僕は昨日、2日目のキムチ鍋を平らげてしまおうと、土鍋いっぱいの具材をほおばり、汁をすすった。少しでも残れば、おばあは再び具材を追加してキムチ鍋が3日目に突入してしまう。
食べ物は加熱すればいつまででも食べられるとおばあは思っている。おばあは子どものころから、鍋ものや煮ものつくると、同じ鍋に火を通して何日も食べ続けたという。食中毒の菌に対して内臓が鍛えられているらしく、僕はおばあがお腹を壊したところを見たことがない。
だからといって常温保存した3日目の鍋を出せば、たまに腹痛や食あたりを起こす人並みの内臓を持った僕はどうなるのか。無事でいられるのかわからない。そう告げても、おばあのものごとの判断基準は自分自身の体験だ。僕がおばあの経験と違うことをいっても、聞き入れてもらえるわけがない。
昨日、僕にできることは鍋の中身をきれいに食べてしまうことだけだった。ところが、というよりやっぱりキムチ鍋を2日目で止めることはできなかった。大きな土鍋の半分以上を一人で空にするなんて、人並みの量しか食べられない僕には到底無理なことだった。
フタを開けると、鍋の中には昨日あれだけ食べたはずの具材が詰まっていた。春菊やもやしなどの野菜ばかりで汁が少なく、キムチ味のおひたしみたいになっている。山盛り買っていた鍋用の食材の残りぜんぶ投入したらしい。
ほとんど野菜の具材を皿に取り分けると、赤いドレッシングのサラダみたいだ。春菊ともやしを一本ずつ箸でつまんで口に運ぶ。野菜の歯ごたえがしっかり残っていて、火の通り具合は悪くない。ただ、なんとなく酸っぱい気がする。汁が煮詰まったことで、キムチの酸味が強くなっているだけなのか……それとも……。
おばあは鍋の具材を箸でがさっとつかみ、口の中に突っ込んでいる。そして総入れ歯をもぐもぐ動かしてから飲み込むと、また口いっぱいにほおばるのだった。
それにしても、今晩のメインは明らかに鍋じゃない。
メニュー
・キムチ鍋(3日目)
豚肉、春菊、もやし、えのき、シメジ、エバラ「キムチ鍋の素」
・マグロのカマの焼いたん
・謎の肉のカツ(スーパーの総菜)
・煮物
木綿豆腐、里芋、手綱こんにゃく
・ウィンナー入りサラダ
生:トマト、キャベツ 茹で:ウィンナー(日本ハム「小さなシャウエッセン」?)、ブロッコリー、アスパラガス、ほうれん草
・ごはん
テーブルに並んでいるおかずは、いつもより豪華だ。僕が3日目のキムチ鍋に箸をつけたがらないのを見越して、おばあはこれだけのおかずを用意してくれたのかもしれない。
アルミホイルにのっているのは、僕の手の平くらいある大きなマグロのカマ。豪快な見た目と醤油ベースのタレが焼けた甘辛い香りが食欲をそそる。
箸を刺すと表面のうす皮がやぶれ、わずかに湯気を立てて、白くてふわっとした身があらわれた。箸でつまむとマグロのエキスがしたたる。顔を近づけて、吸い込むように口に入れた。凝縮したマグロのうま味が、甘辛のタレと一体になって口中に広がる。唾液が湧き出してきて、僕はたまらずごはん茶碗に手を伸ばした。
マグロのカマに加えて、テーブルには大きなカツまで並んでいる。スーパーの総菜コーナーでおばあがたまに買ってくる、何の肉かわからない通称、謎肉のカツだ。材料がわからないことを除けば、味は悪くないしボリュームもたっぷりだ。
さらにサラダには、ウィンナーまでのっている。こんなサラダ、おばあが今までにつくったことがあっただろうか。
鍋の存在なんて忘れてしまいそうになる。やはりおばあは3日目の鍋を食べたがらない僕のために、手の込んだおかずを用意してくれたのだ。
「おばあ、ありがとう」
と僕はお礼をいった。するとマグロのカマをほじくっていたおばあは手を止め、
「なんや? なんで礼なんかいうんや?」
と不審そうに眉間にしわを寄せた。
「豪華な料理、俺のためにつくってくれたんやろ?」
僕が説明すると、
「お前のためやない! 自分で食いたいもんを並べてるだけや!」
おばあは声を張り上げた。
なぜ僕が怒られなければいけないのか。僕が間違ったことをいったのなら、ふつうのいい方で教えてくれたらいいのに。今日のメニューが自分のためだと勘違いしていたことも馬鹿みたいだ。おばあにいい返したかったけど、僕まで感情的になってしまいそうだった。僕はおばあと争いたいわけじゃない。だから黙って、マグロのカマをほじることにした。
うつむいてマグロの白い身をつまんでいると、
「鍋がいらんのやったら、食わんでええからな」
とおばあの声がした。