけへんことが増えてきた」とか「なんでも忘れてばっかりや」とか、体と頭の衰えを嘆くことが増えてきたけど、これだけの料理ができるなら、まだまだ問題なさそうだ。
いつになく穏やかな気持ちで、年越しそばをすする。毎年麺がおばあ好みの柔らかめだけど、今年は茹ですぎず美味しくなっている! つゆもダシのうま味がパワーアップしているように感じられる。衰えたどころか、料理は進化してるやんか、おばあ!
それから一気に、豪華なおかずとそばを食べまくった。やがて全部平らげても、加速した食欲は止まらない。
炊飯器には、明日の昼のために持って帰る、おにぎり用のごはんが残っているはずだ。それを残ったそばのつゆに入れれば、絶品のダシ茶漬けになる。ああ、考えただけでたまらない。
だけど僕がいつも食べすぎるので、おばあからはお代わり禁止令が出ている。
幸いおばあは先に食べ終え、紅白歌合戦に夢中になっている。耳も遠くなってきているといっていたし、僕が動いたところで気がつかないだろう。今のうちに、こっそりごはんを入れてこよう。そう思ってゆっくり立ち上がり、丼ぶりを手にして、そろそろと台所に向かう。
すると、
「ごはん、あんまり入れすぎるなや!」
とドスの効いた忠告が聞こえてきた。
おばあは僕の行動をすべて見透かしていたのか! その勘のよさ、全然衰えてないやんか! おばあに気づかれたので仕方なく、僕は丼ぶりに少しだけごはんを入れ、おばあが待つ食卓へと引き返した。そしてつゆと一緒にすすったごはんは、他の何にも代えられない格別な味がした。