おばあがつくるカレーは、僕が子どものころから30年ほどかけて進化を続けてきた。はじめは甘口のルウを使い、野菜や肉がゴロゴロと入っている、見た目も味もいわゆる“家庭のカレー”そのものだった。
それはそれで充分おいしかったけど、おばあのカレーへの探求心はとどまることを知らず、次第に独創的なものへと変貌していった。
最近では長時間炒めて甘みを引き出した玉ねぎや、細かく切ったジャガイモやニンジン、そして毎回微妙に変わるいくつかの隠し味が、辛口と中辛をブレンドしたルウと一緒に溶け込んでいる。水分が飛んでペースト状になったカレーには唯一、煮込む前の形を保った具材が入っている。それが牛すじだ。
ゼラチン質の多い牛すじは、いくら煮込んでも形がくずれず固くならない。おまけに濃厚なダシまでとれる。ただし脂が多いので、何度か下茹でして“脂抜き”をしないと使えない。おばあがその手間を惜しまず、カレーに加えたのが十数年前。以来ほとんど欠かすことがない、レギュラーの具材になった。
今でも隠し味やトッピング、ルウの組み合わせなど、おばあはカレーを改良し続けている。そうやって、さらなるおいしさを求めて工夫する熱意を持ち続けているうちは、元気でいてくれるはず。そう思っていたのに……おばあは先日、夕飯にレトルトカレーを出したのだった。
味はけっこうおいしいし、夕飯にレトルト食品を出すなと文句をいうつもりもまったくない。だけど、これまでおばあがカレーに注いできたあの情熱はどこに行ってしまったんだ! 牛すじの脂抜きをするために重たい鍋を抱える体力も、新たな工夫をしてみようという探求心も失ってしまったのか……。元気そうに見えていたおばあは、僕が思っていた以上に身も心も衰えていた。そう思うと無性に寂しくなったし、おばあの変化に気がつかない自分にも腹が立った。
ところが今晩、おばあの家の戸を開けた瞬間、カレーの香りが漂ってきた。パウチを温めてごはんにかけただけのレトルトカレーなら、玄関先でわかるほど香りは強くない。おばあがまたカレーをつくったのか? それにしては……何かが違う。たしかにカレーの香りはするけど、嗅ぎなれたおばあのカレーの香りではない。一体どういうことなんだ!?
僕は居間に駆け込むなり、
「今日はカレーやろ?」
とテレビを見ていたおばあに聞いた。おばあはすでに食事を終えていて、空の食器がテーブルに重なっている。
「そうや、カレーや。自分で入れてこい」
おばあはそういって、台所を指さす。
いわれた通り台所に向かうと、コンロの上にあったのはカレーの入った鍋、ではなく――
フライパンだ! どうしてカレーをフライパンで!? 少ない量ならつくれるかもしれないけど、なぜそんなことをする必要があるんだ? まさか、カレーピラフとかドリアとか、フライパンでできる新メニューに挑戦した……なんてことがあるだろうか。いくつもの疑問を抱えながら、フタを取ると――
普通のごはんにかけるカレー……なのか。かつて見たことがないほど水分がなくなり、表面には具材がぼこぼこと浮き上がり、フライパンの内側にねっとりとへばりついている。香りもやっぱり、いつもと違う。どういうことなんだ!? ますますわけがわからない。
ひとまずカレーをお玉でこそぐようにして、ごはんと一緒に皿によそい、食卓に向かった。
メニュー
・カレーライス(手づくり?)
・紅白なます
大根、にんじん、サバ
・厚揚げと大根の煮物
・もずく酢
・茹でもやし
・サラダ
生:トマト、玉ねぎの醤油漬け、キャベツ、パプリカ
茹で:ブロッコリー、アスパラガス
3日以上煮込まないとこうはならないのではないか。そう思うほど、カレーは煮詰まっている。スプーンを入れると出てくるのは、細かな肉や野菜のかけら、そして形を保ったままの大量の牛すじ。牛すじが入っているということは、おばあがつくったものに違いない。
口に入れると、とにかく濃厚な味がした。カレーの風味と甘さや辛さやしょっぱさが、今まで味わったことないほどの濃度で凝縮している。強烈にごはんが欲しくなる。何なんだ、これは!? 決してまずくはないけど……何だか突き抜けていて、おいしいかどうかもよくわからない。また新しいカレーをつくったのはいいけど、これは斬新すぎるよ!
他のおかずはというと、カレーに合う――
酸味の効いた紅白なますや、
もずく酢、
さっぱりした茹でもやし
タケノコと厚揚げの煮物まである。
いつものサラダには、赤と黄色のパプリカまで仲間入りしている。
それにしても、これまでカレーは少しずつ改良を重ねてきたのに、どうして今晩急にこんな独特なカレーをつくったのだろうか。
「今日のカレー、ちょっと変わってるな」
そう感想を伝えると、おばあはあっけらかんとした表情で、
「そらそうやろ。パックのやつの中身を出して、つくりなおしたんやから」
と当然のことのようにいった。
「もしかして、パックのやつって……レトルトのこと?」
恐る恐るたずねると
「そうや!」
と大声が返ってきた。
つまり、レトルトのカレーをわざわざパウチからフライパンに絞り出し、手間のかかる下処理をした牛すじなどの具材を加えて、水分がほとんど飛んでしまうまで煮詰めたということか。カレーはよく見ると具材に――
唐辛子のような真っ赤な野菜が入っている。これは全く辛くなく、どうやらパプリカのようだ。ちゃんと新しい具材を加えている。
そこまでするならレトルトなんて使わず、
「いちからルウ入れてつくったらええやん!」
と僕は声を上げずにはいられなかった。するとおばあは、黙って立ち上がった。まずい、料理について出すぎたことをいって怒らせてしまったか!? そんな心配をよそに、おばあは台所にまっすぐ向かって行く。
その後についていくと、おばあは冷蔵庫を開けた。中から取り出したのは――
ずっしりと重そうな小玉のスイカだ! それをまな板に乗せ、
包丁を入れて一刀両断。
断面は見事に身が詰まっていてみずみずしい。
半分にしたスイカにまた包丁を入れ、
4つに分けた。そこでおばあは再び冷蔵庫の扉を開け、取り出したのはなんと――
レモン! スイカとレモンでどうするんだ!? おどろく僕をよそに、
おばあはレモンを半分にすると、
スイカにぎゅっと絞って――
かぶりついた!
種をもろともせず一気に食べすすめ、一切れをまたたく間に平らげた。
「スイカにレモンておいしそうやな。どこで知ったんや?」
そうたずねると、
「お前も見てたやろ、あのNHKの……あれや、志の輔の」
「ああ、ガッテン!か」
そうか、思い出した。イタリアのシチリア島では、スイカにレモンの果汁をかけて食べるのが定番だと、先月くらいにNHKのガッテン!でやっていた。番組名は出てこないのに、スイカの独特な食べ方は覚えているとは。おばあはやはり食への情熱は失っていない!
「お前にも持って行ってやるから、さっさとカレー食べてしまえ」
「わかった。ありがとう!」
僕はシチリア風のスイカが味わえること以上にうれしくなって、食卓に戻った。
そしてすぐにカレーを食べ終えると、おばあがスイカとレモンを持ってきた。
レモン果汁をたっぷり絞って、スイカにかぶりつく。強い酸味が、塩をふりかけたときのように甘みを引き立たせる。後味はさわやかなレモンの風味が心地よかった。