メニュー
・にゅうめん
三輪素麺、キャベツ
・里芋の炊いたん
・牛肉の大和煮(缶詰)
・サラダ
生:トマト、キャベツ 茹で:ブロッコリー、アスパラガス、ほうれん草
僕が食卓に着くと、台所からおばあが、すり足でやってきた。湯気が立ち上る大きな丼ぶりを両手で胸のあたりに抱えている。僕の目の前に置かれた丼ぶりの中身は、大量の、白くて細いそうめんのかたまり。でこぼことした、純白のそうめんの厚い地層に、ざく切りの茹でキャベツだけがのっている。
湯気と共にカツオだしの香りが立ち上ってくる。おばあがつくったつゆがかかっているみたいだけど、そうめんの量が多すぎて、つゆの水面はほとんど見えない。箸を突っ込んでみると、丼ぶりの底までそうめんが詰まっている。夏場に食べたそうめんの残りを、ありったけ茹でてこの丼ぶりに入れたらしい。
つい数日前、10月の半ばだというのに、最高気温が30度近くにまで上昇した。片づけたばかりの扇風機を、再び取り出さずにはいられなかった。だけどその日を境に、急に気候は秋らしくなり、次の日から温かいものが恋しくなった。
それは僕よりも、おばあのほうが強く感じているはずだ。おばあは人一倍、汗っかきなのに、体を冷やすことを嫌う。一年中、飲み物はいれ立てのお茶か常温の水、風呂の温度は42℃。真夏でも便座のヒーターが最強なので、設定の仕方がわからないのかな、熱中症にならないように冷たくしてあげないと、という親切心でヒーターを切ると、僕のあとで個室に入ったおばあは喜ぶどころか、「冷たいやろ! 寿命が縮んだわ!」と、ドアの向こうから僕を怒鳴った。
気温が急に下がって、温かいものを食べたくなった。それに戸棚を見れば、そうめんが残っている。隣には常備しているダシ用のカツオ節もある。そうなれば、温かいつゆとそうめんで、にゅうめんをつくる、なんてことは自然な成り行きかもしれない。
だからといって、どうしておばあは、今年のそうめんの残りをすべて茹で、僕の丼ぶりにほとんど投入するようなことをしてしまったのか。
ごはん茶碗に換算すると、3杯ぶんくらいある。おばあは太り気味の僕の体形を気にして、ごはんのお代わりを許さない。そうめんもごはんと同じく、太りやすい炭水化物でできているのに、おばあは何だと思っているのだろうか。
「ごはんがいるなら、自分で入れや」
向かいの席についたおばあがいう。やっぱりそうだ。麺類はごはんのおかずだと思っている。夏場にそうめんが出てきたときも、パスタやうどんのときも同じようなことをいわれた。今日はもちろん、大量のそうめんがあるので、ごはんはいらない。
おばあが茹でたそうめんは柔らかめだけど、カツオだしの効いた、手づくりのつゆの香りは食欲をそそる。ただ、そうめんの量に比べて、具材がキャベツしかのっていないのが寂しい。鶏肉とかたまごとか油揚げとか、もうちょっと脂分のある、こってりしたものがあってもいいのに。そう思って、今日のメニューを眺めると、丼ぶりの向こうに何かある。
肉を煮詰めたような茶色いものが小皿に乗っている。口に入れるとなつかしい、砂糖や醤油で煮込んだ甘めの味付け。スライスされた肉の芯まで味が染みていて、口の中で崩れていく。これは、缶詰の、牛肉の大和煮。ひとり暮らしをしていたころに、何度も食べた。おばあがこれまで、僕に出したことはないはずだ。
それが具材の少ないにゅうめんと一緒に並んでいる。牛肉の大和煮も、にゅうめんの具材に違いない。だけど味が濃いので、全部入れると繊細なだしの風味の邪魔をする。だから少しずつのせて一緒に食べるように、と小皿に盛っているのだろう。だし汁で茹でたキャベツとも相性はよさそうだ。
にゅうめんに牛肉をトッピングしていると、僕の目の前に、おばあがまた皿を置いた。のっているのは焼いた鮭。僕が毎日、朝と昼に食べるためにおばあがつくってくれる、おにぎりの具材だ。
「これも、のせたらええんか?」
きいてみると、
「そうや。のせてみい」
とおばあは頷いた。
牛肉と鮭が加わって、寂しかった見た目が華やいだ。めんをすすると、あっさりとした中に、だしの風味がしっかりと、舌と鼻で感じられた。味はいいけど、こればかりを丼ぶり一杯、口にしていると、途中で飽きてしまうだろう。塩味の鮭と、甘みの効いた牛肉、シャキッとした歯ごたえの残るキャベツのコントラストが後を引き、大量のそうめんに常に新鮮なおいしさを感じながら、僕はすべてを平らげた。
両手で持った丼ぶりを傾け、つゆを飲み干していると、
「今日は、買いもん行ってへんからなあ。こんなもんしか、できんかったわ」
と丼ぶりごしに、おばあの声がする。「こんなもん」って、僕はじゅうぶん満足だ。はじめての取り合わせで、味はおいしくて、炭水化物をたらふく食べられたのだから、不満なんてあるわけない。
つゆを飲み干し、丼ぶりを顔から下げると、正面におばあの顔があった。目が合うと、僕の心を見透かしていたように、にやりと笑った。